音楽的無意識5
ポケットモンスターの光を浴びて
数年前に網膜を患って以来、強い光刺激にめっきり弱くなってしまった。それが、運悪く例の『ポケットモンスター』の放映を見ていたのだからたまったもんじゃない。チカチカする光を浴びて一瞬くらっとめまいがしてして、不快な残像にしばらく悩まされるはめになった。不幸中の幸いといおうか、問題のシーンの数分前に電話がかかってきて、雑談しながらの状態だったから、画面に集中しなくてすんだのだけど。
ポケモンといえば実のところ、中沢新一氏の近著『ポケットの中の野性』で仕入れた知識しか持っていない。それにしても、「オウム真理教」の事件といい、このポケモンの事故といい、中沢大先生の関わるものは、どうしてこう人騒がせなんだろう。それはたぶん、この世界の背後にあってこの世界の活動を支えている<危険な力>に対して、無防備なまでに中沢の感性(陥穽?)が開かれているからなのだろう。直接知覚したり、世の常識として教えられている以上の広がりと奥行きを、この世界が持っているだろうという予感や直観を抱きながらも、私たちは世の常識なるものに寄り添いながら生きている。私たちの経験の地平を閉ざそうとしてはりめぐらされた日常性の強大な陰謀に抗して、未知の領域に触れること。この無防備なまま体験すると命を落としかねない力との接触に方向付けを与えるのが、かつての宗教的実践であり、現代ではアートだと中沢は考えているのだろう。
中沢が下敷きにしているハイデガーの『技術論』によれば、技術の本質は自然を挑発して隠された力を露にすることにあるという。その挑発の仕方が性急に過ぎる現代の科学技術の問題が、原子力やバイオテクノロジーに典型的に現れているのはいうまでもない。しかし、より深刻な問題は、テクノロジーが私たちの身体的能力を拡張すると同時に、私たちの身体に埋め込まれている内なる自然のメカニズムをも挑発して過剰に反応させてしまうことにある。
昨年見たライブの中で、テクノロジーが挑発する危険な力を最も露に表現していたのは、秋の千葉大学大学祭で出会った「テレビくん」なるユニットであった。クラフトワークの問題作『放射能』を連想させるアナログ・シンセのモノトニアスなトラックを背景に、ステージの上でベーシストが歌いあげるのは、テレビなしには生きていけない孤独で内閉的な青年のモノローグであった。ステージの真下では、もう一人が何も映っていないテレビの画面を見つめながら煙草をスパスパ吸っている。その煙が、ストロボのチカチカ点滅する光と溶け合って、大いに幻覚的な効果をあげていた。ライブが終わってもしばらく視界から残像が消えなかったのではあるが、ポケモンの時とはまったく異なり心地よい体験であった。それはライブという非日常的な世界での出来事であり、お茶の間の日常でテクノロジーの露にする危険な力にさらされてしまうのとは、体験する側の構えが違ったからだろう。アートに挑発されるのは大いに結構だけど、時と場所を選ばなきゃ、中沢先生!
初出:『月刊モダンビーム』第7号、1998年2月
段落ごとに改行した他は、ほぼ原文のまま再録しました
(C)1997,2002 Yoshiaki Miyano 音楽的無意識リストへ TOPへ