集中と感覚の相関(11.30.2001)
何かに集中する、というのは非常に凄いことだと思い知らされた事件があった。
ある晩、自分の部屋で次の日の支度も終えて、さあ寝ようと思ったときのこと。
腕時計がナイ。
どういうわけだか、机の上にはずしておいて置いたはずの腕時計が見当たらなかった。別に今必要というわけじゃないけれど、今見つけないともう出てこないような気がした。(部屋の荒れ具合的に。)
どこへ行ったのだろうか?床の上、ベッド、本棚、方々探してみてもなかなか出てこない。早く寝たかったのに困ったことになりそうな気配であった。こんなときの大敵はパニックで、無理にでも冷静にならないと、時間の経過とともに焦りと苛立ちが高まってヒステリックになる。そんな自分をよく知ってたので頑張って深呼吸をし、余計なことは何も考えずゆっくり腰を据えてかかることにした。
絶対この部屋にあるはずだった。どう記憶をたぐっても、他の場所には有り得ない。絶対この部屋にある、そう信じ込むことに成功して幾分落ち着き、じゃあどうしようか、と考えた。壁の時計がカチカチと規則正しく秒を刻む。カチカチというこの音はしばしば焦燥を喚起させるけれど、今回は違った。「この音を捕まえるってのはどうだろうか」と頭に浮かんだ妙なアイディア。
今自分には腕時計の音は聞こえない。でもシーンと静まり返った図書館なんかで妙に腕時計の音が気になったことを覚えていて、「何でか知らないけど聞こえるときは聞こえるはずだ」と思った。じゃあどんなときに聞こえるのか。
壁の時計の音に注意を向けてみた。カチ、カチ、カチ、カチ。一秒に一回。頭の中でカチカチ言って数えてみた(この「頭の中で言葉を言ってカウントする」っていう話に関して、また面白い話をファインマン先生が残していらっしゃいます)。カチ、カチ、カチと時計が鳴るのに合わせて「カチ、カチ、カチ」と頭の中で言う。
「カチ、カチ、カチ・・・」と続けていくと、たまたま、ある一秒を時計よりも早くカウントしてしまった。「カチ」がカチ、よりもほんの少し早くなってしまったのだ。それで「あ」と気が付いた。つまり、カチと聞こえるとき自分は「カチ」という音を無意識に「期待」しているのだ。一回カチ、という音を聞くと同時に、私の中で無意識に、「さあ、次が鳴るぞ次が鳴るぞ、カチッと鳴るぞ、さあ一秒、今鳴るぞ!」という声があるのだ。でカチ、と聞こえると「ほら鳴った!さあ次だ次だ、次が鳴るぞ・・・(以下省略)」という具合に続いていくに違いない。何らかのきっかけで一回、壁時計のカチという音を拾ったために、壁時計がカチカチ鳴っているのがずっと聞こえているのだ。だから逆にいえば、今腕時計の音が聞こえないのは、その一回のカチの位置が分からないため、「期待」のしようがないせいで、一回でもそのカチの位置が拾えれば、その後ずーっとカチカチと腕時計の音が聞こえるようになるはずだ!
ここまでの仮説が正しいとしたら、今腕時計を見つけるためにまずやるべきことは、任意のtについて時間 t 〜 t+1秒の間にカチを一つ見つけることだった。私は聴覚に神経を集中させるために、部屋の明かりを落として真っ暗にし、その中で目をつぶってじっと聞き入った。なんかすごく怪しい人みたいだったけど幸いそんな夜中に家の中で何をやっていようと私の勝手だった。
もしかしてこれだけで腕時計の音が聞こえるように鳴ったかな、と思ったけどやっぱり壁時計のカチ、カチ、カチしか聞こえなかった。次に私がしたのは、その一秒間隔のリズムを覚えて、あえてタイミングをずらして頭の中で「カチ、カチ、カチ・・・」と一秒間隔で言うことだった。位相が偶然うまく合えば、壁時計より若干か細いであろう腕時計の声が聞こえるはずだった。
・・・合わない。5秒くらい続けても何の音も聞こえてこなかった。それじゃあこれはどうだ、と今度は0.3秒くらいずらして「カチ、カチ、カチ」と言ってみた。
「カチ、カチ、カチ・・・聞こえない」、また駄目だった。だんだん要領を得てきて、2、3秒ごとに一回t 〜 t+1秒の領域を気ままにサーチしていき、5、6回目の試行を繰り返した後、とうとう捕まえた!
「カチ、カチ、カチ・・・」、カチ、カチ、カチ、位相が見事に一致したのだ。すると突然、本当に突然、壁時計とは0.2秒くらいずれた間隔で、しかし当然一秒ごとに、カチ、カチ、カチとか細い声が聞こるようになった。どこだどこだどこだ。机の上じゃない、ベッドの上じゃない、・・・あった!腕時計は机とベッドの間の細い隙間に落っこちていた。
注意すると聞こえるようになる音というのがある。普段そうでもないくせに、時々気になってしょうがない音。人間は頭の中で意識することによって、音をくっきりと浮かび上がらせることができるらしい。それは恐らく聴覚だけじゃなくて、視覚とか、あるいは味覚に関しても思い当たるフシがある。一体全体どんなメカニズムでそんなことが出来るのだろうか・・・センサーの感度を意識的に上げ下げできる巧妙な作りが体内にあるんだ。イオンチャンネルの活性を変えるとかいろいろ想像したけど、まだ自分には荷が重い問題だった。
のでさっさと寝た。