アメリカでの生活

 

 「私は何をするべきですか?彼らの為に、そしてあなたの為に、私は何もする事が
出来ない・・・・・」
 
 私がそう言うと、彼女はこう答えた。
 
 「あなたは何もする必要ない。私はあなたが好きだし、彼らも、きっと。だから何も
しなくていい。」
 
 5月15日、その日は私の誕生日だった。そして、又、2学期の終わりの日でもあった。
1度、寮から出なくてはならない為、夏のクラスが始まるまでの約2週間、私は友達の家
に泊めてもらうことになった。行き場がなくて困っていた私に、「ウチに来ればいい。私の
夫は、夕方から夜中にかけての仕事だから何も心配しなくていい。」と言ってくれた彼女
の名前は、Yadira(ジャディラ)。旦那さんと子供がいる。
友達の家に行く、と決まった時に、私には1つだけ覚悟しておかなければいけない事が
あった。自分のパソコンが使えなくなるという事。日本に居る家族・友達とを繋いでいる
パソコン。それが使えなくなるというのは、どんなに辛い事か・・・。”留学”というのは孤独
との、自分との戦いだという事を思い知らされる。案の定、友達の家に来てから3日目、
ホームシックで泣いた(笑)
 アメリカにもcomputerは沢山あるのに、中には”日本語”という言葉自体を受け付けない
ものがある。大学のcomputerも、日本語が表示されるものと、全く表示されないものがあ
る。大学の図書館のcomputerは全く日本語が表示されなかったので、先生に頼んで、1台
だけ日本語が見れるようにしてもらった。
 
 さて、話は戻り、友達の家で。私の部屋は地下にある1室。「地下」って言ったらどんな
想像をする?いつも湿気があって、薄暗くて・・・?そう思っていたのは私だけ?アメリカの
”地下”は2階建ての家の1階部分が地下にあるだけ。ほら、竜巻とか来た時の避難場所に。
彼女の家は地下に、おっきなおっきなテレビがあるんだ。初めて見た時、”わぁお!!
Movie theaterみたい!!”って思った。旦那さんの仕事がない週末の夜は、DVDを借り
てきて、映画を見て過ごすんだって!!音声も映画館みたいに変えられるから、本当に
映画館に行った気持ちになるんだ。私も、毎晩って言って言いぐらい、ソコで映画を見せ
て貰ったよ!!でも・・・私のパソコンは接続不可能、友達のパソコンは日本語を拒否。
私はホームシックになった。
 
 3日目の土曜日、Yadiraと私の共通の友達、Mariaの誘いで教会に行った。Mariaは
私よりもずっと年上で、彼女も又、旦那さんと子供がいるの。
 教会に行った日の夕方、私はホームシックに襲われてしまった。泣いてた私を、Yadira
は公園に連れ出した。そこで偶然、Maria’s familyと会う。Mariaの娘、サラと遊んで
(遊んでもらって?)少し浮上した私。と、突然、Mariaが「Are you happy?」と聞いて
きた!!私は、ついさっきまで悲しかったけど、サラと遊んで少し浮上した事を話す。
 季節が夏に変わりつつあるアメリカは夜の9:00近くまで明るいの!!8:00過ぎ、そろ
そろ帰る時間だと、だだをこねるサラを説得するMaria。その時、YadiraとMariaが母国
語のスペイン語で話を始めた!!(2人での会話はいつもスペイン語)そこに加わったの
がMariaの夫であるMario。彼も母国語はスペイン語なんだ。全く分からない会話をただ
聞いていた私だけど、”サチ” ”インターネット” ”e−mail”の3つの言葉から何の話なの
か大体分かった。私のパソコンの事だ。心配をかけたくないと思い、「私は大丈夫だから。
心配しないで」と彼らに言うと、Marioはこう言った。
 
 「ダメ。大丈夫じゃないよ!!もし、私に助けられる事であるのなら、私はあなたを助け
たい。その為に、私はココにいる」と。
 
 私は大丈夫だと思った。もう泣かないと決めた。でも、その言葉を聴いた瞬間、私の決
心は跡形もなく消えてなくなった。涙が一気に溢れる。空を見上げ、辺りを見回し、涙を止
めようとした。が、止まらない・・・。サラが見ている。サラが怯える。止めようとする気持ち
とは反対に涙は、後から後から出てくる。「ごめん」それを言うのがやっとだった。
 
今度こそ、今度こそ泣くのはコレが最後。私は自分に言い聞かせた。
 
 
 
 このページはホントの最初の部分。これから、もっと聞いてもらいたい事が出てくるんだ。
だから、長くなるけど、どうか最後まで読んで下さい。