私とピアノ
きっかけは母の勘違い
僕がピアノを弾くことになったのは小学校2年の終わりごろだったと思う。
ひょうんなことから母が知り合いから一時的にオルガンを譲り受けたことがあった。
当時あまり楽器などに縁がなかった僕はそのオルガンにとても興味をもった。
もちろん演奏することに興味をもったのではなく、音が出るということに興味をもったのだ。
そして指一本でいろんな音をだすことがとっても楽しく、学校から帰ってくるといつもオルガンを
触ってはよろこんでいた。
そんな僕の様子をみた母はてっきり僕が音楽に興味があるもんだと思い込み
僕をピアノの先生のところに連れて行ったのだ。
母に「何故僕をピアノ習わせたの?」と聞くと今でもこう返答される。
「あんたがピアノ習いたがってたからやんか」
そんなことはない、それは大きな勘違いである。僕は男の子だったから
ピアノを弾くのは当時ものすごく恥ずかしく演奏したいとなど露にも思ってなかった。
しかしなにはともあれこの母の勘違いのおかげで僕は自分の楽しみがひとつふえたわけである。
一度はやめてしまったピアノ
実際、ピアノは楽しいものだったのでそう抵抗することもなくレッスンに通い始めた僕だった。
そして幸い音楽音痴でもなかったようでレッスンでもほめられることが多く、レッスンの日が
楽しみでもあった。そしてその頃は練習も楽しく、毎週出される課題の2〜3倍の量を仕上げていって
約2年半ほどでソナタにまで到達することができた。
しかし上達するにつれ曲の難易度もあがり進行速度も下がっていったことにだんだん
いらだちを覚えるようになっていきついにはピアノが嫌いになっていた。
とくにツェルニーにいたっては見るのも嫌になった。
そして「僕はピアノをやらされたんだ」と母の勘違いを理由に練習を拒否しだし
小学校5年生になって、ピアノの先生が産休で休むことになったので
そのまま僕もピアノをやめてしまった。
ショパンが弾きたい
とはいえピアノを弾くようになってその魅力もわかっていたしやめてからも
ちょろちょろ鍵盤をたたいたりしていた。
そんなあるとき近所の奥さんがショパンコンクールのビデオを家にもってきた。
中学生の頃だったと思う。
そのときにロシアの新星、スタニスラフ・ブーニンが目の覚めるような演奏をしたのだ。
「猫のワルツ」をとびっきりの速さで弾きおえたのだが、その能力よりびっくりしたのが
4年に1度のしかも19歳から24歳(だっけ?)までしかでられない一生の晴れ舞台の
緊張するなか、とても楽しそうに演奏していたことだった。
それは地元ポーランドのヤブウォンスキーの「黒鍵のエチュード」でも感じたのだが
ブーニンはその域をこえてもう悦にはいっていたのだ。
「かっこいいなあ、うらやましいなあ」
そう思わずにはいられなかった。
もう一度ピアノに挑戦
ピアノを苦痛に感じていた僕にとってそのショパン・コンクールは衝撃だった。
「楽しんでピアノを弾きたい」
そう思った僕は高校入学後、再度ピアノにチャレンジした。
今度は上達するとかではなくピアノを楽しく弾き好きになるために。
その申し出をピアノの先生は理解してくれて僕にショパンを指導してくれた。
そして僕は練習した。難解な楽譜を研究し、完成に近づける達成感、充実感を感じながら。
大学受験に入るまでの2年間のレッスンは僕にとってとても尊い期間だった。
やらされてやるのではなく自主的に目的をもって何かをやりとげる。
それを学ぶことができた2年間だった。
最近は気軽にポップスなどを演奏して楽しんでいる。