音楽的無意識14
1978年の喜多郎
思い起こせば1980年という年はとても不思議な一年でした。テレビではニューウェーヴの特集が組まれ、パチンコ屋では「軍艦マーチ」の代わりに「テクノポリス」や「ライディーン」がかかり、喫茶店に行けば『シルクロード』がかかりまくっていたのですから。今、YMOと喜多郎とを同列に扱う人は少ないし、ましてや喜多郎の方が音楽的に革新的だった瞬間が存在したことを記憶する人はいないと思います。でも確かにそのような瞬間は存在したのです。少なくともその可能性だけでも……
喜多郎が『天界』にてソロ・デビューを果たしたのは1978年6月。続く『大地』は翌年3月に発売されていますから、実質的に1978年に2枚のアルバムを制作したことになります。(ちなみにYMOのデビューは1978年11月です)
実は、つい最近になって『天界』をCDで聴き直してみたところ、アナログ盤でははっきりとわからなかったことに気付きました。それは何かというと、一曲一曲が曲として完結した形で成立していないことです。たとえば、前の曲のリズムが残ったまま1分半ぐらいたって次のリズム・パターンが始まったかと思うと、1分ぐらいでそれも消えてまるで関係のないメロディーが展開して、そのまま次の曲になだれこんでいく。そんな箇所が至るところにあるのです。これはCDの何曲目の何分何秒という表示があって初めて気付いたことでした。
どうしてこのような支離滅裂な構成の音楽が世に出ることができたのか、とても不思議に思ってシルクロード・ブームの時にでた本を読み返してみました。それでわかったのは、いくつもの曲を再編集して重ね繋いでいった、いうならばコラージュ的な手法でこのアルバムが制作されたということです。ソロ・デビューが決まって富士の麓に籠もって作ったのは、どれもLP一面に入り切らないようなとりとめのない長大な曲ばかりだったのです。これは、シンセサイザーという、当時海のものとも山のものともつかなかった未知の楽器を使うにあたって唯一参考にしえたクラウス・シュルツの音楽が、同じパターンを延々と繰り返すミニマリズムの極致のような作風だったのに影響を受けたのだと思います。ドイツだったら一面一曲で出すことも可能だったのでしょうが、幸か不幸か日本ではそうもいかず、ビーチ・ボーイズやファウストばりの切り貼りの不定形な音楽が誕生したというわけです。
二作目の『大地』にも、このような未完結のまま繋がっていく不思議な魅力は引き継がれています。同時に、限られた時間内に曲を納め切る努力も行なわれていたようで、最後の「ニュー・ライツ」なる曲では、タンジェリン・ドリーム風の曲を8分程に見事にまとめ切っています。この曲でつかんだのであろう構成力は続く『オアシス』(79年10月)で見事に結実し、このアルバムを聴いたNHKのスタッフの依頼であの『シルクロード』制作が始まるのです。こうして喜多郎はニュー・エイジの代表格として世界に羽ばたいていったのですが、それと同時にあの未完結の魅力は永遠に封印されてしまったのでした。
初出:『月刊モダンビーム』第16号、1998年12月
段落ごとに改行した他は、ほぼ原文のまま再録しました
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