2002/08/29(木) 宮崎駿アニメにおける「地下迷宮」の魅力〜蘇生都市(4)〜
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私のHPの掲示板にて、宮崎駿氏について論争めいた書き込みが増えてきました。いろいろな争点がある中から、「都会と自然とを非分離に捉える思考の欠如」の問題について私見を述べてみたいと思います。

私の正直な感想を述べるならば、宮崎氏は「評価の難しい方」です。
(この点では、私の中では「柄谷行人」に匹敵する存在です。)

宮崎氏は、日本の森林のほとんどが江戸時代以降の植林事業によって作られた「人工自然」だということを充分認識していながら、アルカイックなイメージを森林に対して過大に付与してしまうところがあります。「トップ・ランナー」(NHK)での発言でも、この人の感性は汚わいをも資源に変えてしまう「都市の雑食性」に基盤があるのかと思うのですが(「ルパン三世」にそのような感性が時々あらわれていたような・・・)、「ナウシカ」以降の作品では、「自然の人工性/都市の自然性」なんか眼中にないような、思想的にはとても承服できないような性格が目立ってきています。

自然と文明とを「非分離」に捉えることのできない限界が露呈してしまっています。実はマルクスの「全自然史的過程」という考え方には、宮崎駿的な自然・都市観を超え出るような発想に満ち溢れています(これを明らかにしたのが「初期吉本隆明思想」の功績の一つ)。でも、「マルキストの残骸」みたいな方々には、このようなマルクス・オリジンの考え方はまったく届いていないみたいですね。

「アルプスの少女ハイジ」の中で、都会に暮らすようになったハイジが生活になじめずにノイローゼみたいになる話がありました。しかしそれは、生活環境の急変から山暮らしの懐かしさが昂じてそうなった、というような描き方がなされていたように記憶しています。「ハイジ」の中では都会であれアルプスの山の中であれ、それぞれの場所に暮らしている人々の生活がしっかりと描かれていました。どんな場面であれ、この「人々の日々の暮らし」をきちんと描いているところが、あの頃の「世界名作シリーズ」の魅力の一つでした。

「人工的なものに対しての否定感」がはっきり出てくるのは「未来少年コナン」からではないかと思います。田園生活の牧歌的な豊かさ・素晴らしさが描かれる一方で、それを侵略しようとする工業都市・インダストリアが悪魔的なまでに否定的に描かれていました。

ただ私が注目したいのは、インダストリアの地下の描き方ですね。その迷路のような構造は自分の所在が不明な恐怖心を伴う一方で、鬼ごっこしているような軽やかな楽しみに溢れていましたね。地下生活者たちのたくましい生活ぷりも実に魅力的でした。まるでジャングルを探検しているような楽しさでした。これは都市の先端的な部分が「アフリカ的」なものに近づいていっているという、「後期吉本隆明思想」ともつながってきます。

この恐怖と快楽とを合わせ持った「地下迷宮的世界」は、「ルパン三世・カリオストロの城」を経て「ナウシカ」での「腐海」のイメージにたどり着きました。それを何故、再生されるべき都市のイメージに投げ返さないのか、私には理解できないのですが。

まあ、これは私自身が宮崎氏から触発されたイメージを基に、これから考え抜かなければならない課題なのでしょうけどね・・・
2002/08/30 (金) 02:00


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