お葬式事情


ピコラおじいさん、もう少しで92歳というところで天に召されました。合掌。

ビビアンはシンガポールに来てから4回お葬式に出ました。


第一回目:最初に住んだアパートのオーナーの場合

心臓が悪いのに、前日ラムチョップを食べて心臓麻痺で亡くなったオーナー。クリスチャンだったので、シンガポールカスケットという葬儀場と焼き場(多分)が一緒になったところでお葬式。割と小さな部屋にお棺が安置されていて、その周りをぐるりと挨拶のため回る。シンプル。

第ニ回目:たまさんのおばあさんの場合

年齢がかなり高かったのと、脳こうそくの後遺症で長い間闘病されていた。ご本人がローマンカソリックの信者だったので、キリスト教のお葬式。HDBの下のヴォイドデッキを1日70ドルで借り、遺体を安置。そのまわりには花環や花が飾られている。参拝客は円卓があるので、そこでピーナツを食べながら談笑。ケータリングもあるし、宗教が違うだけで、仏教のお葬式と基本は一緒。あくまでも基本は。

第三回目:ピコラのおじさんの奥さんの場合

白血病の長い闘病後、天に召される。潮州会館という屋外の大きな葬儀場のようなところ。両隣りもシートで仕切られているだけで、お葬式をやっていた。ここでは隣でやっていた道教のお葬式に目が釘付け。不謹慎ではあったが、隣のお葬式をずっとみていた。道教は生まれることも、死ぬことも、それは嬉しいこと、幸せなことだから賑やかに見送ろうという考えの宗教。鉦や太鼓でがんがん音を出す。道教のお坊さん?が踊りまくる。刀を振り回したり、帽子の上についた赤い玉をとったり、はずしたりしながら、とにかく踊る。その間ガンガン演奏?は続いている。更に、火を吹いた!この貴重なシーンはシートにかくれて見えなかったが、たいまつと、消えた後の煙りはしっかりみた!葬式にジーン・シモンズが登場するとは、誰が想像しただろうか?ちなみにお坊さんたちは派手な黄色の衣装を着ている。とにかく派手でうるさい。よく死んでられると思ってしまった。普通なら起きるって。

第四回目:ピコラのおじいさんの場合

あまり大病もせず、健康で、亡くなる一週間前に突然倒れてから一度も意識が戻らずの大往生。さて、お葬式は日本だと家族の宗教で選ぶものなのだが、ピコラ家は無宗教と言えるほどなので家族会議で何にしようかと決めたらしい。おばあさんの時が道教で、あれはうるさかったから今回は仏教にしておこうという結論が出て、今回は仏教式で執り行われることになった。おじさんの一人が自分の知り合いがたくさん来るので通常のお通夜2日では足りないから4日にしてくれとリクエストを出し、じゃ、そういうことでとお通夜が4夜、お葬式で1日の合計5日になった。

*お通夜*
初日は新聞の死亡欄に出ていなかったので、思ったほどの参拝客は来ない。円卓に白いビニールシートをむすびつけて、紙皿の上にから付きピーナツとカボチャだか、なんだかの種、飴、赤い仕付け糸を盛りのせておく。ケータリングもあるので、お客さんはお参りをしたら席について雑談し、食べて帰る。飲み物は水のパックやら、ジュースやらである。食べ散らかしたテーブルをビニールシートをはずし、一気にぽい。また新しいビニールシートを結びつければいちいち拭かないでもきれいになるということだ。遺体はこのお通夜の間ずっと外に安置されている。腐らないか?と思うけど、血液を全てホルマリン液に換えてあるので腐ったりしない。お棺に電源があって、冷蔵庫になっているのでは疑ってみたが、それもない。この遺体の前に祭壇が設置されていてお坊さんが2人お経を唱えていた。お坊さんの前には近親者が立ったり、座ったり、お経を唱えるように言われている。年よりにはかなり辛い作業だと思う。初日は人が少ないためか地味だったが、次の日からキョンシーの服みたいなものを着たおばさん達がお経の応援に20人ぐらい来た。参拝客もてんこ盛りに来る。おじいさんの知り合いは殆どあの世へ行ってしまっているので、この人たちは 親戚の誰かの知り合い。私には面子の世界だなぁとゆっくり考えている暇はない、豆を補充しなくちゃいけないから。お通夜最後の日、お坊さんはケータリングに出てた油っぽい御飯を山盛り食べていた。乗ってきた車にはぬいぐるみがおいてあり、この人たちは巨大に太っていた。不景気は関係ないらしい。

*お葬式*
毎晩、毎晩、豆配りをして、不謹慎だがやっと終わったとおもったら、それはとても甘いことに気付かされた1日であった。朝10時集合でまずはおじいさんにお線香をもって御挨拶。それからテント(おじいさんの場合はアパートの駐車場が会場)の周りに飾ってあった毛布を取り外したり、細かいものの片付けを始める。すると、やって来た!楽隊が!うわさには聞いていたが、まさか、まさか、鼓笛隊がやってくるとはおもわなかった。聖者の行進かい?っておもうような賑やかな音楽とともに、かなり年輩の鼓笛隊の人たちがガンガンと演奏している。トランペットもあって、もう耳がきんきん状態。しかし、この人たちは2、3曲やると座りこんでお水なんか飲んでいる。が、10分ぐらいお水を飲んでいたかと思うと、やには立ち上がりジャンジャンジャン。これが3回程度続いた。すると霊きゅう車がやってきて、いきなり御葬式の本番が始まる。やはり男がお棺は持つんだが、これも長男が一番前だのいろいろあるらしい。楽隊が整列して霊きゅう車の前だったか後ろだったかにスタンバイをはじめ、その次に近しい親族が靴をはかずに靴下だけになって並ぶ、その後ろに我々のような母方の子供、その他が靴をはいて並ぶ。小学校の運動会みたいなんて呑気なことを考えていたら、炎天下をその順序で楽隊に引かれながらリバーバレーロードを400メートルほど歩かされた。サングラスやら日傘をさすわけにもいかず、ひたすら焦げるほど暑いなかを歩く。涙も乾く。ふと、後ろをみると大型バスがついてきている。なんなんだ?と思ったら、400メートル歩いた時点でそれに乗り込んでいいとの指示。火葬場行きのバスだった。***リバーバレーロードを歩いている奇妙な軍団をみた白人観光客に写真を撮られました。更に「クリスチャンなのか?」と聞かれました。気持ちはわかるが、写真はとるなー

*火葬場*
おどろおどろしいところを想像していたが、そうでもなく、近代的なものだった。ちょっとした公会堂みたいな感じ。建物の入り口からすぐの場所におじいさんが安置されていて、またもお線香を持って立ったり、座ったりの儀式があった。それから更に奥に通されて、細い廊下を行くとガラスでしきられた場所に出た。仕切られた先には焼却する窯?の蓋が見えている。するとおじいさんのお棺がごろごろとレールのようなものの上にのってやってくる。ここから先は日本と同じ棺はお窯?に入れられていく。日本との決定的な違いはお骨拾いがないこと。灰だけしかもらえないので、その灰を引き取りにいく日を指定され、その日に長男または男の家族がとりにいく。私達はまた公会堂に戻り、今度はひとり、ひとり、穿いていた靴下を脱いで、それを捨てる。更にお坊さんが耳のところに花をつけてくれた。この花が自然に落ちるまでつけておくようにと言われる。儀式はとうとう終了である。バスに乗り込み、おじいさんのアパートに戻ると、そこにはたらいみたいなのが置いてあって、そこで顔と手を洗う。塩をまくという習慣はない。更にもう泣いている人もいない。暑いというのもあるんだろうけど(関係ないか)。ケータリングが中華料理をどっちゃり持ってきてくれて、テーブルにのせている。精進料理という発想もないらしい。片付けが終了したら解散、おつかれさまでした。さて、飾ってあった毛布だが、おじいさんの名前とか、親戚の名前とかの紙をはずして葬儀社に返す。なぜ毛布なんだか、これは不明。

*服装*
参拝の人は別になんでもいい。日本のように黒ずくめでなくてもいい。黒いストッキングなんて忘れていい。でも赤はダメ。地味目の色であれば誰も何も言わない。しかし、親族となるとこれが違う。上は白のTシャツが配られ、下は黒が正式らしい。数日お通夜が続くので、下のズボンはベージュになったり、青になったりするが、基本は黒らしい。葬儀の後、このTシャツ、葬儀屋さんが用意した黒パンツを穿いていた場合はこのパンツも焼却してしまう。

*香典*
いかに近しいかによるが、10ドルぐらいの人もいるし、20ドル程度の人が多かったように思う。親戚は1000ドルだした人もいた。私達は100ドルだした。結婚式ほどお金は出さなくてもいい。日本のように香典返しというシステムはないし、お金に関してはあっさりしたものである。

*感想*
正直、へとへとになった。顔グロにもなった。シミもできた。楽しいことではないし、もうこれを最後にしたいと心の底から願っている。




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