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●もたもたする自由
ある日、こんな事を考えた。
「もたもたする自由」が今の日本は侵害されている。
ある日、こんな話を祖母にきいたのだ。
「妹(85才)は{アップル}の意味も分からない人だから、テレビをみても外を歩いても横文字の羅列が多くて、日本を歩いてる気がしなくて、それで一人引きこもりみたいになってる」
「アップルってのはリンゴの事だと教えてあげたよ」
何でも知りたがりやって見たがりの進歩的な祖母は嬉しそうに笑った。
私は、
「パソコンの会社もアップルっていったり、ビックアップルといえばアメリカの事なんだよ」
と教えようと口を開きかけたが、
なんだか余計なお世話の気がしてやめた。
祖母の妹は、そんな調子だから留守電の存在も電子レンジの便利さも知らず、ましてやパソコンの可能性なんか知りようもないと祖母は言った。
でも、祖母の妹が、それらを拒否する気持ちを
私は少しだけわかる気がする。
人はそれぞれ、祖母には祖母の、祖母の妹には妹(といっても80才近くだが)の世界があって、そこに生きたいから生きている。
無理に今のスピード合理化社会に乗せて、「君たちは遅れてる!世の中はもっと便利になってるんだ。その使い方は云々」と指摘する必要はないんじゃないか。そう思う。
だって、別にそれで彼女らの生活に支障はないのだから。
彼女はきっと私たちの知らないものを知っているのだ。
便利なものは確かに便利だが、何かがいつも物足りない。
簡単に解決がつくから感動がないし、記憶に残らない。
私は今の時代をそんな風に感じている。
好みの問題だろうけど。
世間に置いていかれるよと人はいう。
世の中についていけなくなるよ、と。
でも、普通に暮らしていて置いていかれるなら、
それは世の中のスピードの方がおかしいのだと私は思う。
私はエジプトやギリシアの辺りが好きで、もう何度か訪れた。
そこに何があるのかと言えば、素晴らしい古代遺跡と瞳の輝く人々だ。
あれだけは見てもらわないとわからないと思うが、
あちらの人々の瞳は比喩でなく本当に輝いている。
老人も若い人も男も女も貧しくても。
プライベート時はもちろんだろうが仕事中でも。
実に楽しそうに瞳を輝かせて生活している。
命の輝きってのはああいうのを言うのかと思う程。
だから、故郷日本に帰ってきて私は無性に寂しさを覚えるハメになる。
故国日本は大好きなのだが。
日本人から彼らの生活を見ると、
怠けているから貧乏なんだとしか見えないが、
でも、あれで人生が楽しいなら、
いや、そんな大袈裟なことではなく、毎日が楽しいのなら…、
それは彼らの生き方の方が賢いのではないだろうか。
だって、私たちは、何のために、生きているの?
街角で一緒の場所に向かい合っていながら
別の人間にメールを打ちまくっているカップルや学生達を見ながら、
そんな事を考えた。
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