ラグナロク小説
赤い宝石
−3−
3話
どれぐらいの時間経過があったのかはわからない。最初に感じたのは全身の痛みと漂う黴の臭いだった。だが痛みは最初だけで、すぐに引いた。
目を開ける。
視界に入ってきたものは、暗い石天井。次に、クロスだった。仰向けに寝ている俺の横で、俺の身体に手を向けて術を施行している。身体の痛みが引いたのは、クロスが治癒の術をかけてくれていたのだろう。
「もう少し寝ているといいよ」
俺が目を開けたことに気づいたクロスは、術を継続しながら俺に話しかけてきた。すまない、と俺は一声返し、そのままの体勢を保った状態で記憶を整理する。意識を失うと、その前後の情報も見失いがちだ。
俺がこうして倒れている理由は相方による殺人未遂である現実は理解できた。俺は攻撃に転じようとしたが、できなかった。結局はファイアーウォールで威嚇をするだけで、その威嚇も、相方に対してはあまり意味を成さなかった。
これは不利な状況だ。彼女が本物であれ、偽者であれ、今回の出来事は、俺は彼女に対して攻撃を加えることができないことを示唆している。あれがもしドッペルゲンガーだとしたら、または今度現れる彼女がドッペルゲンガーだった場合、俺はどう対応すべきなのだろうか。
そして、俺の目の前にいる男。
「クロスは、どうしてここに?」
「ルカを追いかけてきた」
当然の言葉が返ってきたので俺は笑ってしまった。
「そうだな……、俺の経緯から話そうか。はぐれたクスカを探そうと思っていたら、当の本人から崖の下に突き落とされた。クロスは?」
「クスカは見かけなかったな……。ルカの気配が遠ざかっているのを感じたんだ。探してみると魔法の痕跡が残る地帯に着いたから、そこから飛び降りた」
俺はため息をついた。クスカはいなかった。いよいよあのクスカが何者からわからなくなる。クロスは俺の考えていることに気づいたのか取り直すように口を開く。
「上にはレヴァがいるから、合流できるさ」
「断言しているな。根拠はあるのか?」
「うーん、きっとクスカとレヴァはこのシチュエーションになることを打ち合わせていたはずだよ」
初耳の内容に俺は身を起こした。
「その内容は?」
「知らない。知らないからこそ信用できるのかもしれないね」
俺はあごに指を当てる。クロスの言っていることは、正直に言うとちぐはぐだ。確信しているようで根拠は曖昧だ。だがその自信に揺らぎは見られない。
確かに、クスカが最初に旅行を誘った相手はレヴァだ。クロスはそれに同行する形となっている。そしてゲフェンで合流後も二人で酒場に行っている。打ち合わせをしていたと勘ぐれる行動はしている。
だが、その目的は何だろうか。
俺は話を変えて質問をする。
「今、信用って言葉が出たけど、俺が疑っていることはわかっているようだな」
「逆もまた然りだね。俺はルカを疑ってはいないけど」
「知らないからこそ信用できるってことか?」
「俺たちは仲間外れ組だね」
この会話は、彼女たちの打ち合わせから起因しているのだろう。仲間から状況がわからない事態に追いられたという現実に俺は嘆息する。
「想像ばかり膨らませても仕方ないか……」
俺は上半身を起こしていた状態から立ち上がった。会話中も治癒の術をかけてもらっていたおかげで、コンディションはほぼ戻っていた。クロスも立ち上がる。
俺はクロスに一つ質問することを考えた。行動を共にするうえで、不確実ながらも、腑に落ちる論理が欲しかったのだ。
「クロス。俺を突き落としたクスカはどちらだと思う?」
「本物だね」
即答だった。俺はふむ、と返事をする。相変わらず自信溢れる回答だがやはり根拠はない。だが、クロスはあのクスカは本物だと言い、そのクスカは俺を突き落とす前に、俺とクロスが行動を共にすることは危険なバランスにはならないと言っていた。
その言葉を信じてみようと俺は決めた。
「件の第三階層だな」
俺は前方に広がる廃墟群を見据えながら呟いた。隣にいる女の頷く所作が、繋いだ手から伝ったような気がした。
手をつなぐことによって如何な戦闘時の不具合が生じるかというところは好奇心としてあったが、そんな俺の期待とは若干裏切る形で、二人の行軍はいともたやすく達成された。
その事実は、もはや俺と隣にいる女が、まるで恋人が街を歩くような行為を続ける必要性をなくすものでもある。俺は嘆息した。
「着いたには着いたが、どうするよ。元来は、お前が件の人物に会ったことで目的はある意味達成されているんだろ?」
歩を進めながら俺は尋ねた。女は伏し目で口を開く。
「そうね、だからもういいの。二人に合流して帰るわ」
「どうだった」
「何もないわ」
「何をした」
俺の質問に、女は足を止める。
「彼が姿を現しても、動揺はしなかった。もういない人だということは知っているし、彼もまた自分自身がこの世の存在でないことを知っていた。だから予想していた甘言もなかった。それが悲しかったわ」
「何をした」
俺は同じ質問をした。相手の心を刺し、突き崩し、弱らせ、本性を明かす。これが俺の義務だ。
女はこちらに顔を向け、真っ直ぐに俺の目を見据えた。些か瞳が潤んでいるように見える。
再び俯き、目を閉じたまま口を開く。
「撃ったわ。撃てないと思ったのか、無防備だった。走り寄って抱きしめて懺悔の言葉でも出すと思ったのか、動かなかった。私は出会った時の距離のまま、詠唱をし、放った。以上」
「宝石は手に入れたか?」
途切れない俺の質問に女は懐に手を差し込み、通常より一際大きな赤い宝石を取り出した。俺は口笛を吹く。
「こりゃ大物だな」
再び懐へ戻す女の動きを傍目に俺は考えた。
ここまでクスカの予想通り。俺の予想通りである。しかし、クスカの考える結末と、俺の考えるものは大きく異なる点がある。
それは、全員が平穏無事に帰れるとは思っていないところにある。
「行こう」
俺たちは廃墟群の奥へと進んだ。
濃い霧が視界を覆っているのは、ここが件の領域なのだろうか。
目が覚めた場所から最寄にあった廃墟に俺とクロスはいた。崩れ落ちた壁からは容赦なく霧が侵入し、辺りを白く染めている。
「動き回ることと、ここで待機しておくこと、どちらの方が合流する確率が高いと思う」
俺は端の崩れた長いすに背を預けながら正面に腰掛けるクロスに尋ねた。クロスは、この廃墟の中では違和感があるほど色鮮やかなステンドグラスを背景に、そしてこの状況の中では違和感があるほど穏やかな所作で顔をあげた。
「時には変化させようとしないことも大切だと思うよ」
つまり待機しようということだろう。俺自身もこの質問に意味がないことは知っている。ここを出て右に向かうか左に向かうか、それだけで合流する確率は反比例する。
そして、今いるこの廃墟が偶然か、旅行の始まりに聞いた噂を想起させる教会であることも気になった。ここにいることによって何かが起こる可能性があると思う。しかし、それが良い方向に転がるとも限らない。噂の舞台である教会は、悲劇の場だったのだから。このままジンクスに任せるべきなのだろうか。
俺は懐手して口を閉じた。
しかし、じっと待つ時間ほど、時が経つ緩やかさを感じない時はない。様々な推測が頭を巡るが何も起きないことには対策を行うこともできない。2人の仲間と会わない限りは、何もできないのが現実だ。
俺は立ち上がった。クロスが顔も俺の動作に顔をあげる。
「外を歩くだけだ」
俺は先んじて用件を伝える。クロスも立ち上がった。反対するわけではなく、共に行くようだ。元は玄関だったのだろう、崩れた穴を潜り抜けると、屋内よりも幾分か濃い霧が広がる。
右か左に向かうのではなく、右と左を見るだけでいい。壁に囲まれた空間にいるよりも、仲間を見つける可能性は高まるだろう。
白い霧の先に人影でも見えないかと目を凝らすと、霧が揺らめいたように見えた。
「あれは……」
クロスもそれに気付き、声を洩らす。霧に埋もれた影は次第に大きくなり、霧を裂くように勢いよくこちらへ迫ってきた。
俺はその影が輪郭を帯びる前に俺は魔法を唱えていた。
「ファイアーウォール」
俺の前方を薙ぐように火柱が包む。影の歩みが炎に阻まれる様子が、揺らめく空気の向こうに見えた。
馬の形状をした紫色の体躯は白い霧の中でより異質の存在感を放っている。影は馬の嘶きような声を発した。
「ナイトメアだ、首を刈られるぞ」
そう呟きながら俺は引き続き詠唱を始める。
「ソウルストライク」
眩く光弾を連続して撃ち出し、炎の先にいる敵に叩き付ける。ナイトメアは物理的な攻撃は無効である敵だが、魔法は違う。光弾を打ち付けられる度に馬の姿が揺らめき、最後には霧散した。
思わぬ幕切れに俺は虚を突かれた。
一度霧散したものが、火柱を越えて再度形を成したナイトメアが俺の眼前に現れる。馬の顔が、人間の上半身のような形状に変わる。骸の顔が眼球のない瞳でこちらを見た。腕が鋭利な鎌に変形し、無造作だが静かに、素早く振り下ろされた。
「キリエエレイソン」
鎌は眼前で止まった。俺はすかさず詠唱する。後方でクロスが詠唱を続けている。聖なる鎧とでも呼ぶべきか、2度3度ナイトメアは鎌を振るうが、俺に届く前に弾かれる。俺は手を敵の中心に向けた。
「ユピテルサンダー」
手の先に青白い球体が、周囲の空気を巻き込むように集束する。弾けるような電気の音を発する球体は激しい勢いでナイトメアの身体を貫いた。ナイトメアは電気弾の勢いに引っ張られるように、後ろを吹き飛ばされた。
ナイトメアはその表情のない骸の顔を歪ませながら再び霧散した。先ほどのように再度現れる気配はない。
「一歩先は闇だね」
後方でクロスが明るい口調で言う。
「いや、光も見えたよ」
俺もクロスに合わせて明るい口調で返す。今の騒音が功を奏したのだろうか。
再び霧の先に2つの影がこちらに向かってきていた。
「あそこにいるわね」
横の女性がそう呟く。俺もその方向へ目を凝らす、薄霧の向こうにわずかに揺らぐ二つの影が見えた。
「確かにそうだな」
俺は考えていた。行動するタイミングはどの機会とするか。
霧の先の影も、こちらに気づいたようだ。
感動の対面のように、こちらへ走ってくるわけでもなく、ゆるやかに歩いて近づいてくる。
その方がありがたい。
「なあ」
俺は歩みを止め、声をかけた。手は離れ、俺の目の前に立つ女性はこちらへ振り返る。
「あの宝石、俺に預けてくれないか」
俺は手を差し出す。女の表情は一瞬翳った。
「理由を先に尋ねるわ」
伏し目の女性は呟く。
「それは俺が持っていた方がいいからだ」
俺は答えた。
その答えに女は笑った。
「それじゃ、渡せないわ、レヴァ。いえ、どんな理由でも渡せないの。あなたが本物であるか確定がつかない以上、渡すことはできない」
「あぁ、俺も同感だ」
俺がこの提案をしたのも、同じ理由だからだ。
霧の先の影は少しずつだが輪郭を浮き上がらせていく。
もう少し決断を早くすべきだったのかもしれない。
脳裏でその思いがよぎりながら、俺は体の力を抜く。
その動作はいつもどおりだ。
腰ベルトに付けた鞘に納まっている剣は掴んだ俺の右手に応え、抜くというよりも自ら出るように、音もなくスルリとその刀身を顕わにする。
俺はその勢いのまま右手を横へ凪いだ。
肉の間を通り抜ける感触が確かにあった。