| 西暦 | 年号 | 将軍 | 天皇 | 出来事 | 風俗・文化 |
| 1600 | 慶長五年 | 後陽成 | 豊後にオランダ船豊後にオランダ船リーフデ号漂着 オランダ、ロッテルダムの東方貿易会社の探検船、 豊後国の臼杵湾に漂着。 水先案内人 ウィリアム=アダムス(日名:三浦按針) 航海士 ヤン=ヨーステン(日名:耶揚子) 関ヶ原の戦い |
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| 1603 | 〃八年 | 徳川家康 | 徳川家康が征夷大将軍となる 全国の諸大名に江戸城と市街地造成と、 国単位に国絵図と郷帳の作成を命じる 全国の支配者であることの証とした 郷帳とは一村ごとの石高を郡単位で記載し一国単位に まとめた台帳のことをいう |
出雲の阿国、念仏踊りを演じる | |
| 1604 | 〃九年 | 糸割符制度を創設 家康、松前氏(蛎崎氏が近世になり改称したもの)にアイヌとの 交易独占権を保証する |
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| 1605 | 〃十年 | 徳川秀忠 | 徳川秀忠将軍宣下をうける これにより将軍職世襲性を知らしめた |
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| 1607 | 〃十二年 | 朝鮮使節(通信使)が初の江戸入り 角倉了以が富士川の水路を開く |
林羅山が幕府の儒者となる | ||
| 1609 | 〃十四年 | 島津家久により、琉球に出兵 この時捕らえられた琉球国王は尚寧 朝鮮との間に己酉約条(慶長条約)を結ぶ ドン=ロドリゴ、上総に漂着 オランダの平戸貿易が始まる(オランダ人に通称許可) |
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| 1610 | 〃十五年 | 家康は田中勝介をノビスパンに派遣 京都の商人田中勝介は通商要求と鉱山技師の派遣を 求めて渡航(アメリカ大陸に最初に渡った日本人とされる) ノビスパンとは現在のメキシコ |
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| 1611 | 〃十六年 | 後水尾 | 田中勝介が帰国、答礼使ビスカイノが来日 交渉は失敗に終わる ビスカイノの狙いが日本の南太平洋上の金銀島にある、 金銀の採掘だったということで、家康は彼を冷遇する |
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| 1612 | 〃十七年 | 幕府、直轄領(天領)に禁教令 | |||
| 1613 | 〃十八年 | 禁教令、全国に布令 イギリス人、肥前の平戸に商館を開く(イギリス人に通商許可) 伊達政宗の命で支倉常長が渡欧(ルイス=ソテロが同行) これを慶長遣欧使節という この船に乗りビスカイノは帰国 |
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| 1614 | 〃十九年 | 宣教師・高山右近らをマニラ方面に追放 右近らは改宗を拒否したキリシタン大名(もと高槻城主) 大坂冬の陣 方広寺鐘銘事件が発端だという |
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| 1615 | 元和元年 | 大坂夏の陣 豊臣氏滅亡 一国一城令の布令 大名の居城を一つに限らせた 領内の支城を拠点として大名と対抗するような有力武士を 弱体化させる効果もあった 武家諸法度(元和令)の制定 家康が金地院の崇伝(以心崇伝、世に「黒衣の宰相」と呼ば れる)に起草させ、秀忠の名で発布 大名の心得るべき基本法として将軍の代替わりごとに発した 禁中並公家諸法度を制定 朝廷統制の基準を統制 |
宗派ごとの寺院法度 | ||
| 1616 | 〃二年 | 中国船以外の外国船の来航を平戸・長崎に制限 | |||
| 1617 | 〃三年 | 日光東照宮造営 | |||
| 1622 | 〃八年 | 長崎で宣教師・信徒らを処刑(元和の大殉教) | |||
| 1623 | 〃九年 | イギリスは平戸商館を閉鎖して退去 オランダとの競争に敗れた |
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| 1624 | 寛永元年 | 徳川家光 | イスパニア(現スペイン)船の来航を禁止 | 桂離宮完成 |