19世紀後半から、マラヤ(マレー半島)でスズ鉱山とゴム農園の開発ブームが おこり、その労働者として中国、インドから多くの移民が入ってきた。 シンガポールはマラヤ産品の集散地、マラヤを含む移民コミュニティの中心地 となってますます発展した。 シンガポールへの移民は、19世紀後半から急増して、20世紀前半にはさらに増 えた。 20世紀前半には、シンガポールの人口は20万人を超え、民族別では、華人(中 国からの移民)が75%、インド人(南アジアからの移民)が6〜7%、 マレー人(東南アジアからの移民)が15%で、現在も大体この比率になっている。 移民たちは、民族別にコミュニティを形成しそれぞれの言語・宗教・文化を 守って生活したので、シンガポールは多様な人々が融合せずに 共存する「複合社会」となった。 当時、シンガポールを植民地にしていたイギリスの植民地政府は、 英語で教育を行う学校(英語校)を開設して、共通の言語・文化の普及を図ったが、 英語校の生徒は比較的少なかった。 華人・インド人コミュニティは、それぞれ独自の学校を 立てて子供たちを教育したので、移民2世になっても複合社会状況は継続した。 1970年代には、経済発展により国民生活にゆとりができた。 ほとんどの子どもが英語校に行くようになり、80年代初めには タミール語校、マレー語校が、86年には、華語校が消滅した。 国民統合が達成された後、政府は格コミュニティの伝統が 失われることを心配し、民族別にそれぞれの言語を必修とする 2言語教育を実施すると共に、それぞれの伝統文化を奨励する政策をとっている。
