about Taipei
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about Taipei 2003 december




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台湾に行って一番驚いた事は、いまでも日本語を巧みに操る
御年寄りの多い事。バス停で出会ったおじいさんには
「女の子の一人旅は危険だからもしなにか困った事があったら
ここに連絡しなさい」と連絡先まで教えもらったり
私が日本人であることが判ると、懐かしそうにして流暢な日本語で
話しかけられる事も何度かありました

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第二次世界大戦終了まで、日本の領土だった台湾が
中華民国に返還されたのは今からたったの57年前。
台湾はもともと山胞と呼ばれる先住民族が多く住む土地でした
現在のように漢民族が台湾に住む事になった理由は
常に第三国による影響を受けてきた台湾の歴史にあります


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台湾の植民地の歴史は16世紀後半からはじまります。
途中スペインによる北部占領を受けながらもオランダによる
統治が37年間続き、1661年中国によってオランダは撃退され
台湾は開放されました。この時中国南部、主に福建から
今の漢民族の子孫にあたる人達が大量に台湾にやって来たそうで、
今の漢民族の人達のほとんどが彼らの子孫というワケ。
清政権の支配は台湾にも及びましたが「大陸政権は中央との
距離に反比例して文明度が低くなる」という おかしな思想から、
台湾は小さな僻地の島に過ぎず、十分な統治を行いませんでした。
そのため、近世以前の台湾は、混沌とした状態が長く続きました。

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19世紀末、日本は日清戦争に勝利し台湾はこれを境に
日本の統治下となります
日本の植民地政策は、欧米への対抗意識から、インフラの整備や
教育の普及、治安の維持に大変な力を注ぎ、その取り組みは
当時の日本本土を上回るものだったそうです。
台湾人の日本同化政策によって台湾での学校教育は
日本語で行われたため、この時代に学校教育を受けた世代は
日本語を話すことができます。
バス停で出会ったおじいさんもまさにこの時代の人。
台湾人は、二等国民とされ、日本人などと差別されましたが、
こうした植民地政策により、台湾の公共インフラや教育水準は
この時期に飛躍的に向上し、経済的にも発展しました。

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太平洋戦争での日本の敗戦により、台湾の領有は戦勝国の中国が
その権利を得て、以降中国の台湾統治が始まりました。
(国民党進駐前から台湾にいた漢人を「本省人」といい、
これ以後大陸から渡来した漢人を「外省人」といいます。)
返還後、蒋介石率いる国民党はファシズム独裁政権を
台湾にもたらし、台湾の日本色を排除するさまざまな政策をとり、
政治的にも強圧的な政権へとなっていきました。
それが1947年の2,28事件に繋がって行くのですが・・・
こうした政策への反発を抑えるため、国民党政権は
次第に恐怖独裁的な政権となっていき、戒厳令が布告され
これが40年以上続くことになりました。

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1970年代になると、国連では、中華人民共和国を中国を代表する
国家として承認することになりました。このとき、中華人民共和国、
中華民国の双方とも、大陸と台湾は一つの中国という
国家であると主張したため、中華民国は中国の中の台湾という
地域を占拠している集団ということになりました。
中華民国は、このとき国連を脱退し、かわって中華人民共和国
がその地位に就きました。これ以来、台湾は、国際的には
中国の一地方として位置付けられることになって、
台湾問題は中国の内政問題という位置付けになりました。
日本でも田中角栄の時代に中華人民共和国と国交を樹立し、
同時に中華民国と断交したり。。。。

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 1975年蒋介石の死後、長男、蒋経国に実権が移る頃になると、
国際世論の批判が高まり、民主化への流れは無視できないものとなり、
1987年には戒厳令が解除され、台湾の自由化が始まりました。
 蒋経国の死後、副総統であった李登輝が本省人として
初めて総統に就任。その後1996年に総統直接選挙で
台湾の民主化が遂に実現されました。
その後、総統直接選挙が行われ、野党民進党の陳水偏が
総統となり今に至る訳です
 事実上、独立国家として機能している台湾ですが、
国際的には中国の一地域であり、「独立なら戦争だ」と牽制を続ける
中国との間の軋轢はまだまだ続いています。
間もなく迎える総統選に向けての、中国の台湾への圧力が 心配されるところです

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