「そろそろ彼の処置も考えなきゃいかんなぁ」
 編集長がフンと鼻を鳴らして言う。その太っ腹を窮屈そうに収めているデスクの向こう側はこれでもかと言わんばかりの爽やかな朝日が垂れてきているので、手の上に開かれている原稿を睨む編集長の不機嫌そうな表情がより強調されているように思えた。
 私も、少なからずその原稿を覗く編集長の心情を察することはできた。が、それを肯定する気にはまだなっていなかった。
「しかし、彼のあの第一作目の秀逸さはやはり捨て置けないものだとは思いますが…」
「それは確かにそうだが、一作で消えていく作家は少なくない。彼もそのうちの一人だと私は思うが」
 編集長のその意見にも、私は少なからず感じるものがあったが、取り繕うように、
「ですが彼も創作意欲をまだ保っているようですし、もうしばらく様子を見てはどうでしょう」
 編集長は再びフンと鼻を鳴らし、原稿をデスクの上に放り投げた。
「それじゃ、君が彼についてみたまえ。彼の創作意欲というものを確認してくるんだ」
 そう言い放ち、懐から手帳を取り出して何やら書いてそれを切り取ると、私の前にそれを差し出す。
「年中作意欲に溢れた人間が自分の作品をこの会社に送ってきている。いつまでも咲かない芽に構っている暇はないんだ、時間的にも人件的にも、文章的にもだ」
 私は住所と電話番号の書かれた紙片を受け取った。
「次の作品の案が出るまでを見て、彼が本当に期待できる人物か見極めてこい。ものを公正に判断できる君なら間違いはないだろう」
 これはなかなか難題ではないかと私は思った。まず案が出るのにどれだけの月日を要するか、また作家の中には他者の介入を嫌う人間もいる。
「編集長、これは結構長期的なものになると思うんですが…」
「片手間でやってくれて構わんよ。もちろん本来の仕事もちゃんとこなしてくれよ」
 編集長のその一言を聞いた時の私の表情は、明らかに私は狼狽していたことだろう。

 これは相当面倒な仕事のようだ。


 〜期待〜


 編集長からメモをもらったその日の夕方、私は早速先に挙がった彼の家に行くこととなった。受話器の向こうの彼は、特に拒否の感情を出すわけでなく、話はスムーズに進んだ。
 メモに忠実に従ってたどり着いた先は、地震の一つでも起こせばバラバラに崩れそうなほどに古びた木材主体のアパートだった。その時点で私の胸中には暗雲が垂れ込めていたのだが、彼に会いその部屋へと入った瞬間、暗雲は雷雲へと変わったのを感じた。実際私の身体は蛇に睨まれた蛙のように全身総毛だっていたことだろう。
 本来は木製の床が足元にあるのだろうが、代わりにあるのはよくあるコンビニ袋、ペットボトル、弁当箱にスナック菓子の袋やその中身、脱ぎ散らかされた衣服など、一人暮らしにありがちな他人を気にしない部屋作りをより、表現する言葉が見つからないほど悪質にした景観が目の前にあった。彼はそんなことは気にもしないようで、我が家に案内しようと床に散らばっているゴミを蹴飛ばしながら歩いていく。
 作家活動に熱心な人間は自分の生活を顧みないというのはよくあることだ。売れている作家は定期的に部屋掃除を受け持つ会社に部屋の整理を任せているのもいるが、まだ作品一つ作っただけの新人作家にはそんな贅沢なことはできないだろう、この部屋の状態は全くありえないこととは言えない。しかしそれにしても酷い。ゴミの中に何が潜んでいるかわからないので、私はオドオドとした足取りで彼の後に続いた。
 ゴミだらけの、恐らく彼にとっての作業場であろう、部屋の安全そうな場所に腰を下ろした私はさっそく執筆活動を手助け、実際は監視だが、する旨を彼に伝えた。彼は快くそれを承諾した。
「嬉しいな〜、あなたみたいな綺麗な人がわざわざ来てくれるなんて」
 彼は私の容姿を褒めているつもりなのだろうが、じゃあ私の容姿が彼にとって悪いものだったらどうするつもりだったんだと、気分の良いものではなかった。勿論、そんな感情なんて微塵も出さず私は笑顔で取り繕うように、
「ありがとう、とりあえず早速なんだけど、何か良い案はもうできていたりしますか?」
「いえ、まだですけど…、前に送った原稿はどうだったんですか?」
「あれは…残念だけど、掲載するまでに優れたものじゃなかったようです…」
 私が正直に伝えると彼は少し表情を曇らせた。当然だ、これで落ち込まない人間は作品に対しての感情がないということになる。
「ですが、あなたの第一作の充実した内容はまだ大きな評価を持っていますよ。その期待があるので、私が次作をよりよくするためのフォローをしに来たのですよ」
 これを始めに私はまず彼の自信を維持するための言葉をかけ、次作への話をしていった。
「どうもありがとうございます。頑張りますので」
 靴を履いている私の後ろで彼がお礼を言う。
「また時間の空いている時に来ますので、ゆっくりと案を考えてください」
 とりあえず彼の信用を得る目的は達成できたということで私は帰ることにした。


 それから私は、本当に片手間に彼の様子を見に行くことにした。彼は作家を目指しているせいなのか、バイトもせずに家にいることが多かった。金銭面では専ら実家からの仕送りに頼っているらしく、生活は楽とは言えないようだ。といっても、アパートと部屋を見れば誰もが思うことだろうが…。
 私は彼の家で作品についての打ち合わせをすることもあれば、外食をして気分転換をさせることもあった。
「すみません、まだこれだ!と言えるようなものが思いつかなくて」
「無理に作ろうとしても良いのはできませんよ。作家の中には何年もかけて作品を作る人もいるのですし、自分のペースで考えるのが大事ですよ」
 こうやって私は彼の案が出るのを待ってみたが、それの繰り返しで3ヶ月もの時間が経つと私は疑問の感情を抱き始めていた。これだけ待っても案の一つも出ないのはさすがに気になるものがある。
 彼が席を外している間に相変わらずゴミだらけの部屋を調べてみたが、何かを書こうとした痕跡、例えばクシャクシャに丸められた原稿、は全くなかった。勿論こんな部屋にいるぐらいなので、パソコンなんてものはない。そもそも私がいる時に彼が机の前に座って原稿と向かい合っている姿を見たことがないのだ。
 考えれば考えるほど、想像は私にとって良くない方向へと向かっていく。これはハッキリとしなくてはいけない事柄ではないか。私は翌日仕事を終えた後、彼の学生時代の友人に会ってみることにした。彼との会話の中にその人のことがあり、彼に家にアルバムもあったので、その友人を探すのは比較的容易だった。


「あー、あいつのこと?今でも時々会ってますよ」
 彼の友人は浅黒く日焼けした、いかにも体育会系な身体とは対照に丁寧な手つきで私の前にコーヒーを置いてくれた。
「そのことなんだけど、彼は学生時代から作家を目指してたりとかしてました?」
 いいえ、ときっぱり彼は否定した。
「あいつはそんな大層な目標を掲げてませんよ、見ての通りああいう無精な生活をしているのは、作家とか関係なしにあいつが面倒くさがりなだけですし」
 私は脳天を殴られたような衝撃を受けた、わけでもなかった。それは想像の中で一度浮かび上がったものなので、全く予想外のことではなかったが、さすが私は表情を変えずにはいられなかった。
「それじゃ、彼は何で作家を目指すように…?」
 彼の友人は少し考える仕草をした体育会系な体格だが、思案している最中の顔は、知的な印象を受けた。
「その前に、失礼ですがあなたは、その、とても整った容貌をしてますね」
 あまりに回りくどい言い方に私は思わず吹いた。つまり綺麗ですね、とでも言いたかったのだろう。彼も自覚しているようで困ったように頬を掻いて口を開く。
「彼とは深いお付き合いを?」
 彼が何故こんなことを尋ねるかは推理することができなかった。しかしこれは少し興味のある質問なので、私は逆に聞き返してみることにした。
「あなたとしては、深い方と浅い方、どっちが望ましい答え?」
 彼はハハハと笑い、浅い方がいいですねと笑顔で答えた。
「あれにあなたは不釣合いすぎます。もし深かったら腹が立ってますよ」
 私と彼が仕事上の付き合い以外の何物でもないことを彼は察したようで、正直に自分の思いを言う。この人は、知識というか、物を見る感受性は高いなと私は思った。何か一つ作品を書かせたら、面白い小説を書いてくれそうなタイプだ。
「いや失礼しました。それじゃ前の質問の内容に戻りましょう、彼は何故作家を目指すようになったか…、その答えは、彼は作家など目指していないってことです」
「えっ!?」
 これには私も素っ頓狂な声をあげてしまった。作家を目指していない人間が何故作品を書いているのか。
「でも、あなたも知っているように、彼の第一作は素晴らしいものでしたよ?作家を目指してもいないような人間にはあれほどの作品は作れませんよ」
 あの作品があったからこそ、辛口の編集長ですらこれほどの猶予をくれているのを忘れてはいけない。文章と触れていない人間にあの作品のような表現はまずできないと考えていいだろう。彼の友人はハハハとまた笑った。少し頬を赤くしている。
「目の前で言われると恥ずかしいですね。どうもありがとうございます」
「いや、あなたを褒めたわけじゃ…」
 そこで不意に脳裏を横切った一つの予想によって、言葉が途切れる。
「あれは僕が書いたものなんですよ、学生時代にね」
 こればかりは驚かざるをえなかった。彼は友人の作品を使って私たちの会社に作品を送ってきたことになる。つまり盗作だ。
「彼の生活を見ての通り、あの怠けっぷでしょ?できるだけ楽にお金を稼いで贅沢な生活をしたいってよく言ってましたよ。その時、そちらの会社の作品募集の知らせを見つけたようで、僕の学生時代の文を使おうとしたんですよ」
「あなたは、それを承諾したんですか?」
「ええ、賞金も別に欲しくなかったですし、今はこの通り物書きとは離れた生活もしてますしね。賞の一つでも貰えたら昼飯でもおごってもらおうってぐらいの気分だったんです。それがまさか優秀賞を貰えるなんて、驚いたもんです」
 自信作だったから余計嬉しかったですよ、と彼の友人は後に付け加える。彼の了承のもとなら、別に盗作とはならないが、これは大きな事件である。つまり彼自身には全く文才などないという事実である。
「それじゃ、それ以後の作品もあなたのものを…?」
「ええ、でも、せっかく賞を取れたってのにその金を全部ギャンブルにスったって聞いたもんで。僕に対して何もしてくれなかったんですよね。ま、彼の性格は知ってるんで予想はできてましたけど。お礼も何もなしに僕の作品がまた欲しいって言ってきたんで、私的に出来のよくないのを渡してたんですよ。本当はまだ私的に良いものはあったんですけどね」
 なるほど、それでその後の彼の送る作品は質がよくなかったというわけだ。にも関わらず会社は彼に期待をもち次作を催促し続けた。
「最後の彼に渡した作品なんて、案だけでしたから。文章は彼が必死で書いたんでしょうね」
 友人はいい気味だと言わんばかりに悪戯小僧のような笑いをする。どうやらあまり彼に好意を抱いていないらしいことはすぐ分かる、
「ありがとう。もう充分わかりました。つまり、本物の作家はあなただったんですね」
「本物の作家って、そんな大層なものじゃありませんよ」
 そう言ってまた恥ずかしそうに頬を掻く。
「コーヒー冷めちゃいましたね」
 話に夢中になっていたので、最初に差し出されたコーヒーのことをすっかり忘れていた。
「あ、すみません」
 そう言って私はカップに手をかけると、彼は慌てたようにそれを止めた。
「飲むのでしたらまた淹れますよ。冷めたのじゃ美味しくありませんし」
 そう言って半ば強引にカップを取ると、キッチンの方に向かう。彼がよほどコーヒーに凝っていることが容易にわかった。私はそれに甘えることにし、コーヒーができるのを待った。
「あ、美味しい」
 彼なりにコーヒー豆を合わせて作ったブレンドコーヒーなのだろう、飲むと同時心地よい香りと温かさが身体に広がっていった。
「はは、これも私的に自信作です」
 彼は満足そうに笑った。


「どうもありがとうございました」
 私が玄関で彼にお礼を言った。彼は慌てたようにまた頬を掻く仕草をする。どうやら狼狽した時の癖らしい。
「とんでもない!僕こそ楽しかったですよ、暇があったらいつでも来てください。何でも出しますよ」
 彼はそう言って笑った後、あっ、と声を上げた。
「そういえば大事なことを言い忘れてた。しかもとんでもないことを」
 彼が深刻そうな表情をするので私も思わず緊張した。何か彼が会社に不利益になるようなことでもしているのだろうか。
「あなたが感じの悪い人だったら言うまいと思ってたんですが、全く逆だったので教えます。会社とか関係なしに、あなた自身のことについてです。聞いてくれますか?」
 私に関する問題…、気にならないはずがない。友人が知っているような問題ということは、偽新人作家の彼と私に関する何かということになる。しかも重要なことだというのだから聞かないわけにいかない。

 私はゆっくりと頷いた。




「残念ですが、来週の頭からもうここに来ることができません」
相変わらず、というより、より一層ゴミが増えているような気がする部屋の中、私は彼にそのことを伝える。彼は予想通りに驚いて少し腰を上げた。その拍子に彼の身体に触れていたゴミの山がドサドサと崩れ落ちる。それに少し眉をひそめながらも、私は続きを話す。
「3ヶ月経っても原稿一つすら出せなかったものですから、編集長から怒られてしまいまして、会社自体の仕事も多くなってきたので、そっちに回されることになりました」
 自分で言っていてもっともな内容だなと思った。事実、鳴らない鐘に編集長はさすがにもう切り捨てようという考えになっている。だが、まだ私の観察というものを止めようということにはなっていない。
「僕が案を出せなかったから来れなくなるんですか?」
彼は私の顔をマジマジと見つめながら呟く。私は少し思案顔をした後に頷く。
「来週までに何か明確な案でも出せれば、また様子を見ることができるんでしょうけど…」
 これが目的である。先日の彼の友人の話で、彼が嘘っぱちの作家であることは確認できた。それを知った時点で、彼に付き合う道理もなく、編集長にその旨を伝えて一件落着となるはずである。だがこうやって私は彼に案を作らせようとしている。そして彼はそれを断ることができないはずだ。
「それでは、時間なので私はもう帰ります。頑張ってくださいね」
 そう言うと私は狼狽している彼を尻目にそのアパートを出る。別に次の予定なんてあるわけじゃない。片手間にやっているだけなので、暇な時にしか行かない。だが暇だからといって、あのままあの部屋に居続けるのも私にとって良いこととは言えない。時間的にも衛生的にも、文章的にも。ただ私は待つだけである。彼がどんな行動を起こしてくれるか。



「最初に、あなたとあいつの関係について聞きましたよね?」
 玄関前で、彼が偽作家であることを暴露した彼の友人が目の前で神妙な顔をしている。むしろ、少し不機嫌そうな色もある。
「あれは、あいつとあなたが本当に付き合ってるのかを確認したんです」
 ここで私はまた間の抜けた声を出さざるを得なかった。どういう流れで、私とあのゴミ部屋の主が付き合っているという認識が生まれるのだろう。明らかに不機嫌そうな顔をしているであろう私を見て、彼もまた不機嫌そうな表情を色濃くする。
「…でしょうね。怒るのも無理はないです。あいつ、3ヶ月ぐらい前から頻繁に僕のところに来て自慢してたんですよ。美人のキャリアウーマンの彼女ができたって」
 私は言葉にできず、ただ先を促すことしかできなかった。話の内容はこういうことである。彼は私がよく部屋に訪れるのを、私が彼に特別な好意を抱いているからだと確信し、また外食などにも行った間柄なのでもはやカップルといっても差し支えないだろう、と彼は決めて友人に自慢しにきていた、ということらしい。
「それで聞いてみたんですよ、何でその人がお前のことを好きなのかわかるのかって」
 その後に続いた彼の言葉に私は思わず笑うしかなかった。といっても全く愉快ではなかったが。
「そしたらあいつ、このゴミだらけの部屋に来てくれるんだぜ?彼女はきっと俺とフィーリングが合うんだ、って」
 ゴミだらけの部屋に度々訪れるということはゴミよりも自分に対しての好意が勝っているのだろうと考えたのか、私もゴミだらけの部屋に安堵感を抱くタイプなのだという同調を抱いたのか。どちらにしても私にとっては身の毛もよだつような話としか思えない。仕事の手伝いに来たというのにそれを好きだと勘違いする頭の愉快さも相当なものだが、それを吹聴しようとする身勝手さにもただ呆れるしかなかった。
私は軽く一つ溜め息をつき、顔をあげる。教えてくれてありがとうと言っている時の私の表情はおそらく微笑んでいたのだろうが、その微笑は少し、いや、かなり悪いこと考えている微笑だっただろうなと思った。



 その後、翌週の頭になるまで私はいつも通りあの古びたアパートへと足を延ばした。もう来ないという私の台詞が聞いたのか、最初は彼も必死になって案を出そうという素振りを見せていた。しかし、間もなく彼はそれをしなくなった。怠惰な性格が表出したのだろう。その代わりに卑屈そうな物言いで私に対し、「大丈夫、案がなくても僕は第一作で秀作を出したんだ、なんとかなる」「案がでなくてもまた来てくれるよね?」「君も考えてよ」などと言い始めた。私のことをいつの間にか私物化している彼の態度だが、私は特に何の感慨もなかった。ただそれらの言葉に対し「無理です」「駄目です」と一点張りで通していた。このままこれで終わっても、それはそれで構わなかった。ここから私の娯楽だ。


 そして、執行の時は来た。私は内心ウキウキしながらもはや慣れてしまった、慣れても全く得にもならないが、あの部屋を訪れた。
「今日が最後の日です。どうですか?何か案は出ましたか?」
「あのさ、先に聞いとくけど、何か一つでも案が出せたらまたいてくれるんでしょ?」
 すっかり馴れ馴れしい喋り方になっている彼は、魂胆見え見えの質問をしてくる。
「ええ、たぶん。内容にもよるでしょうけど」
 そう言うのを聞くと彼は自信ありげに胸を張って、これまた誇らしげな口調で、
「案ができたよ。しかも飛びっきりのを!」
 えっ、と聞き返す。追い詰められた逆境から何か閃いたのか。私は気を取り直して彼を見つめる。羨望の眼差しと受け取ったのかはしらないが彼はますます自慢げに口を開く。
「まず内容はこうなんだ」
 彼は腕を組んでゴミ部屋の中を焦らすように歩き回る。私は無言で先を促す。
「ある一人の男が、一つのガムを手にするんだ。その名もシャキーンガム!」

「…」
「これを噛むとたちどころに人生に期待と夢を持ち、文字通りシャキーンとした生活を送るようになるんだ。しかし!」

「…」
「なんと男が噛んでしまったのはそれとは全く正反対のガム、ションボリガムだった!」

「…」
「これを食べてしまった男は、人生に期待も夢も希望も持てなくなってしまったとさ」

「…」

「…」

「…」

「おしまい、だけど」


「…」
「…」
 頭が痛かった。私は手のひらをあげ、もう片手を頭にあてる。待て、今考えてるという気持ちが伝わっていれば幸いだ。しかし、長い間考えた末に出た言葉は簡単なものだった。
「…で?」
「…で?って?」
 これがどれほど変なものか、誰もが思うことだろう。ガムがある、それはシャキーンガム。しかし男が食べたのはションボリガム。おしまい。何が足りないのかと言ったら、全て足りない。それこそ段落的にも表現的にも、…文章的にも。

 段々笑えてる気持ちが沸き起こってくるのを感じた。それを意識すればするほど笑いが込み上げてくる。頭を抑えていた手を離す。
「まず、私が言いたいことは…」
 うんうんと彼は私に顔を近づけてくる。
「そのシャキーンガムをあなたに食べさせてやりたいってこと。そうすればこんな足を踏み入れることにも難儀な部屋で団子虫みたいな人生を送ることに恥を感じないはずがない。そして今度は昔の私にションボリガムってのを食べさせたいね。盗作紛いの行為で人の名誉を奪った人間に対していつまでも期待していたなんて汚点でしかない。そして最後にはあなたにまたションボリガムを食べさせたいわ。それは何故か?人が自分のことを好いていてくれてるっていう馬鹿げた自惚れを起こさせないためにね!」
 言いたいことを言い放った私は、どうもありがとうさようなら、と業務用挨拶をしてさっさと部屋を出ることにした。私が家の扉を閉めるまで、彼は呆然とした表情でその行動を見守るだけだった。




 もう来ることはないであろう古びたアパートに一瞥をくれた後、私は携帯を取り出した。
「編集長ですか?私です。今まで彼の様子を見てたのですが、結論が出ました。はい、ションボリするほどでした。その代わりに良い逸材を発見しましたよ。学生時代の作品を見せてもらったのですが、期待がもてるかと。ええ、それはもうシャキーンとするぐらい。はい、それでは一旦そちらに戻ります」