フランスを優勝に導いたジャッケ監督

 

フランスナショナルチーム

いまやブラジルと並んでサッカーの最強国としてその名を世界にとどろかせている

フランスナショナルチームの活躍は近年でも衰える事が無い。

ホスト国としてブラジルを破りワールドカップ初優勝をかざったあとも

欧州選手権などで優勝するなどその勢いはブラジルをしのぐものである。

チームの司令塔Z.ジダンは歴史に名を刻むプレーヤーとして

M.プラティニ以上の評価をうけている。

世界中の各リーグでフランス人の活躍が目立ち世界のサッカー界を

引っ張っているのはまぎれもない事実だ。

しかし優勝したフランスワールドカップの前の大会

アメリカワールドカップでは予選敗退し本戦に出場すらできなかったのを

みなさんはご存知であろうか?

それどころかその前のイタリアワールドカップでも本戦に出場することが

できずフランスワールドカップでの出場は実に8年ぶりであったのだ。

しかもホスト国としてこの大会は予選が免除のためフランスがこの大会で

優勝するというのは奇跡的なことであったともいえるのだ。

その奇跡をおこしたフランスチームの監督、エメ・ジャッケに注目してみた。

スターぞろいのフランス代表

アメリカワールドカップ予選、最終戦フランスは本大会出場をかけてブルガリアと

たたかっていた、勝てば出場決定のこの試合でフランスのリードは1点。

しかし終了間際悲劇の同点ゴールがうまれる、時計は残り2秒を指していた。

フランスは日本のドーハ以上の悲劇でアメリカ行きを絶たれたのであった。

2大会連続の予選敗退、しかし当時のメンバーはけっして悪かったわけではない。

むしろそうそうたるメンバーだったといっていい。

王様として有名なE.カントナをはじめマルセイユ、ミランでも活躍したJ.P.パパン

華麗なるテクニシャンD.ジノラ、黒豹B.ラマと超豪華メンバーが名を連ねていた。

しかしジャッケはこのメンバーにメスを入れはじめたのだ。

若手中心の新生フランス誕生

フランスのワールドカップ予選敗退や当時フランスが誇る欧州の強豪クラブであった

八百長事件なども重なってフランスリーグは各国のリーグに比べ

そのレベルを著しく落としていた。

国際試合で他国のクラブに圧倒される中、UEFAカップで準優勝を果たしたクラブがあった。

ボルドーというそのチームは低レベルの自国内のリーグで2部落ちの危機を

かかえるほどの弱小チームであったがそのチームにすばらしき逸材が眠っていたのだ。

Z.ジダン、C.デュガリー、B.リザラズ その逸材こそフランス優勝への

原動力となった彼らたちだったのだ。

そして彼らの活躍はミラクルボルドーと呼ばれフランスの新しい力として

ジャッケ監督の目にとまったのであった。

そして驚く事にジャッケは彼らを代表に呼ぶと同時に先にあげた

カントナら有力選手を代表から外していったのだ。

巻き起こる賛否両論の中で・・・

もちろんこの代表メンバーにはフランス国内はもちろんのこと

世界のメディアたちにも物議をかもしだした。

日本でいうならカズ、中山、井原らを一気に代表落ちさせたというところだろうか?

堅実になったが落ちてしまった得点力、増えた引き分け試合。

Z.ジダンとY.ジョルカエフのポジションの問題、E.カントナの発言

ジャッケの手腕への期待と不安。

そして巻き起こる賛否両論の中、新生フランスチームは

勝ちこそ多くなく圧勝もなかったもののけっして負けることは無かった。

そして気付けば連続無敗記録の樹立という結果になってジャッケの改革の

結論はあらわれた。

ジャッケとフランスサッカー協会

こうしてフランスはさらに得点力をまし加えブラジルをやぶって頂点にのぼりつめた。

賞賛すべきはジャッケの忍耐力であり信念である。

激しい争論の中、けっしてメディアに屈することなく

フランスの改革が成功する事を信じて前にすすみつづけたのだった。

そしてそれをささえ認めつづけたフランスのサッカー協会もすばらしい。

監督問題にゆれつづけた日本サッカー協会にはぜひみならっていただきたい。

優勝という最高の結果を残したジャッケ監督はこういった。

「私は成功した、こうして私のやり方が間違ってなかった事を証明できた」

「しかしこれ以上、外からあれこれいわれつづけることはもう限界だ」

ジャッケの苦しい胸中は優勝後の彼の監督辞任という形で全世界に訴えられたのだった。