やがてギルバートは部屋の真ん中に戻ってきて、大きなため息をついた。「すまないな、バジル。巻き込んでしまって。」「ちょっと、ギル。どういう事?」「実は・・。」突然言葉を 切ったギルバートは、思いついたかの様にバジルのクローゼットの取っ手を握った。さすがにバジルは堪えきれなくなり、「ギル!!女性のクローゼットを無断で開ける前に、どういう事なのか説明して!」「大きな声を出すな。俺がここにいる事がバレるとマズイ。」
ギルバートは、再び鋭い眼差しでカーテンのかかった窓をみつめた。バジルは眉をひそめた。ギルバートは何に怯えているのだろう?いつもの彼らしくない。
ふとギルバートが思いついたかの様に、「そう言えば、パソコンの調子がおかしいって?」「え・・?」あまりに急だったので、バジルは一瞬何の事を言われているのか分からなかった。「君が俺をここに呼び出したのは、パソコンのメンテナスが理由だろう?」「あ、ああ。そう、そうなのよ。お願いできる?」「もちろん。」
ギルバートは目でバジルに確認を取ってパソコンの置いてある隣室に入っていった。「あの・・ギル?」「何だ?」ギルバートが振り返った。あの刺す様な眼差しは、いつの間にか和らいでいた。 「お茶とか、飲む?ほら、外寒かったでしょ。」「ありがとう。だが、気遣いは無用だ。」「そう・・。」
ギルバートはパソコンデスクの前に置いてある椅子に座った。「おい、バジル。」「何?」バジルは隣室に入った。「この椅子・・座りにくいな。悪いが他の椅子を貸してくれ。」「座りにくいなって・・・それ以外に椅子なんて食卓の木の椅子しかないわよ。」「それで良い。とにかく、この椅子は俺には合わない。」「分かったわよ・・持ってくるわよ。」バジルはしぶしぶキッチンから木の椅子を持ってきた。
そして高級品の椅子を脇にどかした。「どう?こっちの方が座りやすいな、なんて言わせな・・。」「こっちの方が座りやすいな。バジル、その妙な椅子を売って、この木の椅子をもう一脚買ったらどうだ?」「じょ・・冗談じゃないわよ!あの椅子を買う為にいくらかかったと思ってるの?」「知らん。冗談なんて言ってない。本心だ。」ギルバートは肩をすくめるとパソコンの電源を入れた。
バジルはどうしても納得がいかず、「あら、そんなに座り心地が良い椅子ならちょっと私にも座らせてよ。」「ああ、もちろん。」バジルは木の椅子に腰掛けた。「あら・・・・意外と、まあ、ちょっとは良い感じね・・。」
・。そして、今に至るわけである。 置いていかれた状態のバジルは、ふう・・とかすかなため息をついた。ギルバートの横顔をチラリと見る。
私は相変わらず、この人のペースに引きずられてばかりだ。ちょっと顔が綺麗なだけで、自己中心的で、無愛想で、でも変な所で優しいから性質が悪くて・・・本当に、どうして私はいつまでもあんな人に魅かれているんだろう?
昔、バジルにプロポーズをした男性達の顔が脳裏に浮かんでは消えた。マルコの方が数倍も思いやりがあったし、ジョッシュの方が数倍もお金持ちだったし、ダニエルの方が数倍も美形だったし・・それに、まだプロポーズはされてないけど、ヨハンの方が数倍も私の事を大事にしてくれるし・・・。なのに、どうしてこの人なの?自分に腹が立つ。趣味が悪いにも程がある ・・。
「君の側にいると飽きないな。」突然、バジルの昔の記憶が甦った。
今の言葉は、3年前にギルバートが自分に言った憎まれ口だ。そうだった・・バジルが新米時代、毎晩徹夜で残業に付き合ってくれたのは誰だっただろう?(「君の側にいると飽きないな。人間がいかに基礎的な失敗を繰り返す事が出来るのか勉強になる。」)バジルがおたふく風邪にかかって1人で弱っていた時に、真っ先にかけつけて看病をしてくれたし、(「やれやれ。俺の仕事の量を増やしてくれて大変ありがとう。」)バジルを殺しかねない顔で、それでもバジルの失敗作の料理を残さずに食べてくれたのは・・?(「1つ質問だが・・この、皿の上に乗っている物は、本当に世間一般で「食べ物」と呼ばれる物なのか?」)
バジルは急に悔しくなって、ギルバートの足を思い切り蹴った。ギルバートは眉をひそめて「どうした?腹でも痛いのか?」「違うわよ!もう・・。」
バジルはふくれ面をして毛布を持つと、ベッドで寝ている少女にそっとかけた。少女は安らかな寝息をたててグッスリ眠っている。可愛いなあ・・。バジルはしゃがみこんで少女の顔をまじまじと見つめた。そして、ふと微笑んだ。
昔、バジルも妹が欲しかった。そのせいで弟をよくいじめた。今思うと、可哀想な事をしてしまった。この子いくつかな?中学生かな?でも、日本人は一般的に童顔だと言われている。多分、18か19だろう。バジルは毛布を少女の肩までしっかりかけてやると、ギルバートの方に向き直った。
「ねえ、ギル?」「何だ?」ギルバートは相変わらずキーボードを打ち続けている。「さっき・・変に警戒していたのは何故?」キーボードを打つ音が止まった。「カーテンを閉めろとか、ここにいるのがバレるとマズイとか・・。誰かに狙われてるわけ?」「君には・・」ギルバートは何か言いかけたが口をつぐんだ。
君には・・関係ない?バジルはギルバートの飲み込んだ言葉を、そう推測した。だが、途中で止めたという事はやはり自分に関係があるという事か。緊張のせいで、バジルの顔が少し強張った。
「もし良かったら・・どういう事なのか教えてくれない?」ギルバートが振り返った。刺す様な眼差しが戻っていた。「単刀直入に言うと、俺と・・。」ギルバートは目でベッドの中の拓美を示した。「あの子は命を狙われている。」「・・誰に?」「俺と君のボス、グレッグに。」「は?!」バジルは驚きの余り目を大きく見開いた。そして、笑った。
「何を言ってるの?ギル。グレッグがアナタ達の命を狙ってる?」「そうだ。」「・・冗談?」「違う。」「ちょっと待って・・。」バジルは頭を抱え込んだ。「訳が分からないわ。百歩譲って、あの子が危険人物だとしても良いわ。だけど・・アナタはグレッグの大事な大事な部下なのよ!アナタは特に優秀だから・・。」「グレッグが特に俺に気を配っている?バジル、君にはまだ甘さが残っている様だな。いつも気を配っていれば、俺が何をしようがグレッグはそれを阻止する事が出来るだろう。時には・・口封じもな。」「口封じ・・?」
ギルバートは首を振って「すまん。口が滑った。忘れてくれ。」「無理。とりあえず次の質問だけど、どうして「私」が関係あるの?」「少し考えれば分かる筈だろ?」「・・・・私とギルが同僚だから?」「その通り。本当に君には悪いと思っている」「っ・・ちょっと待って。でも、私とギルの同僚なんて数え切れないくらいいるじゃない。」「確かに。だが、この3年間で俺の最も近くにいたのは君だけだからな。・・俺が、「余計な事」を君に吹き込んでいるとも限らないだろう?」
この3年間で俺の最も近くにいたのは君だけ・・・・こんな時だが、バジルは妙な喜びを感じた。 「それじゃあ・・でも、仕事はどうするの?ギルは、特にグレッグの側で仕事をするじゃない。いつもいつも命を狙われる危険にさらされるって訳?」ギルバートは、再びパソコンの方に向き直った。
「俺は、もう2度とグレッグのもとには帰らない。」冷たい声だった。「ちょっと待って、仕事は?」「仕事とか言ってる場合じゃないんだ。・・俺だけの問題じゃないんでね。」「そうよね・・私の命も危なくなってくるんだものね・・。」いきなりその事実が実感として迫ってきて、バジルはゾッとした。
「それで・・ギル?」バジルは深呼吸をした。「何だ。」「もう1つ質問だけどね・・。自分の命が狙われてるって時に・・どうしてわざわざ私の所に来てくれたの?私の事が・・心配だった?」
ギルバートは無表情を崩さずに「それもあるが、グレッグの部下が君のアパートに向かった時に彼らを捕まえれば、彼らから色々聞きだせると思った。」「あ・・っそ。」バジルは拍子抜けして、同時に悲しくなった。
「バジル。」「何?」バジルは滲んできた涙を隠す為に顔をそむけた。「俺は、毎週水曜日に君のアパートを訪ねたい。良いかな?」バジルは驚いて「どうして?」と聞き返した。ギルバートの凍った様な声が答えた。「グレッグの休日だからさ。君のボディーガードをさせてもらう。水曜日以外は、悪いが自分で自分の身を守ってくれ。」「そんな・・」「大丈夫だ。グレッグは水曜日以外はあまりに多忙で、君や俺になんかかまっている暇はない。水曜日だけが、要注意なんだ。」「分かったわよ・・。」「それなら良い。」
バジルは椅子から立ち上がった。急に落ち着かない気分になった。なぜだか、ヨハンに側にいて欲しくなった。ヨハンはいつも空気が暖かい。この部屋の温度を上げて欲しかった。「ギル・・・。」「何だ。」「どうして?どうしてグレッグはギルの命を狙ってるの?」「・・・・・。俺が、ある理由からグレッグを恨んでいるからだ。」「え・・?」愛する女性を奪われた憎しみは、永遠に消えない。 >続きへ