音楽的無意識(1)
小室サウンドと音楽テクノロジーの現在
ここ数年の小室哲哉のヒットチャートの席巻ぶりに関しては、音楽を創造する立場の人々からの猛烈な反発を招いているが、その多くは単なるやっかみや妬みでしかない。だが、かつてYMOのシンパだった人たちにとって小室は<背教者>にも等しい存在のようであり、当然批判も手厳しい。クラフトワークとナチズム、YMOと人民服。画一化と強迫神経症的な反復のもたらす恍惚と陶酔に裏打ちされたテクノ・ファシズムとぎりぎりのところで発揮されたアイロニカルな批評性を反転して、マスメディアと結託した大衆操作のやり口がどうしても許せないのである。だが、こうした批判は、小室の関わった音楽が驚異的なセールスを記録し続けているという端的な事実に拮抗できるだけの力が本当にあるのだろうか。音楽はこうあるべきだという規範的な議論をいったん棚上げにして、小室が進展させた音楽テクノロジーのあり方を注視する必要があるのではないだろうか。
テクノ・ミュージックには、電子音楽から継承した実験音楽的な側面があり、ハードの進歩がポピュラー・ミュージックの革新と直結していた蜜月時代が20年ほど続いた。だが、サンプリングが普及したあたりでテクノロジーの飽和点がやってきたように思う。技術革新と音楽の革新とがダイレクトには結び付かなくなったのだ。アナログシンセの再評価がそうした転換点を象徴しているように、時代は革新よりも過去の様式の引用と折衷を愛好するようになった。音楽テクノロジーが開拓したフロンティアは内旋し、テクノはわずかな差異を強調する際限のないジャンルの細分化に邁進するようになった。
YMO散会後しばらくして、大手広告代理店が分衆もしくは少衆をマーケティングのキーワードとして提起したことがあった。高度消費社会が趣味嗜好の多様化=細分化を招き、マス・マーケットの解体を進行させていることに危機感を抱いた論であったが、90年代テクノの際限のないジャンルの細分化は、音楽市場の細分化の極端な例である。小室サウンドは若い層に限定されてはいるが、細分化による分断を超えたマーケットを獲得している。この意味では、現代テクノの内閉的な性格とは異なるしたたかさを小室は持ち合わせているといえよう。小室のヒットがタイアップによるものであることは自明であるが、マーケティングを音楽テクノロジーの核に据えたという点に、テクノの実験性の継承がある。大衆の欲望を喚起し誘導するマーケティング・テクノロジーを音楽に取り込んだのである。
小室のイノベートした音楽テクノロジーは、分断された音楽市場を再統合することに現時点で最も成功している。このことは率直に認めなければならない。そしてそれは、かつてテクノ・ポップの持ち合わせていた批評性とは一切無縁で、マーケティングが音楽テクノロジーを席巻している現状のまったき肯定のみから成り立っている成功である。
初出:『月刊モダンビーム』第3号、1997年10月
段落ごとに改行した他は、ほぼ原文のまま再録しました
(C)1997,2002 Yoshiaki Miyano 音楽的無意識リストへ TOPへ