<宗教>の誕生(2)
私たちがごく当たり前のように使っている包括概念としての「宗教」は、たかだか100年の歴史すら持っていません。この語が、仏教以外の宗派・教派を指し示す包括的な概念として用いられるのには、明治32(1899)年の「宗教法案」をめぐる論争を経る必要がありました。法制上の術語として「宗教」が流布し始めたことの意味は決して小さくはありません。「宗(最も大事なこと)とする教え」を意味する仏教者の用語として用いられていた語が、西欧語の「レリジョン」の訳語にあてられた、などと単純に言ってすませる訳にはいかないのです。
明治30年代に、西欧文明との対質を通じて日本人の認識に根本的な配置換えが生じたことは多くの人が指摘していますが、「宗教」もその例外ではありません。例外でないどころか、100年前の世紀末日本に起こった一連の「言語革命」の中でも、その後の日本人に与えた影響という点で深刻かつ甚大なものがあります。
「宗教」という語は、自分の帰依する教えを意味する仏教者の言葉でした。そこには自分の信仰とは異質な信念・信憑に対する視点は全くありませんでした。けれども、「宗教法案」をめぐる論争を通じて、仏教・神道・キリスト教とを同一の地平で俯瞰する眼差しを日本人は獲得し始めたのです。こうした眼差しは、幕末に「レリジョン」の訳語にあてられた時すでに芽生えてはいました。しかし、それは一部の開明派の知識人の間でしか流通しませんでした。個別の宗派・教派を超えてそれらすべてを捉える超越的な視線は、「宗教法案」論争を通じて日本社会に定着するに至ったのです。
明治30年代以降、日本人は包括的な概念としての「宗教」という観念を受け入れます。しかし、それは国家による統制という契機によって可能になったことを忘れてはならないでしょう。「宗教」という語を日本人が口にする時、そこには国家による統制に服するものだという暗黙の了解があります。この了解は、当然のことながら、そうではない超越性への処し方を「淫祠邪教」として排除する眼差しを含んでいます。
「宗教」という観念の流通により、日本人は超越性に対する個別性を超えた超越的な眼差しを獲得します。が、その超越的な眼差しは、国家という個別性を超えた装置を経由して可能になったものであり、管理・統制という視点を合わせ持った眼差しなのです。
初出:『ばるんが通信』第18号、1996年9月23日発行、第6頁
段落ごとに改行した他は、ほぼ原文のまま再録しました
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