木曜日の昼間。ギルバートは久々に、水曜日以外の日にバジルの部屋にいた。 窓の外は明るい。今日は、冬には珍しく陽の光が暖かい。ギルバートは防弾ガラスがはめ込まれた窓枠によりかかってバジルの入れたハーブティーを飲んでいた。こんな暖かい冬の日は、あの幸せだった日々を思い出す・・・。

「ねぇ・・・ギル?」 回想に浸っていたギルバートは突然背後からバジルに声をかけられたので、手に持っているコップを取り落としそうになる位に動揺した。だがそれを少しも表には出さず、平然とした口調で「何だ。」と答えて振り向いた。

バジルはギルバートから少し離れた場所にバツが悪そうな表情で立っていた。一瞬、バジルが自分の事をグレッグに密告してしまったのかと緊張したギルバートは、バジルの次の言葉を聞いた瞬間にそれが間違いだと分かり顔の強張りを解いた。

「あの〜・・・こんな事を今さら聞くのもどうかと思うんだけど・・・昨夜、ギルの様子が何となくおかしかったじゃない?・・今日だって、いつもなら朝5時頃に外に出てっちゃうのに、今日はこんな時間まで部屋に残ってるし。別に、いつまでもここにいてくれても構わないけど・・・。でも気になるな、と思って。・・何かあったの?」

ギルバートは無表情で黙っていた。さて、バジルにどこまで話して良いものかと思案していたのだ。事実のみを淡々と話すべきか、もう少し深い部分まで話してしまうべきか・・。それを察したバジルは、辛抱強く待っていた。

やがて、ハーブティーを一口飲んだギルバートは、小さく息を吐いてバジルのベッドに浅く腰掛けた。そして、緊張気味に立ちつくしているバジルに「君も、あの椅子に座れば?そこに立っていると疲れるだろう。」と言った。「え?あ、うん。ありがと。」バジルは慌ててパソコンデスクの前に置いてある椅子に座った。ギルバートは目を閉じてしばらくの間黙っていたが、不意に口を開いた。「俺には昔、婚約者がいた。」

もう何年前になるだろう。当時の組織は、今以上の頻度で国内の富豪達をターゲットに彼らがパーティーを開く度に潜入捜査を繰り返していた。毎回、面白い程に彼らの密輸出入の証拠が手に入ったからだ。カルロス、フウカ、マリア、グレッグ、そしてスザンナの5人がグループになっていた。スザンナの婚約者であるギルバートは別のグループだった。

あの夜、ギルバートは仕事でイタリアに行っていたので、いつもの様にスザンナが仕事に行くのを見送る事は出来なかった。だが、ギルバートは心配していなかった。スザンナが群を抜いて優秀なのはよく知っていたし、グレッグがついているなら安全は保証されたも同然だ。そう信じていた。固く信じて疑わなかった。

だから、組織の本部に戻ってきた時に、 スザンナの死を知らされても実感が湧かないどころではなかった。完全にフリーズしてしまった頭の中で、「何故、何故、何故?」という言葉だけがグルグル回り続けていた。

何も分からないまま、ギルバートは「強いショックの為に自我が崩壊した。」という書類と共に、田舎の精神病院に監禁同然で入院させられた。2年後に退院して職場復帰したギルバートは、かつての底抜けに明るく喋り上手で世話好きで、常に周囲に笑いをもたらしていた愉快なギルバートとは全く違う人物になってしまっていた。

笑顔の作り方さえ忘れてしまったかの様な無表情、他人なんてどうなっても構わないという冷酷さが退院後の彼の日常になってしまっていた。この世で最も愛していた彼女を失った今、やっとの事でギルバートを支えているのは、自分からスザンナを永遠に奪った人物への冷たく鋭い殺意のみだった。

ギルバートの見舞いに来たマリアがこっそりと耳打ちした言葉・・・「あの夜、ちょっとおかしな事が起こったの。私達の中にスパイがいたのよ。」

2年間、ギルバートはあらゆる手を尽くして必死でスザンナが殺された夜の事を調べた。その日、ベルリン市内にあるニシ家の屋敷では1人息子の久々の帰国を記念して盛大なパーティーが開かれていた。

そして、スザンナ達が潜入捜査の仕事を終えて屋敷から逃亡しようとした時に、「偶然タイミング悪く」屋敷の警備員達とニシ家の一人息子に逃亡経路を塞がれた。もちろん、スザンナ達は運動能力が抜群に優れている。楽勝で逃げられる筈だった。しかし、あの夜に限って何故か、5人の中で最も敏捷だった筈のスザンナ1人だけが逃げ遅れた。しかも、スザンナがいない事に残りの4人が気がついたのは、もう既に屋敷から遠く離れた場所だった・・・。

「ゴメンナサイ。ギル。本当に本当にゴメンナサイ。」マリアは大粒の涙をこぼして肩を震わせていた。「でも、私達も訳が分からなかったの。突然あんなに大勢の警備員に囲まれるなんて初めての事だったし・・。それに・・・そう、それにね、やっと警備員達の輪から抜け出せた時に、グレッグが叫んだのよ。大丈夫だ、5人全員無事に揃っている。さあ、早く、早く逃げるんだ、って・・。」

そして、マリアが知らないでギルバートが調べて知った事・・・ニシ家とグレッグは長年に渡って、つながりを保っていた。10年以上もの間、自分の兄の様に慕っていたグレッグに殺意を抱く事はギルバートの想像以上に簡単な事だった。そして、ニシ家の1人息子がスザンナを殺害した事に対する自責の念に耐え切れず自殺した事を知っても、グレッグへの殺意が薄れる事はなかった。

 毎週木曜日は“High&Dry”の定休日だ。 がらんとした店内で、鼻歌を歌いながら新作のカクテル作りに挑んでいたヨハンは、ふと物音を耳にして顔を上げた。

「やぁ!おはよう!」「おはようございます。・・えっと・・バー・・。」「バーロウさんなんて固い言い方しないでよ。ヨハンで良いって。」ヨハンは満面の笑みで、階段を降りてくる拓美に手を貸した。

この子がギルの命を狙っている?そんな馬鹿な・・。拓美に対する警戒心が全く顔に表れない様に細心の注意をはらいながら、ヨハンは明るい声で「今日は定休日なんだよ。だから、リーはいないんだけど・・・あ!でも安心してよ。君の朝飯なら俺が作るから。俺の作る飯は、かなりイケるぜ。」拓美はフッと微笑んで「じゃあ・・いただきます。」「おう!あ、そこら辺の適当なテーブル使っちゃってよ。ところで、昨夜はよく眠れた?」「はい。お陰様で。」ヨハンは冷蔵庫を開けて卵を3つ取り出してから、ガス台の方に向き直って作業をしつつも喋り続けた。

「そう。なら良かった!いや、昨日リーに言われちゃったんだよ。俺は女の子の扱いがガサツ過ぎるから、君を泣かせないか心配だって。全く失礼も良いとこだよな。あ、君、卵大丈夫?」「はい。」「良かったぁ!俺、卵料理が一番得意なんだよ。あ、それで話戻るけどさ、俺はね、基本的には女性に対してはすっげぇ優しいのよ。何故だと思う?世の中の女性は、りーみたいにガサツじゃないからさ。そう!俺はリーがガサツだから・・・。」 ヤバイ。こんなに早口で喋りまくるなんて、俺の態度は明らかに不自然だ。落ち着け、落ち着け・・・。

ヨハンは不意に口をつぐんで、それからはずっと調理の方に集中し始めた。拓美も、ヨハンに話しかける様な事はしなかった。

数分後、ヨハンは拓美に気づかれない様に小さくため息をつくと、気合いを入れて笑顔を作りながら拓美の方に振り返った。「お待たせ!!ヨハン様の特製オムライスの完成!」 続きへ