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☆私の過去☆
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( 暗いか、明るいか、本人に自覚ナシ! )


学びの過去

  19××年〜××年  中学・高校は一貫教育の某女子校で過ごす。

  19××年〜××年  私立 平安女学院短期大学 英文科秘書コースへ2年半通う。
                  (留年じゃないよ、休学してたんだ)

  19××年〜 98 年  私立 慶應義塾大学 法学部乙類(政治学科)通信教育課程。
  (1998年1月8日提出 卒業論文)  韓国のさまよえる「新世代」−あらたなる日韓・韓日関係をめざしてー
 
  2000年〜        韓国 延世大学校 大学院 社会学科 修士課程在学中


労働の過去

  19××年〜××年  某 芸能人事務所で付き人として働く。

  19××年〜××年  リクルートで制作マンとして、就職雑誌『とらば〜ゆ』『Being』などの求人広告を作る。
                 ※在職中に慶應に入学し、学生との二足のわらじ生活が始まる。
                 ※またこのとき日曜だけ予備校で英語の講師を始める。

  1993年〜        フリーとしてライター生活を始める。(リクルート、小学館など。)
                 ※このときから東大で、もぐり学生および研究室のアルバイトを始める。

  1994年         ちょっとだけ昔の芸能人の事務所に戻り、秘書として働く。

  1994年〜97年    東京大学文学部大学院人文社会系研究科研究室で教授秘書として働く。

  1998年         日本サムスンで働く。

  1998年5月〜     韓国「ナヌムの家」で外国人初の住みこみボランティア。

  1999年〜2000年  日本サムスンで働く。


恥かき、もとい、
お字書きの過去

  19××年      JR西日本エッセイコンテストで銀賞。
                数ヶ月間、西日本地区のJRの車内および駅構内に名前が掲載される。

  1998年〜99年  『月刊家族』で「わたしはナヌムの家のイソーロー」5回連載
               タイトルは私が出したのを編集部で勝手に変えたりしていて、不満のあるのもあるので、
               ここには書きません。一応、該当号は、
               第一回150・151合併号、第2回152号、第3回153回、第四回154号、第5回155号

  1998年〜      『くらしと教育をつなぐ We』で連載
                ※98年は投稿扱い、99年より「残された時間のなかで」として連載中
「ただいま「ナヌムの家」で、イソーロー中」 1998.7/8 第7巻第5号(通巻65号)
「アナタは被害者、ワタシは加害者?ー日本軍「慰安婦」問題をめぐる韓国社会との葛藤」 1998.10 第7巻第6号(通巻66号)
「ジャーナリズムによる“強姦”と周囲の反応-日本軍「慰安婦」問題をめぐる韓国社会との葛藤(2)」1998.11第7巻第7通巻67
「韓国の中の「良心的日本人 ー日本軍「慰安婦」問題をめぐる韓国社会との葛藤(3)」 1999.1 第7巻第9号(通巻69号)
「新たなる私の挑戦 ー日本軍「慰安婦」問題をめぐる韓国社会との葛藤(4)」 1999.2/3 第7巻第10号(通巻70号)
「韓国人の「母」、日本人の「父」 ー残された時間の中で(1)」 1999.5 第8巻第2号(通巻72号)
「タイム・スリップ ー残された時間の中で(2)」 1999.10 第8巻第6号(通巻76号)
「おばあちゃんのいる風景」(インタビュー) 1999.11 第8巻第7号(通巻77号)

  1999年      「韓国・新世代のさまよえる日本観(前編)」 『Let's』22号、日本の戦争責任資料センター
                 ごめんなさい。まだ後編を書いてない(ヤバイ!!)





ただいま作成中!
もうしばらく、笑いをこらえてお待ちください!!