音楽的無意識9

工事現場のピアノ・レッスン

工事現場でのピアノ演奏を収録した竹中工務店制作のCD『ビヨンド・モダニズム』は、マイケル・ナイマンとジョン・ケージの組み合わせが提示する対照により、実に興味深い。

予め断っておくと、独自に開発したという録音システムのせいなのか、「工事現場」というシチュエーションから連想する、けたたましい騒音は一切入っていない。1曲目のマイケル・ナイマンの「水の踊り」(1985/89) は特にそうで、2台のピアノの演奏以外に聴き取れるのは、カメラのシャッター音のような軽い金属音ぐらいなものである。これは、ミニマルな反復を繰り返すピアノの音に圧倒されて、ノイズが自己主張する隙間がまったく無いせいである。ここにあるのは、音を楽音とノイズに分節した上での前者による後者の制圧・排除というおきまりの図式である。ここで聴いていて顕著なのは、鉄骨やコンクリートに乱反射して金属的に変容した残響のいびつさであり、スタジオやコンサート・ホールでの録音に慣れた耳には実に奇妙な響きである。音響的に調整されたコンサート・ホールで音楽を「鑑賞」するようになったのは19世紀半ば以降のことで、コンサート・ホールでの演奏により、作曲家と聴衆が演奏者を介して一対一で向き合うことが初めて可能になり、「音楽」が表現としての自立性を獲得することになった。聴衆を当初ひきつけたのはリストやパガニーニ等の名人芸的な演奏者=作曲家である。工事現場での演奏は、非西欧的な装いにもかかわらずナイマンが初期ロマン主義音楽の正統な後継者である(だからミーハーな女の子にもウケる!)ことを、極めてアイロニカルな形で示したといえよう。

ジョン・ケージの「冬の音楽」(1957)は、作曲過程や演奏形態に不確定性を導入した作品で、ここでは工事関係者を含む20人で演奏されている。ところが、実際に聴こえる楽音の数は2台のピアノによる「水の踊り」よりもはるかに少ない。20人がまばらな間隔で不協和音を散発的にかき鳴らしているためであるが、当然その分だけ背景のノイズが引き立つものとなっている。ヘッドホンで聴くと特にそうで、現場を出入りする車両の音など実に心地よく、ピアノの打鍵音すらまるで工事現場の作業音のごとく聴こえてくる。「楽音/ノイズ」秩序の逆転どころか、非決定性による両者の一体化、ひいては分節以前の「音そのもの」の快感に出会うことができるのだ(これはスノッブな男の子にウケる!)。

両者を聴き通してみると、ナイマンの音楽は作曲家→演奏者→聴衆のヒエラルキーを前提にした近代的聴取主体という意味での「人にやさしい音楽」であり、ケージの音楽はこのような閉じた関係性から排除されてしまっている「環境にやさしい音楽」であるという対照が浮かび上がってくる。前者は音楽のモダニズムの図式そのままであるが、後者は前者を「前提」にしているという微妙な位置にある。ポスト・モダニズムの原理的な困難さはここに起因しているのであって、このことは「環境音楽」と称するものの大半が単なる口当たりの良いイージー・リスニングでしかないことに端的に現れているのだ。


初出:『月刊モダンビーム』第12号、1998年7・8月
段落ごとに改行した他は、原文のまま再録しました




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