ラグナロク小説
赤い宝石
−3−
2話
どんなに長い夜が続いても、いずれ朝は訪れる。
澄色の空を見上げて大きく腕を伸ばす。小鳥の囀りが聞こえる。
「…平和だ」
この町のどこに、呪われた宝石があるというのだろうか。
「いい朝だな」
レヴァが俺と同じように腕を伸ばしながら俺の横に立つ。おはよう、という俺の挨拶に、伸ばした手を振って応える。
「いい朝はいい。いい朝と感じられるのがいい」
俺は思わず吹き出す。
「朝から哲学的なことを言うな」
レヴァもニヤリと笑う。
「今日をどう感じるか。それは今まで生きてきた経験の体現だからな。悪い朝もあった」
それは、朝に雨が降ったというものではないのだろう。影を知っているから太陽の眩しさを実感することができる。レヴァはこれまでにどのような気持ちで悪い朝を迎えたのだろうか。
「クロスは?」
「まだ寝ているよ。あいつ、夜型だから」
「クスカもだ。俺も朝は苦手だけど。こういう日は目覚めがいい」
「実は俺もだ。だけど、旅行の日は昂ぶるよな。それなのに相変わらずな睡眠して、呑気なやつらだ」
肩をすくめるレヴァ。宿で眠る2人から見れば、気が昂ぶって早起きする俺たちを子どもみたいだと感じるかもしれない。
ほどなくして、残りの2人も顔を出す。その時には街はすっかり目覚めており、昼の喧騒に差しかかろうとしていた。朝昼兼用の食事を4人でとる。
「予定の第三階層への到着時間は?」
「半日。噂に合わせて、件の魔物が出現する時間帯が到着予定時間ね」
食事をしながらレヴァとクスカが旅行プランを話し合う。
「問題ないな。経路はどうする」
クスカは食器を端に寄せ、地図を広げる。洞窟のおおよその経路を示したマップのようだ。いつの間に仕入れたのだろう。俺は手を止め、地図を見る。クロスは構わず食事を進めている。
「第一階層は円状になっていて、第二階層の入り口は第一階層入り口の丁度逆側。どちらから回っても到着できるから、簡単に左回りで行くわ。モンスターの程度はたかが知れているけど、他の旅人もすぐに抜ける階層だから、大群にぶつかってしまうことも考慮して1時間を予定」
「第二階層は?」
頷いて引き続き次の地図をめくるクスカ。先ほどの地図と比べ道が途中で切れていたりと、不鮮明なものとなっている。
「第一階層と比べて数倍の広さがあるから、正確なマップはないわ。目指すところはこの廃墟郡」
地図の右下を指す。指差された部分は建物の絵が描かれており、噂のイメージに近い。第一階層と同じように、北側に描かれている入り口とは正反対の位置にあった。
「面倒だな」
テレポートで進められれば楽なんだが、と思いながら俺は呟く。
「場所の把握が難しい以上、固まって歩くしかないな」
クロスは地図に指差しながら話す。
「入り口から正面を真っ直ぐ進めば、一番早く現地にたどり着けるね。予測だけど」
「最短経路から、道に沿って補正をかけていこうか。方向転換した後の距離は俺が測ろう」
レヴァは途中で途切れている道を指差す。任せた、とクスカはレヴァの腕を叩く。
「モンスターの程度は?」
俺の質問にクスカは「中程度」と振り返る。
「近接職には難しい敵もいるけど、ウィザード2人いるから問題はないわね」
経路、時間、立ち回り、食料…。食事の最中に旅行プランを詰める。前衛が1人、後衛が3人。火力は揃っているが、防御面に不安がある分、計画的に動かなければならない。特に俺とクスカは守られる立場にあり、俺たちの動きの如何によって負担が大きく変わる。今後やらなければならない事柄を俺は考える。
「こんなもんかな」
レヴァの言葉に一同は頷き、食事を終えた。
ゲフェンの街は円の形をしており、東西南北を突き抜けるように十字の大通りがある。その十字の中心、つまり街の中心に今回の旅行先があった。
ゲフェンタワー。魔術士が日々魔術の研究に明け暮れる研究の場だ。俺もクスカも、この塔の中で研究を重ね、ウィザードへと転職した。
「地下にこんなものがあるなんてな」
俺は誰ともなしに呟く。地上で研究者たちが忙しなく動く一方、地下では静寂と闇の中に重厚な扉を構えていた。
「あなたがここにいるときは閉鎖されていなかったけど、あの時はここに用事がなかったからね」
俺のひとり言にクスカが応える。
「宝石の噂が吹聴された時期に多くの挑戦者がこの中に入ったわ。死に過ぎたのね。そのおかげで今はこう。臭いものには封をして、ほとぼりが冷めるのを待つばかり」
「でもな」
扉の前でしゃがんでいたレヴァが口の端を上げながらこちらを向く。何かを見つけたらしく、手を上げる。その手には南京錠が握られていた。不自然な形に歪んでおり、錠としての役割は果たせそうもない。
「隠されたら余計見たくなるのが冒険者ってことだな」
レヴァはそう言って錠を放る。
「開ける手間が省けたな。入ろうぜ」
扉を開けた途端、湿り気のある空気が流れ込む。俺は鼻を押さえた。気分の悪いものが空気に混ざっているのを感じる。
「別に我慢するほどのもんじゃない。長時間吸うとまずいけどな」
レヴァが俺の肩を叩いて前に出る。扉の先には、露出した紫色の岩肌と、同じような色をした地面が見える。いかにも人体に有害そうな雰囲気だ。
「消毒だな」
俺は、両手を突き出し呪文を呟く。空気中の粒子が細かく震える。
「ファイアーウォール」
放出の言葉を放った瞬間。張り詰めた空気が弾けるように光を放った。激しい爆発音とともに火炎の柱が扉の先の空間を埋め尽くす。
「きれい好きなんだね」
クロスが俺の後ろでクスカに話しかけるのが聞こえる。背中ごしなので見えないが、クスカが肩をすくめている様子が容易にわかる。
火が落ち着いたころの先に出る。魔法の熱の余韻が残っているが、空気は悪くない。
「この調子でいけば、私たちの死因は酸素不足ね」
「悪いことばかりでもないさ。この風の先が目的地だ」
大気の温度差が風を作りだす。風の流れを確認し、先に道が続いているであろう経路を歩きだした。
「第一階層は玄関みたいなもんだ。さっさと中庭に入らないとな」
レヴァはクロスに目くばせをする。クロスは頷き、手を俺たちに突き出す。
「速度増加をかけるよ。時間短縮だ」
クロスの掌がひときわ輝いた瞬間。自身の身体が軽くなるのを感じた。
レヴァ先頭を走り出す。次にクロス、クスカと走り出した。俺もそれに追従する。
「敵にはクァグマイヤを頼む」
レヴァはこちらに振り返ることなく走りながら声をあげる。クスカは「おーけい」と返事をした。
奥まったところまで進むと、いよいよ瘴気が濃くなるのを感じる
「熱消毒はしないでね」
クスカが口の端をあげながらこちらを見た。俺も下手に火を撒き散らして自殺はしたくない。
「敵さんがうろうろしてるぜ」
レヴァが呟いた。レヴァの視点の先に、紫色の塊が蠢くのを捉えた。
「あれが毒の正体か」
キノコの形をした魔物は、笠に当たる部分から紫の瘴気を吐き出している。不愉快なのは、笠に肉食動物を思わせる口がついていることだ。どうやら単体ではないようだ。一つの固体が動き始めると、それに呼応するかのように周囲の塊が動き始める。
「クァグマイヤ」
すかさずクスカが呪文を唱えた。キノコの集団を取り囲むように、地面が奇妙にうねり、大地から緑色の泡のような気体が吹き上がる。泡に包まれたキノコの動きが急に緩慢になる。
「相手にするだけ無駄だ。通り抜けるぞ」
レヴァは道を塞ぐ魔物のみを最小限に斬り捨て、道を切り開く。
「しょせん、相手はキノコ。刺激を与えた瞬間に菌を放射して増殖するわ」
クスカは周囲に一瞥もくれず前進する。
「体力は温存しておかないとね」
クロスはこちらを向いて呟いた。
「いざという時は必ずあるから」
あぁ、と俺は返事するだけだった。
第二階層の入り口は思ったよりも早く見つかった。
「俺のおかげかな」
古びた石の階段を降りながら俺は冗談めかして呟く。クロスが笑う。
「この調子で次の階層も頼むよ」
前を歩くクスカは、俺とクロスのやり取りに肩をすくめた。たばこを取り出して口にくわえた。
「最小限に風がわかる方法よ」
クスカは口の端をあげながらたばこに火を点けた。先からゆらゆらとゆらめく煙は、階段の先に向かって吸い込まれてるように進んでいく。今度は俺が肩をすくめた。
不意に煙が霧散する。風が一定方向に進むものではなくなったのだ。階段が終わり、第2階層の様相を見ることができる。
「確かに広さが違うな」
レヴァが顎に手をあてながら呟く。周囲は石造りの壁があり、洞窟の印象が強い第一階層の雰囲気とは違っていた。壁はまっすぐに並んでおり、ある程度の距離で途切れている。その先は闇が広がるばかりだ。
「直進の予定に変更はないな」
レヴァの問いに頷くクスカ。それに答えるように、クロスが再び支援魔法を全員にかける。
「マップに書かれている経路までは手早く行こう」
よし、と走り出すレヴァ。後に続く形でクスカ、俺、クロスと走り出す。壁の立ち並ぶ道を抜けると、一転して両脇に見えるのは深い闇。道は途中で崖のようになっており、底の深さは予測がつかない。
「一つ踏み外したら愉快なことになりそうだな」
俺が冗談めかして言うと、クロスが横に並ぶ。
「言霊って知っているかい。この大陸の東の海を越えた先にある国の文化で、自分の発した言葉にはその言葉を実現させる力を持つものと考えられているんだ」
俺は笑った。
「俺が落ちるってことか」
「その時は俺も追いかけるよ」
「言霊だな」
クロスも笑う。
「それなら、私は上から見守っているわ」
俺は苦笑した。心中をする気はないらしい。
「そろそろ地図に載っていない区域に着くぞ」
レヴァの声に周りを見るが、風景に変化はない。進行に合わせて距離を測っているのだろう。迷子になることはなさそうだ。
「思うよりも早くここまで来たね」
クロスの言葉に横で頷くクスカ。しかしその表情は何か思案しているようにみえ、頷いたというより俯いて考えているようだ。クスカがこちらを見る。
「どう思う」
「俺たちの目的に合わせた積極的な解釈を用いるのならば、第3階層までのハードルを下げて、餌が到着しやすいようにしており、俺らが楽に進めば進むほど目的の敵がいるってところかな」
「私たちの探しているドッペルゲンガーがそういう意図をもって舞台を用意しているのだとしたら、今、ルカが言った餌は何を指すのかな」
「まさか俺たちを食べるなんてことはないよな、」
最初にこの話が挙がった時に出た疑問点だ。件の魔物が宝石の噂を意図的に流して人を呼び込んでいるのだとして、その目的は何なのか。
「多分、食べるんだと思う」
クスカが呟く。
「魂をね。話の主役となる赤い宝石は、魂を吸い取る媒体。この予想でどうかしら」
「・・・・・・だろうな」
人の姿を盗み、人の心の弱みに侵入するという手段を使う魔物の目的は、そうして疲弊した魂を搾り出すことなのだろう。
それに対して俺たちがすべき対策は何か。
「クスカ、このパーティが分離された場合の案はどう考える」
「さっき答えが出たじゃない」
「・・・・・・ああ・・・・・・」
「俺は余りものだ」
レヴァが冗談めかして言った瞬間、表情を変えた。足を止めて周囲を窺うように腰を下げた。続く3人も同じように足を止める。クロスはレヴァの横に座り、同じ方向を注視している。
「違和感がないか」
「霧が見える。相手の領域のようだね」
レヴァとクロスの会話を端に進行方向を見ると、確かに暗闇の中が霧でさらに深くなっているように見える。
「分離されると厄介だ。あれは飛ばせるか」
「恣意的なものならできると思う。試してみよう」
クロスは水をすくうように両手を重ねた。いくつか言葉を紡ぐと、手が青白い輝きで満たされていく。
「ルアフ」
球体形の光がふわふわと浮かび上がり、霧に向かって飛んでいった。
「ビンゴ」
レヴァを指を鳴らし、鞘から剣を抜いた。クロスはそれに応えるように次の詠唱を始める。俺とクスカも併せて立ち上がったところで、霧の中で一際大きな光が弾けた。そちらに目を向けると、霧が若干薄らいだように見えた。そして、光の中で何かの輪郭が動いているのを見つける。
「霧の正体は悪霊だ。だからルアフが反応したんだ」
クロスが放ったルアフは、隠れた魔物の本当の姿を暴く。先ほど見えたものは、この階層に住む悪霊ということだ。
「そういうことならやりやすいな」
「念の敵は私たちの出番だものね」
死者の怨念が具現化した魔物には実体がなく、通常の刃物などの物理的な攻撃がすべてすり抜けてしまう。しかし、魔道師や聖職者の使うスキルは別だ。
「アスペルシオ」
クロスが器に満たされた液体をレヴァの剣に振り撒いた。剣が青白く発光する。
「俺も行けるぜ」
レヴァが唇の端をあげながら構えると、正面の霧に向かって飛び出した。次に俺とクロスが続く。クスカはすでに詠唱を始めていた。姿を暴かれた霧は消えつつあり、代わりに白い子どもほどの大きさのものが飛び回っている。その姿はうっすらとしたもので、時々透明になって消えては別の場所で現れるなど、不規則な動きをしている。
「ヘブンズドライブ」
俺たちが敵の群れに飛び込む前にクスカの魔法が発動した。
霧が取り巻く場の地面が歪曲したかと思うと、それらが隆起し、無数の巨大な針となって突き出した。大地の槍が霧の内部を貫く。
それに呼応するようにレヴァが跳んだ。その動作は甲冑を身にまとっているとは思えないほど軽いステップだった。土槍の群を縫うように隆起した地面に足を乗せると、そのまま霧の一部を剣で垂直に切り下ろす。
霧を切るなどという行為は一見すると不思議なものだ。しかし、確かに霧の一部は分断され、黒い影のような塊が霧散されるのを認めると、それが魔物の所為であることが分かる。
「あの様子からみると、悪霊があそこに密集しているみたいだ」
クロスの言葉に俺は頷く。俺は立ち止まり詠唱を始めた。すばやく術を紡ぎ出し、正面の霧に意識を集中する。
「ソウルストライク」
魔法の発動ともに、俺の周囲の空間が歪む。金色の輝きを持つ球体が幾つも現れ、それらが弧を描きながら正面に向けて放たれた。金色の一閃は瞬く間に霧を貫く。俺は続けざまに同じ魔法を幾重も放った。
光の尾が霧を駆け巡る中、レヴァが剣を振るう。魔物が侵入者を排除しようと接近するが、それを巧みに避けながら攻撃の手を緩めない。その動きを見るだけで、彼が熟達した技術を持つ人間だと分かる。
クロスは俺のすぐ傍で何度も詠唱を繰り返していた。先鋒で戦うレヴァの戦闘の支援、次に俺の詠唱の支援、そして退魔の術をもって魔物を浄化する。詠唱は恐ろしい速さで紡がれ、一時の隙もない。
クスカの周りには強い人間が多くて困る、と俺は思った。これでは自身の評価を高めるための敷居が高い。
ふと、後方に目を向ける。
俺は詠唱を止めた。
クスカの姿が見当たらない。
俺は即座にクロスに顔を向ける。
「クスカはどこにいる」
クロスはレヴァの戦いを見据えたまま、口を開く。
「そう、それなんだ。ルカ、俺たちは罠にかかったのかもしれない」
「分断させられたのか」
「周りに霧が漂い始めている。霧を払おうとしている間に霧に覆われるなんてね」
そう、気づいていた。視界が徐々に白くなっていく状況から、後方が気になったのだ。
「ルアフはどうだ」
クロスを首を横に振る。
「クロス、正面の霧の雑魚は任せた。俺は少し離れる」
「俺たちから見える範囲で頼むよ」
ここで俺も消えてしまえば相手の思う壺だ。ああ、と頷き、俺は今まで来た道を戻った。しかし、大きな距離を離れることはできない。仲間の姿を確認しつつ歩を進める。
ふと、背後に気配を感じて俺は振り返った。
そこにはクスカが立っていた。俺は胸を撫で下ろそうとした自身の感情を押しとどめる。いつの間に俺の後ろに立ったのか。そこが腑に落ちない。
「クスカ、どこに行ってたんだ。雑魚相手とはいえ、はぐれるなんて」
クスカは「大丈夫よ」と呟き、俺に手の甲を差し向ける。手の甲にはうっすらと青白く光る模様が描かれている。パーティ編成の証だ。この証が仲間の位置をある程度までの把握と、同じパーティであることを認識することができる。
「さっきの話は覚えてる?私を守るのは誰か、あなたを守るのは誰か」
クスカの問いに俺はあぁと頷く。
「クスカに何かがあれば俺が、俺に何かがあればクロスが、クロスに何かがあればレヴァだ」
「レヴァを助けるのは誰なんだろうね。輪で考えれば、私が当該項目だろうけど、私は助けないし。というよりも……」
クスカは独り言のように呟き続ける。何か思案しているようだ。俺は黙ってクスカを見続ける。
「私には助けることができない。そして、それ以前に、レヴァには何も起きない」
「それは……」
「レヴァの強みはリアリズムとニヒリズムの同居。だからこそ頼もしい仲間となりえるけど、現在のシチュエーションでは上手く機能しない可能性があるわ。すなわち…」
伏し目だったクスカの視線がこちらに向く。
「レヴァは私たちの敵になる。いえ、もうなったかもしれない…」
クスカはため息を一つ吐いて、足を踏み出す。崖側に立ち、こちらへ振り返った。こちらに来いと手招きをする仕草に、俺も静かに追従する。
「二人、というバランスは非常に危険なの。私とレヴァ、私とルカ、ルカとレヴァ」
「クロスもか」
クスカは頭を振った。
「クロスは違うの。だから、今、ここに立ったの」
背中をドンッと押される衝撃。
しまった、と感じた時にはもう遅い。俺の足は地面という支えを失い。漆黒の宙に放り出された。落ちながらも体勢を変えて崖の方を向く。
クスカは俺が落ちる様を無表情で眺めている。俺は宙で意識を集中し、手を崖側へ差し出す。
「ファイアーウォール!」
激しい爆発音とともに、クスカの周囲に炎が渦巻いた。クスカはその中で、こちらへの視線をひとかけらも揺らぐことなく見つめ続けていた。
俺はその視線を真正面から見返しながら、闇へと潜っていた。
「まずい」
声を上げるクロスに俺は顔を向けた。あらかた敵を片付け状況は小康状態となっている。剣を鞘に納めたところでクロスが声をあげるものだから、再び柄に手をかける。
「ルカが遠い」
クロスはそう呟いて走り出す。俺も後に続く。少し目を離したらこの有様だ。俺は舌打ちをした。晴れた視界の中に、クスカとルカの姿は見当たらない。
同じ一本道が続く中、クロスの足がふと止まる。足を止めた地帯は空気が他と違っていた。確かな熱量と温度の変化による風が辺りを舞っている。クロスはどこまでも同じ闇が広がる崖の底を見つめていた。俺も横に並んで覗き込むが、何も見えない。俺は底へ視線を向けたまま口を開く。
「答えは出ているだろうが、クロス、お前は下に行け」
クロスは無言でこちらを仰ぎ見た。おそらくクスカ、もしくはルカがここで姿を消したのだろう。ここを下れば合流できるかもしれない。
「優先順位は下のやつだ。次がこの階層にいる可能性のあるやつだ。最後は俺だ。クロスは下に行け。俺はこの階層を回る」
クロスは唇の端を上げた。拳を掲げ上げて俺の目の前に差し出す。俺も拳を突き出し、クロスの拳に軽く当てた。
「後で」
そう言ったクロスは、そのまま崖の淵を飛び出した。闇の底へと消えていく相棒の姿を見送った俺は、柄に手をかけて振り返る。
「都合の良い登場だな……」
俺は頭を掻きながら誰にともなしに呟く。
俺の背後に立っていたのは、クスカだった。
「どこに行ってたんだ」
俺は伏し目がちの面持ちで佇むクスカに尋ねる。
「…ドッペルゲンガーに会ったわ」
「どんな姿をしていた」
「…死んだはずの人間」
クスカはそう答えながら静かにため息をついた。俺もため息をつく。
「クロス、ルカとはぐれた。俺たちはどうする」
「追いかけるわ」
「方法は?」
俺の言葉にクスカはこちらを見つめた。質問の意図を読み取ったのだろう。
「別行動を取った方がいい?」
クスカは腕を組んだ。視線をこちらを見据えたままだ。俺は頭を振った。
「いや、お互いがお互いを確認できる位置隊形で進む」
「へぇ、てっきり私が前衛を務めることになるのかと思った」
クスカは唇の端をあげ、皮肉っぽく言った。
「格段おかしな話でもないぞ。前後に別れたら、クスカにとって俺が死角になる。フェアに行かないとな」
姿を一度見失った以上、再び現れた仲間が、本当の仲間か擬態なのかを見分けることができない。俺にとってクスカがクスカであるか判別ができないことは、クスカも同じである。どちらかが偽者の可能性がある以上、どちらも信用してはいけない。
「意見には賛成だけど、実際のところ、私とあなたどちらかがドッペルゲンガーだなんて私は考えていないわ」
クスカは落ち着いた口調で思いを口にする。その仕草は、今までに俺が見てきたクスカに相違ない。俺も頷く。
「ドッペルゲンガーが相手の心を突くのだとしたら、俺はクスカに隙を持っていないし、クスカも然りだ。そんなやつらに化けたって仕方がない」
俺には心の準備ができている。クスカが俺に敵意を発した時には、刃を抜くことができる。だが極力そのような事態に遭遇しないための方策は練っておきたい。
「パーティーの証があるにはあるが、これも信用できないな。証を持っていない俺かクスカが出てくればいいんだが」
「合流するまでの辛抱ね。それまでは手でもつないで歩く?」
クスカは意地悪そうな笑顔を浮かべて手を差し出してきた。俺はその手を握る。この感覚のある限りは、相手の存在を確認することができる。行動に不便が生じるかどうかは、俺とクスカの相性次第だ。
俺とクスカは並んで道の奥へと歩みだした。