「十字架降下」

 

二つの「十字架降下」

皆さんは「十字架降下」という絵をご存知でしょうか?

「フランダースの犬」で主人公ネロが死ぬ直前に

教会で見ることのできたルーベンスの絵が「十字架降下」です。

十字架に張りつけの刑に処せられてもなおその誇りを失わず

堂々と、立派に神の栄光をあらわしつづけたイエス・キリストの姿がそこにあります。

死に直面しても生気を失わないその大きな力を

ルーベンスはキャンパスいっぱいに表現したのです。

そしてネロだけでなく多くの人に力を与えたことでしょう。

しかし、もうひとりとても興味深い観点からこのイエス・キリストの

十字架降下を見つめた画家がいました。

その画家の名はレンブラント。

これまた偉大な画家であり「夜警」など多くのすばらしい作品を手がけてきた

レンブラントは一体どのような観点でこの「十字架降下」を表現したのか

まずは二人の絵を見比べてみることにしましょう。

 

ルーベンスの「十字架降下」

レンブラントの「十字架降下」

 

肉体というもの

見ていただいてわかるようにすばらしい肉体を持ったルーベンスのイエスに比べて

レンブラントの描くイエスはどのようにみてもみすぼらしい、醜いともいえる

死した肉体を持っているのです。

この絵を見てすぐに感動するということはあまりないかもしれませんね。

「ルーベンスの絵のほうが好きだな」という人が多いのももっともです。

しかしながらレンブラントはなぜこんな醜いイエスを描いたのでしょうか?

画家としてすばらしい才能をもったレンブラントにとってこう描かなければならなかった

理由は一体なんでしょうか?

「彼はイエスを侮辱している」という声もあったでしょう。

そんな批判を受けてまで何故あのようにルーベンスと正反対の絵を

完成させたのでしょうか?

信仰とは?

皆さんは信仰とはどんなものと思っているでしょうか?

レンブラントはこの十字架降下で信仰と肉体は無縁であるということを

表現したかったのです。

イエスさまの素晴らしいのはその信仰によるところの

精神であり言葉であり愛であったはず、そしてそれは心に響くものである、

彼はそう思っていたのです。

死したあとのイエスの肉体はもはやただの肉の塊でありそれに何の意味もない、

しかしイエスが残した魂は死んでも決して朽ちることがないということを

彼は知っていたのです。

肉体が立派であるから素晴らしいとか魂や言葉がすばらしいから

死した後の肉体もすばらしい、とは考えなかったのです。

精神世界を追求すればするほど霊肉の違いをはっきりさせたかった

彼の思いがみすぼらしいイエスの十字架降下を描かせたのでしょう。

どちらも素晴らしい

それにしてもルーベンスの絵が否定できるものでもありません。

実際、病は気からというように精神のしっかりした人が

健康な体を保つことがあるように、霊肉が必ずしも関係ないとも思いません。

ただこの二人の画家たちは自分たちが感じていた思いを

キャンパスにぶつけ表現できています。

それこそが画家の本分でありそれを知ることができるとき

私たちの絵画に対する見方も変わってくるのではないでしょうか?