12月23日「ルール」

午後二時頃H政大学に着く。何やらキャンパスの中央が工事で立ち入り禁止になっている。どうやらH政大も近いうちに本館が20ウン階建てのビルになるらしい。I大もそうだが、建物変えたって大学の中身自体は変わりゃしないのに。

案内されて、彼らのアジトというべき(彼らはサークル室を持っていない)YAMAKAWA荘という都心で月3万の御ぼろアパートに向かった。そこでレースの内容を知らされて愕然となった。私は100時間耐久とばかり思っていたので、

「レースが終わったら北海道に渡って朝日でも見てこようかな。」

と話したら、

「えっ」とばかり怪訝な顔をされた。

「だって100時間耐久でしょ。28日の午前10時で終わりでしょ?」

「えっ、レースの内容知らないんですか?」

私が思っていた内容とはいうのは、昨年行われたものと同じで、東京を出発して北に向かい、100時間でどこまで行けるかを競うというものだったが、今回の内容はソレとは余りにもかけ離れていた。

昨年の優勝者が到達した、岩手の滝沢というところ(盛岡の少し北)よりも北にある峠を越えて一旦日本海に出てから、東京のH政大に戻ってくるという何とも過酷なルートであった。

大体冬の東北の峠を変速機なしのママチャリで越えれるのだろうか。吹雪きにあったらどうすんだ。そう思うと戦慄が走った。総距離も千キロは軽く越えている。絶対レース中に年を越してしまうだろう。荷物も100時間と思っていたので少なすぎて不安である。

しかし、もう東京にきてしまっているし、それになにより年末年始の予定もない。そう、このレースはイブを共にすごす相手も無く、家族と共に年を越す甲斐性もなく、金もなく仕事もないような私みたいな人間のみが参加できるレースだったのだ。

N野がそのままこっちに置いてきたママチャリの変速機能を使えないようにし、整備した。このN野の魂がこもったチャリにN野の化身”ナガノ・カ・シン”号と名付けた。

夜は前夜祭ということで鍋と酒を頂いたが、正直いって早く寝たかった。結局2時間くらいのうたた寝で出発1時間前を切ってしまった。

To Be Continued、、、

トップに戻る