ラグナロク小説
赤い宝石
−3−
1話


 闇に覆われた宝石の噂は聞いたことがある。
 手にすると宝石の魔力に取り込まれ魔物と化す。宝石は闇の住人のみが生きる場所にあり、それを手に入れるためには、闇に生きる者となるしかない。
 あるいは、強大な魔力を孕んだ宝石が世界の均衡を崩さぬよう、千種の姿に己を変化させる守護者が守っている。
 人づてに語られる風評は実体の掴めない、まさに風のようなものだ。現状で宝石の話について確実に言えることは、宝石を求めてゲフェンの地下に潜った冒険者が二度とそこから戻ってくることはないし、それが「宝石」によるものかどうか、真偽を語ることのできる人間もいないということだけである。
「見た人間はいない、語る人間もいない」
 紙に描かれた紋に手を触れながら、女は誰にともなく呟く。青白く輝く紋は、月明かりのみが差し込む部屋を神秘的な空間へと演出しているように思えた。
「けれども宝石の噂は流れる。どうしてだと思う?」
 紋を見つめていた女は、端整な顔をこちらに向けた。銀の髪が浮かぶように揺れる。意見を求められた俺は、静かに一息つき、口を開く。
「噂を流す者がいるから」
 おおよそ正解だ、そう思いながら自分の答えを胸中で復唱する。
「もう少し説明が聞きたいけど、私が考えていることと同じと思っていいわね」
「それなら、もう少し言葉を付け加えるよ。宝石は現実にあるからだ」
 女は頷くと同時に唇の端を少しだけ上げて微笑んだ。
「相方らしくなったじゃないの」
「やっと同じ土俵に立てたからな。ウィザードの服は着心地がいい」
 同じ土俵とはいえ、俺が冒険者として立ったノービスの時代からすでにウィザードだった彼女とは未だ実力の面では遠く及ばない。
 土俵に立てたのは口だけか。俺は胸中で自嘲した。
「ルカ」
 輝く紋に手を重ねた相方は、俺の名前を呼んだ。その言葉に促され、俺も相方の手の上から重ねるように紋に手を添えた。
「クスカ」
 相方の名前を呼ぶ。紋の光が二つの手を包みこむように輝いた。やがて月が地平線に沈むように、紋は光を失っていった。
「パーティを組むなんて久しぶりだ」
 紋から手を離した俺は、手の平にうっすらと残る青い紋をもう片方の手で撫でる。パーティ結成の証は解散まで消えることがない。
「今回はリスクが高いから」
 そう呟きながら先ほど使用した紋の紙を片付け、また新たな紙を取り出す。再び紋を描くクスカ。その紋様はパーティのそれとはまた違ったものだった。
「誰を呼ぶんだい」
「死んでも恨まない人」
 笑うべきか迷う言葉だ。肩をすくめる俺を目の前に、クスカは新しく敷かれた紋様に上に手をかざし、静かに口を動かした。





 下水の夜は穏やかだ。
 プロンテラの城下町は月明かりが地面を照らす時間になっても、活気に溢れている。下水は町を西に進み、門を越えた場所にある。門を越えると、町の熱気から一転、自然の運ぶ風と草の匂いに包まれる。
 下水と言っても、実際は上水道である。水辺には蛍が青緑の光を点々と放ちながら舞っていた。
 木陰に寝転んでいた俺は、傍目に写る光の舞いを眺めていた。ふと思いつき、片手を真上に伸ばし手を大きく広げた。穏やかな精神で手に力を込める。すると手が青白く輝いた。聖なる光は手に輝きを宿しつつゆらゆらと揺らめいていた。その光に誘われるように蛍が自分の周りを舞った。
「月明かりに蛍の光、ホーリーライト。明るくてありがたいな」
 ふとかけられた声に俺は身体を起こす。手を覆っていた光は霧散し、光を見失った蛍もまた四方を散っていった。
「あ、こら、せっかくの明かりが」
 青髪の騎士が袋を手に提げてこっちに歩み寄っていた。上半身を起こした俺の横にドカッと座り込む。
「どうしたんだ?」
 俺は袋の中で手をかき回す相棒に声をかける。相棒はいかにも眠そうにあくびをしていた。さっきまで眠っていたように見える。
「こんなに良い夜に、連絡だよ」
「誰を寂しがらせてるんだい?」
 俺はからかうように茶々を入れた。相棒は鼻で笑う。俺は傍らに置いていたランプに火を点ける。サンキュと相棒は礼を言う。
「さて、どこの寂しがり屋さんかね」
 言葉を遠方に乗せる紙を取り出した相棒は、紋章の入った面を上に地面に置き、手をかざした。
「レヴァだ。どちらさんだい」
 紋章が静かに光を放ち始める。静かな蛍光を放つ紙から、静かな声が響く。
「クスカ、とルカ」
 おや、と俺は呟いた。珍しいところから連絡が来たものだ。
「しばらく付き合って欲しいことがあるけど」
 短く言葉を切るクスカ。相棒のレヴァは手を置いたままこちらに顔を向ける。俺の意志を聞きたそうに顎を振る。俺はレヴァの横に寄り紙に手を置く。
「どこに行けばいい?」
「クロス?」
「お久しぶり」
 俺は砂漠の町モロクにいるであろう会話相手の顔を浮かべ微笑む。紙の向こうからも、心なしか静かに笑う声が聞こえた気がした。
「ゲフェンに行こうと思うの。また近くまで行った時に連絡する」
「おっけ、待ってるよ」
 用件だけを伝えると紋章の紙の光は徐々に弱くなっていった。再び月明かりのみとなった場に俺と相棒は目を合わせる。
「どんな無理難題が来ることやら」
 やれやれと言わんばかりに相棒は肩をすくめながら立ち上がった。寝床に帰ろうと背を向けた相棒は両手を天に伸ばし、声をあげる。
「準備運動を十分にとらないとなー」
 相棒を見送った俺は再び寝転んで夜空を見上げる。
 久しぶりだな、クスカ。元気にやってるのだろうか。



赤い宝石



 クスカが呼ぶ人間には男が多い。
 それに対してどうこう言う権利が俺にあるわけじゃないが、気分がよくないのも事実だ。自分で言うのもバカらしいことだが、独占欲を阻害された結果の不愉快なのだろう。そう感じる自分を否定することもできないので、脳裏に巡る迷妄は無意味だ。
 魔術師の集まる街、ゲフェンに辿りついた俺とクスカは、出発する前に声をかけた二人と顔を会わせていた。一人はロードナイトのレヴァ、一人はプリーストのクロスウイング。どちらも実力が俺より上であることが一目見てわかるが、物腰が柔らかい、というよりも緩いので俺は少し肩すかしをくらった気分になる。以前も、別の機会でロードナイトの男と行動をともにした時があったが、あの男の緩さも尋常じゃなかったのを覚えている。クスカがマイペースなタイプだから、自然とそういう類の人間が集まるのかもしれない。
「クスカのパートナーは大変だろ?」
 レヴァが唇の端を上げながら言う。この男も災難に遭った身のようだ。
「元パートナー?だとしたらわかるかもしれないが、おかげで鍛えられてるさ」
「頼もしいな。タッグを組んだことはないが、パーティーでの行動から想像すると、本当に鍛えられてるんだろうな…」
「クスカは目が肥えてるからね、パートナーになれる人は貴重だよ」
 クロスウイングが目を細めながら言葉をはさむ。彼が言うには、俺はクスカのお眼鏡にかなった人間らしい。クスカに少し目を向けたが、表情から感情は読めなかった。
「人は一人じゃ生きていけないからね。前に進む限りは必ず何か壁にぶつかるんだ。それが人との出会いかもしれないし、障壁かもしれない。そして、それを乗り越えるにも、人の助けが必要になるんだ」
 クロスウイングはにっこりと微笑む。
「だから、クスカが君をパートナーに選んだことも、君と俺たちが出会ったことも、前に進んでいると受け止めれば、気持ちも変わるよ。災難も楽しくなる」
 俺は苦笑する。さすが聖職者は口が上手い。人に希望を与えるのが責務としてついて回るから、俺の考えていたことに気づいたのかもしれない。
「今回の災難も楽しもう」
 差し出した俺の手をクロスウイングは握った。クロスが顔を近づける。
「災難は起こさないさ。そのために俺たちが来たんだ」
 不思議なことを言うな、と思った。まるで彼らが自らこの旅行に手を挙げたような素振りだった。いや、先程の言葉から考えると、パーティーに同意したことが彼らの意思だということかもしれない。
「とりあえず顔合わせも済んだことだし。今日は飲むか」
 レヴァの声により俺は思考を中断した。何を考えているか俺が想像しても意味のないことだ。後で直接尋ねてみるのもいいかもしれない。
「それじゃクスカの冒険譚でも聞かせてもらおうか。おごるぜ」
 俺はレヴァのサイフの心配をした。クスカが饒舌になるまでにレヴァが意識を保っていられるかも心配だ。目が覚めた時には法外な料金が手元に残る。それを想像しただけでも恐ろしい。しかし俺には費用負担の手助けができないので、酒場に向かう二人の背中を見送るのみだった。
「ルカはどうする?俺は休もうと思うけど」
「…少し話をしてもいいかな」
 クロスウイングは頷いた。俺が誘うことも予想していたのかもしれない。


「ゲフェンの光を見るといつも不安な気分になるんだ」
 クロスウイングは空を仰ぎながら呟く。空を見上げると濃紺の色の中に星々が煌いていた。心なしかモロクの空と見比べると、この街の空は紫がかった色合いに見える。魔法都市として栄えるこの街では、そこかしこで魔法に係る実験などが行われている。それらから生まれる光がこの空を作りだしているのだと俺は思った。
「クロスウイング」
「クロスでいいよ。呼びづらいだろ?」
「……クロス、二人は何を想って今回の旅に?」
 クロスは顔を天から戻し、こちらに向ける。
「クスカはゲフェンが嫌いなんだ。普段はここに足を向けることはない。だけど今回はゲフェンに行く、しかも俺たちを呼び出したんだ。これは、助けなくちゃいけないと思ったよ」
 考えてみると、クスカとここに来たのは俺がマジシャン・ウィザードへと転職した時のみだ。
「ルカ。クスカはなぜ、きみをウィザードの道に誘ったのか。知っているかい?」
「……知らないね。クロスはその理由を?」
「いや、知らないから聞いてみた」
 思えば、ノービスの時にクスカに知り合い、以後の行動はクスカとともに過ごしていた。その中で俺はマジシャンになり、いま、ウィザードとなっている。マジシャンになり、ウィザードとなったのは俺の意思である。クスカが誘ったわけではない。
「ルカの意思でなったのか、クスカの意思でなったのか。過程は問題じゃないんだ。前に進むことは非難されるものじゃない」
「俺がウィザードであることが問題か?」
 クロスの表情が少し翳るのがわかった。
「……人の背中には目に見えない羽が生えているらしい。いつでも空に向かえるようにね。能力の高い人ほど、背中の羽は顕著に見えるとか」
「ああ……耳にしたことはある」
「俺の名前はさ、そんな才気溢れる人間が集い慕ってくれるよう祈りを込められている名前なんだ」
「いい名前じゃないか」
 彼と知り合いであるレヴァ、クスカはその才気が感じられる。俺は……よくわからないが。
 クロスはありがとうと微笑む。その表情には先程の元気はなかった。


「クスカには相方がいたんだ。もう何年も前のことだけどね」
「その相方は?」
「彼はウィザードだった。いい男だったよ。素晴らしい才能を持っていた」
 随分と過去形が続くな、と俺は思った。知らない人間のことを話されても、その実態はわからない。この世にいない人間はいつだって神格化される。優しい人間はいくらでもいるし、能力のある人間も多くいる。

「どうして死んだ?」
「彼女を守るため……」
 心臓が高く鳴ったのがわかった。
「彼女がゲフェンに近づかない理由さ。ここは思い出が多い」

 俺は何も言えなかった。



 宿の手続きをしていると、クスカとレヴァが宿に入ってきた。
「随分と早いじゃないか」
 クロスの言葉にレヴァは肩をすくめて苦笑する。
「肝心なときに二日酔いだと格好がつかないしな」
「まだ飲み足りないんだけどね」
 レヴァの真似をするようにクスカも肩をすくめた。
「ルカ、一緒に飲まない?」
「今夜はのんびりさせてもらうよ。久しぶりに肩のこらない睡眠ができそうだ」
「じゃあ一緒に寝る?」
 クスカはニヤニヤと微笑みながら俺の肩に手を乗せる。
「いつも寝てるじゃないか、改めて言うもんでもないだろう」
 一応断っておくと、同じ部屋に寝るという意味で、同じベッドの上で寝るという意味ではない。

 ……たぶん、からかっているのだろう。



「まじか……」
 クスカとルカが階段を上がっていった後、レヴァは一人緊張していた。クロスがレヴァの肩に手を置く。
「俺たちも一緒に寝るか」
「な、なんだと……!」
「いつも一緒に寝てるじゃないか」
 クロスは唇の端をあげて笑った。



 日常の生活と比べると、この街の夜はひどく穏やかだ。窓の外からは虫の静かな鳴き声が聴こえる。日中は暑く、夜間が寒く、日夜を問わず騒がしいモロクと大きく違う。薄地の寝間着で寝ることができるのは久しぶりである。
 窓際のテーブルに足をかけて、外に顔を向けるクスカが視界の端に映る。

 本当は、なにか話をしたかった。ゲフェンの話、クロスとレヴァの話、酒の話、レヴァとどんな話をしたのか、俺はどんな話をクロスとしたか。

 だが、そのすべての話が、過去の相方につながりそうで、行動に移すことができなかった。



 ただ、だからといって見てみぬ振りをする自分が、あまりにも馬鹿らしい。そんな安い演技に、クスカが気づかないわけがない。
 だから、彼女も俺に話しかけず、空を見上げている。


 俺は身を起こした。布の擦れる音に、クスカはこちらに顔を向けた。
「やっぱり、この街の夜をもう少し楽しむべきだったかな」
 ベッドの横に置いていた寝酒を持ち、クスカの横に座る。

「眠れない?」
「興奮してな」
 クスカの小さく笑う音が聞こえた。
「子どもみたいなこと言ってる」
「リスクの高い旅の前はこんなもんだ。クスカはどうなんだ?」
「昔を思い出してた」
 予測はしていても、心はざわめいてしまう。クスカは意地悪そうな笑いをしながら肩を叩く。
「気になるでしょ?」
「・・・そりゃ、気になる」
「出ようか」
「は?」

 立ち上がり、俺の手を引くクスカ。俺もつられて立つ。
「俺たち寝巻きのまんまだぞ」
「モロクじゃないんだから、平気」
 窓の外に目を向けてみた。確かにモロクほど気を使わなくてもよさそうな雰囲気である。

「散歩だよ、散歩。寝ないまま明日になってもつらいでしょ」
「了解、行こう」



 ゲフェンを色に例えるなら、紫色だと思う。
 静かな夜の街道を照らす星空の淡い光と、窓から漏れる灯りが溶け込むように混ざり合い、不思議な空間を作り出している。
 それはプロンテラのような陽気な賑々しさや、モロクのような生命が発する熱気とは違うものである。
 窓の先では、駆け出しからベテランまで、様々な人間が探究心を胸に燃やしている。そこには、純粋な直向さを感じる。

 かつては、私も街に灯るあの篝火の中にいたのだ。

 ルカは、マジシャンギルドを懐かしそうな面持ちで眺めていた。
「始まりの建物ね」
 ルカは頷く。
「始まりはプロンテラ平原だけどな」
 あぁ、と私はつぶやいた。ナイフ片手に昆虫の群れに追われている姿を思い出す。それを、見つけた私は、助けるどころか逃げ道を塞いで戦うことを強制した記憶がある。
「しかも煙草を押し付けられたり、初対面なのに好き放題してくれたな」
 しっかり覚えているようだ。私は笑ってルカの肩を叩いた。
「ついてきてくれて感謝してるよ。おかげで今も好き放題できる」
 ルカは肩をすくめて笑った。たくましくなったものだ、と私は思った。
「久しぶりのゲフェンはどうだ?」
 声のトーンが若干下がったのがわかる。ルカが私に聞きたいことがあることには、宿で合流した時から感じていた。
「その問に対する解もまたゲフェンにあり……なんてね」
 私が歩みを再開すると、ルカもそれに併せて歩き出した。

 久しぶりのゲフェンはどうだろう……。

 ルカと歩くその街は、いつもと変わらない空気を感じた。



 結局のところ、俺とクスカの夜の散歩は、そのまま夜の散歩として終わった。クスカの気まぐれはさして珍しいことではないが、何か、答えがあったのだろうか。あの散歩自体が答えなのかもしれない。
 そう考えるならば、今まで避けてきた―クロスが言ったことを踏まえるならば―よい思い出ではないこの町を歩くことは、それを乗り越えたということなのかもしれない。
 それを受けて、俺は今後何をするべきか。

 何も変わりはしない。
 明日の旅行を終えて、二人でモロクへと帰宅するだけだ。
 過去に嫉妬しても、今は変わらない。
 逆に、俺は迷いを作ってしまったのかもしれない。

 バカなことをしたな、一人呟いた。

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