●●SAYUKIの人形にまつわるエトセトラ
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人形が大好きです。 |
たかが人形。 しかし、イベントまでしておいてこんな事を言うのも何ですが。
実は私は最近の人形ブームに少し危機感を感じています。例えば、それはイベントや専門店で買える素晴らしい手作りドレスの数々を手にした時です。その一つ一つは確かにとても丁寧に仕立てられていて、その心遣い、出来は共にとても素晴らしく、時に人間の服以上の完成度を誇っています。
その素晴らしさに私は感激し、嬉しくなり、胸躍らせます。
しかし、同時に少し目眩がし、怖くもなります。
この人間の服を越える人形服が作られるまでにかけられた時間と
労力と集中力を思って・・。
その間の、その他のことに関する無関心を思って。果たして私たちは、こんな事で良いのでしょうか?
我が国日本は、こんなに問題山積みで、それを片づけていかなければならないのは他ならない私たちなのに。これからこの国を、世界を動かして行かなければならないのは、私たちなのに。その私たちが世界に背を向け、ただ自分の関心のままに人形だけを見続けていて本当にこの世界は大丈夫なのでしょうか?
私たちには、もっと他に世界のために、自分たちの未来のためにしなくちゃいけない事があるのではないでしょうか?もちろん、人形は素晴らしい。
作るにしても飾るにしても大変奥深く、優れた楽しい趣味になり得ますし、着せ替え人形は、人生をかける人がいてもおかしくない「文化」だと思います。だから、普段からもっと多くの人と広くこの楽しみを分かち合いたいと願っています。でも、自分自身が0から人形のイベントを作ってしまう程の「人形バカ」ですから、自戒の意味も込めてここにあえて言わせていただけば、例えどんなに素晴らしいものでも、
「たかが人形!!」なのです。
その事も忘れないでいたいと思っています・・・そんな、今日この頃です。
SAYUKIの主張 ところで。
私の作るお人形(の服)って、必ずしもちゃんとした服着て無いんですよね。パッと見、ただ、布巻き付けてあるだけじゃんって
コがけっこういるんです。
でもね、それは作者としてはその雰囲気がかっこいいし、
素敵!!と思ってるからそうしてるんですけど。何か。
手抜きととられる方がみえるようで…弱っちゃいます。
ギリシャ神話なんかの神様がしてるみたいに、一回きりのドレープの美しさとか、毎回の巻き方の工夫によって生まれるバリエーションの美しさなんかに私は引かれるタイプなんで。
だって、それこそ最高の着せかえじゃありません??
切りっぱなしの美学とかねぇ……
実際の人間も、切りっぱなしで着る民族服とかあるじゃないですか?
いや、いいんですけど。
なんか……手抜きみたいに言われたのがしゃくだったんですね。
すみません。・・・でもこれは手抜きでなく、私の趣味なのぉぉっぉ!!
と言うことで。SAYUKIの主張でした!(^^;)
人形/ストーカー/偶像崇拝
一体なんのこっちゃとお思いでしょうが。
私が最近感じたことを今回はつらつらと。
私は人形作るのが趣味なんですが、最近ちょっとハマリ具合がすごいのです。今までもずっと、紙に鉛筆で人間を描いて来たのですが、立体の表現はこれまた別の魅力がありまして。はい。
やりだすと爪はがしちゃっても気づかない有り様。そんなはまり具合の私ですから、何か最近、ときどき、世の中が人形で回ってる様な気がしちゃう時があるのです。
「世界中の人が限定1000体のあの人形の素体を求めてる」とか、そんな訳ないんですが思えちゃう事があるのです。本気で。
そんな訳無いと、後で気づけば当たり前の事なのですが、その時は本気でそう思えてるのです。どうしようどうしよう、いまからあのおみせにつうはんでおくってもらえばまにあうかしらいやそれじゃおそいやいますぐでんしゃのっておみせにでむいてならんだほうがかくじつかなそれよりまずでんわしてよやくとってからうちをでて………なんて延々と。
とにかく、手に入らなければ死んでしまう気がするんです。それがだいたいホントに要るものかどうかもわからないものだったりするのですが。でも、その人形の素材を手にしない未来がその時には想像出来ないのですよ。欲しいと思ったらどうにも落ち着かなくて、自分のコントロールが自分で巧く出来ない。これは、自分でもびっくりしました。
私は、今はまだはっと我に帰れるからいいようなものですが…でも、これが進んだら。いわゆるストーカーの心理ってこんなものじゃないかなぁと思うのです。
でも、私、今までもずうっと創作活動してきてたんですよね。はっきり言って、してなかった月日って、私が生まれて鉛筆持てるようになってからは皆無だったといっても言い過ぎじゃないはずです。
だけど、今までこんなことは、なかった。
なのになんで急に?自分で不思議に思えて。でも、しばらくぼんやりしてみたらわかりました。
つまり、自分の中心軸がどこにあるかの問題なのです。マンガや小説を描くとき、それはすべて自分の内から生まれて来ます。キャラクターもストーリーも舞台設定も。誰かの描いたのを真似しようとした時でさえ、一度は自分の内にそれを取り込まなきゃ、そして咀嚼しなおさなけりゃそれを使うことはできません。結局、ストーリーを描き続けることは、世界中のことを自分にひきつけて考え続けることと同じだったみたいなのです。
ところが、一方。人形作りの方はというと、それももちろん自分の内の表現ではあるのですが、その割合が全然違うのです。人形にはストーリー組み立ても舞台設定もない訳ですから、作品の構成要素のほとんどは自分の外からの調達になります。つまり、お店で買うわけです。だから。落ち着かなくてひっぱりまわされるんだなぁって思いました。当たり前です。中心軸が自分に持ててないんですから、ふらふらになって引き回される。怖いなあって。
それで同時にわかったんです。多くの宗教で偶像崇拝を禁じる意味が。そりゃ怖いですよね。ホントはただのシンボルにすぎない像ですが、そこに人々が自分の中心軸を持っていちゃったら。その像は、手に取ることが出来る「物」なのですもの。悪い人が自分の都合の良い方に持っていちゃって「はい皆さん、神様はこっちですよ〜」とか言って誘導しちゃったりとか、簡単ですもんね。
実際何度もそういう歴史的事実はある訳ですが。別にこれは人形とか宗教に限らなくてブランド品とか、自然食品とかお金とか、まかり間違えばみんな同じ運命なのでしょう。
くわばらくわばら……
恐るべし。
いやはや、SAYUKIもそんな体験しましたよって、まあ今回はそういうお話でした
ああ、それにしても人形はやめられませぬ〜。