西条祭りの歴史

年表
概要
●天明6(1786)年/屋台12台 傘鉢1台
●天保13(1842)年/屋台19台 みこし4台(絵巻物19台 みこし4台)●明治35(1902)年/屋台23台 みこし4台
●大正14(1925)年/屋台29台 みこし4台
●昭和3(1926)年/屋台33台 みこし4台
●昭和9(1934)年/屋台36台 みこし4台
●昭和36(1961)年/屋台31台 みこし4台
●昭和40(1965)年/屋台30台 みこし4台
●昭和48(1973)年/屋台37台 みこし3台
●昭和54(1979)年/屋台42台 みこし3台
●昭和57(1982)年/屋台56台 みこし3台
●昭和60(1985)年/屋台69台 みこし3台
●平成元(1989)年/屋台75台 みこし4台
●平成12(2000)年/屋台77台 みこし4台

歴史
伊曾乃神社の御神輿を改修中に寛永2(1749)年再興の銘が発見され、寛永3(1750)年には、藩より「午お書きだし」とよばれる倹約令が出され、その中に祭礼の事も細かく制限されだんじりの事も記されている。寛延年間前後の屋台形成は不明。天保年間(1830〜)になると「西条花見事」に詳しく記され、刺繍、彫刻、染色、漆塗等で飾られた二重、三重の高欄(欄干)付きの精巧なだんじりであったことがわかる。
天明6(1786)年には中野村、福武村、大町北組、大町河原町、北町、魚屋町、中野町、大師町、東町、紺屋町、横町の屋躰、北川町の傘鉢、本町の御供養屋躰の13台が「御渡行列式」として記録されている。天保13(1842)年の西條誌には屋台23基、うち台尻19、みこし太鼓4とある。西條絵巻に描かれたたものは、中野村、福武村、北の町、川原町、永易、常心、喜多川、神拝、北町、横黒、栄町、魚屋町、中の町、大師町、新地、東町、紺屋町、上横町に本町の御供を加えてだんじり19台、みこしは中西、朔日市、喜多浜、喜多川、新町の5台、更に船だんじり1台と、ほぼ天保期の台数と一致する。

『雨夜(あまよ)の伽草(とぎぐさ)』「西条花見事」より
(嘉永元1848年)
15日には壬生子(うじこ)18カ村、大町、神拝、北川、樋之口、明屋敷、朔日市、永易、明神木、福武、千町、藤之石、荒川、中野、古川、安知生、洲之内、西田、その他、枝村御城下の町々より楽車、様々な造物に金銀を鏤めたるを出し…とある。

西条藩のだんじりのルーツ
西条にだんじりが登場したのは江戸中期。1700年の古文書が残る。京都の町衆が祇園祭を支えたのと同様に、西条地方の町衆や豪農が上方の祭礼にならって競いあって新しい風流が取り入れられたという流れ。
新居浜が初見。正徳元(1711)年、正徳3(1713)年、亨保元(1716)年、亨保2(1717)年の一宮神社文書等にだんじり(台車)の記録がある。元禄4(1691)年の別子銅山開抗から上方との交流が盛んになったため、だんじりも伝播したのではと考えられている。現在、新居浜には五台のだんじりが残っている。

日にち
藩政時代 旧暦の九月14.15日、明治時代になって十月31日、11月1日という記録がある。昭和初期には10月22.23日昭和15年に国弊中社に昇格してから10月15.16日となった。だんじりを引く時、御簾もおろしていた。

★伊曾乃神社/だんじり77台
神戸/1中野2山道34日明5薮之内6船形7中の段8東原9安知生10洲之内11奥之内
大町/12西之川原、13新田、14天皇、15沢(さお)、16常心上組(おおみなみ)、17常心中組(なかみなみ)、18北之町上組、19川原町、20西町、21中町小町、22下小川(しもこがわ)、23明神木、24登道、25北之町下組、26加茂町、27新玉、28駅前本通、29上小川(かみこがわ)、30地蔵原、31北之町中組、32清水町、33岸陰、34駅西大通(えきにし)、35朝日町、36南町、37若葉町、38錦町、39上喜多川
神拝/40上神拝、41古川、42古屋敷(こやしき)、43原之前、44吉原三本松、45新町、46栄町上組、47栄町中組、48栄町下組、49下町中、50砂盛町、51下町南、52川沿町、53喜多川、54御所通り、55若草町、56花園町、57上川原、58都町(みやこまち)、59西新町(にししんまち)、60富士見町、61八丁、62辯財天 、喜多川住宅
玉津/63玉津永易(たまつながやす)、64横黒、65市塚
西条/66喜多町(きたまち)、67魚屋町(うおやまち)、68松之巷(まつのこうじ)、69大師町(だいしまち)、70常盤巷(ときわこうじ)、71百軒巷(ひゃっけんこうじ)、72新地、73紺屋町(こんやまち)、74東町、75船元町(ふなもと)、76四軒町(しけんちょう)、御供本町
御輿/1中西、2喜多浜、3下喜多川、4朔日市(ついたち)
★石岡神社(いわおか)
土居、古町(ふるまち)、寺之下、西町、裏、下町、上町、西泉、上之川、坂元、北山、上之浦、新町、楢之木(ならのき)、末長、宮之下、新御堂(しみど)、新出(しんで)、久保、新兵衛(しんべ)、山道、尾土居(おどい)、西之原、大久保、蛭子(えびす)、朝日町
御輿/竹内、野々市
★飯積神社(いいづみ)
太鼓台/野口、下本郷、岸陰、飯岡本郷(ほんごう)、下島山上組(かみぐみ)、船屋、下島山下組(しもぐみ)、大谷
市内合計114台(子供用除く)  平成元(1989)年現在
★台車
昭和40年代に入り発達。中古自動車のスプリングを利用したものが改良されるなど、少人数での運行が可能になった。
★宮出し
車がついていない頃は、主に伊曾乃神社近辺のだんじりが行くだけだった。
★宮入り
藩政時代からのもの。明治、大正時代は中野屋台も東岸から静かに御神輿が川入りして渡り御神体を浄めて帰るだけだったが、明治以降は加茂川に大きな橋がなかったため、神戸の屋台は川を渡って帰った。
昭和44(1969)年に一銭橋の松は伐採され、昭和58(1983)年に伊曾乃橋が架けられた。
★提灯
藩政時代は提灯は四つのみ。あとは手に弓張提灯を持っていた。昭和40年代に中町小川が提灯枠を作り、百個近い提灯をつけて登場したことをきっかけに、流行した。
★三つ揃い
毛糸またはラクダのじゅばんとももひき、腹巻きを着用。この上にネルの腰巻き(白地に黒い線が入ったものが主流)を巻き、ひもできつく締め、上からモスの兵児帯等でしめる。足下は軍足の上から地下足袋。頭にはソフト帽をかぶる。首には町内揃いの手ぬぐいをかけ、法被などを羽織る。原形は明治、大正期にできあがっていた。戦後は乱れていたようだが、その後また支持されるようになる。法被だけは戦後入ったもので、仲間を見分けるためにという目的が最初。足下は、みこしは以前雪駄であり、昭和48年頃北浜が復活させていた。ソフト帽も。
(資料文献/西条市生活文化誌・西条市より平成三年四月発行)