三河湾自転車一周記

98年11月、T戸さんの影響を受け「旅」ってものを知ってしまった俺は近場を旅しようと計画と立てた。素人ゆえ、経験がないため、まずは近場であった。確かT戸さんにも相談したと思う。

そして自転車使用で豊橋〜45km〜渥美半島(伊良湖)〜フェリー〜知多半島〜35kmぐらい?〜名古屋(友人宅で一泊)〜70km〜豊橋というルートが完成した。この時、今も愛用している寝袋を購入!!確かホームセンターで¥2、980であったと思う。あと貧乏なのでオニギリを作ってもっていくことに。

そして出発!!時刻は14:00ぐらいだったかな?伊良湖岬までは平凡な道、、。なんも面白くなかった。そしてフェリー乗り場に着いたのは17:00時頃であった。そしてフェリーに乗る手続きをしようと思って中に入ろうとしたが、なんか雰囲気が変。出港時間をみてみると、もう今日は知多半島行きがないじゃん!なんてこったい!!舐めていたぜ!!調べておけばよかったよ、こんなミスをするとは、、、。

明日の朝一出港時刻で09:30!!まじかよ?今19:00だよ!!仕方ない俺のミスだもん。しっかしマヌケである。しょうがないから近くのコンビニ行って雑誌など買って時間を潰し寝た。寝袋買っておいてよかったよ。しかし海の近くだけあって風が強く寒かった。しかも寝てるとカップルが通りかかって「うわっ」とか言って走って逃げていくし、、、。

翌日、悔しいので朝日を見てやろうと思ったが曇りで見えず、、、。ほんと駄目ダメだ(--;)そしてなんとか知多半島に渡る。知多半島も平凡な道だった。そして半田市で名古屋に行くか名古屋寄らずに豊橋に直に行くかを迷ったが名古屋行き決定!!新名古屋駅近くにある友人宅に寄る。着いた時間は覚えていないが夜は更けていた。そこで友人に「泊まっていけば?」って言われたが明日バイトがあるので帰ること決定!!そして、また自転車を漕ぐ!!

しかし途中で眠くなる。ここは岡崎市、とりあえず仮眠場所を探す、、、。結局、岡崎市役所の陰で寝る、だけど30分もしないうちに寒くて起きた!!そしてまた自転車を漕ぐ!!そして事件は起こった!!!

国道1号線で謎の原付、自転車乗せ疾走!!

事件は98年11月3日深夜に発生!!しげちゃん(仮名)が東岡崎〜豊橋間を自転車を膝に乗せたまま原動付自転車(原付又は原チャリ)を運転、疾走するという事件内容である!!
ことの発端は自転車で三河湾一周中で名古屋から豊橋市の自宅まで帰宅途中のM氏(当時19)の乗る自転車ウインディ号の後輪タイヤがパンクしたことから始まる!!
パンクしたのが深夜であったので自転車屋が開いているわけなく、ましてやM氏の所持金は500円であったために、しかたなくM氏はパンクしたままの愛車に乗り続けたが、あまりにも乗り心地が悪く、下手に乗り続けるとパンクの修理費がかさみそうだということで自転車を降り歩くことを選択!!

しばらくして歩き疲れたM氏は、ライトの当たる大きめの交差点脇に座り込み止まってくれるクルマを待ったが1台も止まらなかった!!愚痴を言いながら歩きはじめたM氏!!しかし豊橋まで23キロの看板を目撃!!失望していた、、、。

あぁ・・・豊橋は20キロ先かぁ、誰かに迎えにきてもらうかなぁ。と考えていた、まさにその時!!「なにしとるの?」との声が!!M氏が後ろを向くと、そこには2台の原付が!?その声の主こそ、しげちゃんとその親友のかっちゃん(仮名)であった。

かっちゃん・しげちゃんはM氏の事情を知り、なんと「んじゃ、豊橋まで送ってやるよ!!後ろに乗りん!!」と言うではないか!!M氏は自転車を捨てる決意をし、「お願いします」と言ってかっちゃんの原付の後ろに乗った。しかし、しげちゃんは自転車までも豊橋まで送ってくれるつもりだったらしく、原付に乗ったまま自転車を膝に乗せているではないか!!M氏は驚愕し本気(マジ)かよ!?と思ったが原付はすでに走り出していた。走っている道は天下の国道1号線である!!2台の原付は何事もないように走っている・・・トラック野郎はビビッたのか我々を避けている!!国道1号線・岡崎〜豊橋間は本来2車線である。しかし、この時間、この瞬間は1車線になっていた

M氏は始めはビビッていたが、だんだん楽しくなってきて妙な征服感を感じていた。暴走族ってこんな感じ?って思っていると運転手のかっちゃんが話しかけてきて色々な話しをした。「しげちゃんは凄いよね」っていうのが話題の中心だった。信号を4、5個無視をしながら、しげちゃんは自転車を膝に乗せたまま絶妙なバランスをもって走り続けている。本当に凄い人だ、本当に優しい人だ。と思っているとM氏は泣きそうになった。「とにかく嬉しかった」とのちにM氏は語る。豊橋につき3人は20分ほど語り合い、そして別れた。

最後のしげちゃんの言葉は「また、困ったことがあったら心の電話で呼んでくれ」だった。最高だぜ!!しげちゃん、かっちゃん!!本当に本当に心を込めてありがとう。

また会う日まで、、、


98年発行;江畑応援新聞より抜粋(加筆修正有り)