B - 2 地域通貨の歴史
 昔は地域通貨が当たり前だった
現代では、お金とは国が発行するものとされ、通貨が国民通貨ということはあたりまえとされています。でも、貨幣の歴史を振り返れば、地域通貨は、なにも特別なものではありません。日本でも、明治時代までは、統一的な通貨がなく、複数の通貨システムが並存していました。たとえば、平安時代以降の日本では、東国は東北の金に依存する金経済、 西国は中国貿易に依存する銀経済で、その上で輸入された銅銭が全国的に使用されていました。 さらに、江戸時代になると、藩が発行する藩札、神社仏閣・商人・庄屋が発行する私札があり、 地域ごとに異なるお金が流通していたのです。
 
通貨が統一されたのは、19世紀に入ってからです。世界的に見ると、 最初の国民通貨は、1825年に発行されたイギリスのイングランド銀行券です。日本では、1899年、日銀券に強制通用力(国内ならば、だれでも何にでも使えるということ)を与えられたとき初めて国民通貨が誕生しました。このように、歴史的には、長く複数の通貨が並立する時代が続き、そこでは貨幣とは、 いわば地域通貨だったのです。
 現代的な地域通貨の始まり
とはいえ、現代の地域通貨は、通貨が統一される以前からあった 地域通貨の延長にあるわけではありません。むしろ、お金が統一されたあとで、新たに誕生したお金なのです。 では、現代の地域通貨はどのようにはじまったのでしょうか?
 
現代的な地域通貨の始まりは、ロバート・オーウェンの「労働交換券」です。 オーウェンは、1832年に、ロンドンで「全国公正労働交換所」を設立し、「労働交換券」による実験を行いました。 参加者は、「労働交換所」で自分の生産したものと引き換えに、その生産に要した時間を記した「労働交換券」を受け取り、 他の生産物を購入できたのです。この実験では、労働時間を価値の基準にして公正な交換をめざしたのですが、 労働時間の計算が難しさや商人の利潤を求めた介入などの理由により失敗に終わりました。

 
しかし、1929年の大恐慌のあと、地域通貨の大規模な流通が起こりました。 1930年代前半、ヨーロッパ、アメリカでは、通貨不足に陥った多くのコミュニティが、 地域経済を活性化するために地域通貨を導入したのです。 この背景には、地域通貨の理論家で成功した事業家でもあるシルビオ・ゲゼルの「スタンプ付き貨幣」というアイデアがありました。 「スタンプ貨幣」とは、定期的に一定額を支払い、日付付きスタンプを押さないと利用できない貨幣です。 つまり、貨幣の価値は時間がたつにつれ減少していきます。このようにいわばマイナスの利子がつくことで、 貨幣が退蔵されるのを防ぎ、流通が促進されることを目的としています。
 
この時代の地域通貨は、経済の活性化に成功することで、 地域通貨の有効性を証明したといえます。しかし、そのことによって、 通貨の発行権をもつ中央政府・中央銀行から反発を受けることになりました。たとえば、オーストラリアのヴェルグルでは、 公共事業の支払いのために、不足した国民通貨のかわりとして、 スタンプ付き貨幣を発行することで地域経済を復興することができました。しかし、オーストリアの国立銀行が、訴訟を起こしたため、 中止に追いやられてしまいました。また、アメリカでも、 多数の地域通貨が導入されましたが、中央政府が主導するニューディール政策の前に、終息することになりました。
 
とはいえ、現在まで継続している地域通貨もあります。 それがWIR(ヴィア)です。WIRは、スイスのチューリッヒで、1934年に中小企業者や商店主が、ゲゼルの理論に基づいて作った 地域通貨です。1936年に、利子を認めた銀行組織WIR銀行が設立され、以来、中小企業間の取引に用いられています。 現在では、企業や商店など7万6千社(スイスの全企業数の約17%)が参加し、年間20億ドルにのぼる企業取引をWIRで決済しているそうです。
top ↑