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| ●天明6(1786)年/屋台12台 傘鉢1台
●天保13(1842)年/屋台19台 みこし4台(絵巻物19台 みこし4台)●明治35(1902)年/屋台23台 みこし4台 ●大正14(1925)年/屋台29台 みこし4台 ●昭和3(1926)年/屋台33台 みこし4台 ●昭和9(1934)年/屋台36台 みこし4台 ●昭和36(1961)年/屋台31台 みこし4台 ●昭和40(1965)年/屋台30台 みこし4台 ●昭和48(1973)年/屋台37台 みこし3台 ●昭和54(1979)年/屋台42台 みこし3台 ●昭和57(1982)年/屋台56台 みこし3台 ●昭和60(1985)年/屋台69台 みこし3台 ●平成元(1989)年/屋台75台 みこし4台 ●平成12(2000)年/屋台77台 みこし4台 歴史
『雨夜(あまよ)の伽草(とぎぐさ)』「西条花見事」より
西条藩のだんじりのルーツ
日にち
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★伊曾乃神社/だんじり77台
神戸/1中野2山道3楠4日明5薮之内6船形7中の段8東原9安知生10洲之内11奥之内 大町/12西之川原、13新田、14天皇、15沢(さお)、16常心上組(おおみなみ)、17常心中組(なかみなみ)、18北之町上組、19川原町、20西町、21中町小町、22下小川(しもこがわ)、23明神木、24登道、25北之町下組、26加茂町、27新玉、28駅前本通、29上小川(かみこがわ)、30地蔵原、31北之町中組、32清水町、33岸陰、34駅西大通(えきにし)、35朝日町、36南町、37若葉町、38錦町、39上喜多川 神拝/40上神拝、41古川、42古屋敷(こやしき)、43原之前、44吉原三本松、45新町、46栄町上組、47栄町中組、48栄町下組、49下町中、50砂盛町、51下町南、52川沿町、53喜多川、54御所通り、55若草町、56花園町、57上川原、58都町(みやこまち)、59西新町(にししんまち)、60富士見町、61八丁、62辯財天 、喜多川住宅 玉津/63玉津永易(たまつながやす)、64横黒、65市塚 西条/66喜多町(きたまち)、67魚屋町(うおやまち)、68松之巷(まつのこうじ)、69大師町(だいしまち)、70常盤巷(ときわこうじ)、71百軒巷(ひゃっけんこうじ)、72新地、73紺屋町(こんやまち)、74東町、75船元町(ふなもと)、76四軒町(しけんちょう)、御供本町 御輿/1中西、2喜多浜、3下喜多川、4朔日市(ついたち) ★石岡神社(いわおか) 土居、古町(ふるまち)、寺之下、西町、裏、下町、上町、西泉、上之川、坂元、北山、上之浦、新町、楢之木(ならのき)、末長、宮之下、新御堂(しみど)、新出(しんで)、久保、新兵衛(しんべ)、山道、尾土居(おどい)、西之原、大久保、蛭子(えびす)、朝日町 御輿/竹内、野々市 ★飯積神社(いいづみ) 太鼓台/野口、下本郷、岸陰、飯岡本郷(ほんごう)、下島山上組(かみぐみ)、船屋、下島山下組(しもぐみ)、大谷 市内合計114台(子供用除く) 平成元(1989)年現在 ★台車 昭和40年代に入り発達。中古自動車のスプリングを利用したものが改良されるなど、少人数での運行が可能になった。 ★宮出し 車がついていない頃は、主に伊曾乃神社近辺のだんじりが行くだけだった。 ★宮入り 藩政時代からのもの。明治、大正時代は中野屋台も東岸から静かに御神輿が川入りして渡り御神体を浄めて帰るだけだったが、明治以降は加茂川に大きな橋がなかったため、神戸の屋台は川を渡って帰った。 昭和44(1969)年に一銭橋の松は伐採され、昭和58(1983)年に伊曾乃橋が架けられた。 ★提灯 藩政時代は提灯は四つのみ。あとは手に弓張提灯を持っていた。昭和40年代に中町小川が提灯枠を作り、百個近い提灯をつけて登場したことをきっかけに、流行した。 ★三つ揃い 毛糸またはラクダのじゅばんとももひき、腹巻きを着用。この上にネルの腰巻き(白地に黒い線が入ったものが主流)を巻き、ひもできつく締め、上からモスの兵児帯等でしめる。足下は軍足の上から地下足袋。頭にはソフト帽をかぶる。首には町内揃いの手ぬぐいをかけ、法被などを羽織る。原形は明治、大正期にできあがっていた。戦後は乱れていたようだが、その後また支持されるようになる。法被だけは戦後入ったもので、仲間を見分けるためにという目的が最初。足下は、みこしは以前雪駄であり、昭和48年頃北浜が復活させていた。ソフト帽も。 |