大阪在住の理学療法士
病院理学療法士を長年経験し、現在老人保健施設に勤務中。
老人介護の世界に入り医療職の無力さに感嘆させられている
(上の油絵は20代の私の肖像画です。
老健の入所者さんが私の写真をというので昔の病院で白衣をきている写真を渡したら、こんなん書いてくれました。
しばらくフロアに飾っていたのですが、ミカンやらお饅頭やらお供えが置かれるようになったので飾るのやめました。f(^^;)
ひとりごと ?
ぼやき
ぼやき
ぼやき〜!!
まぁみなさん、聞いてください!!
何年か前、ある芸能人が女性のスカートの中を盗撮したとかで、謹慎中反省のため
老人施設にボランティアに行きました・・・
てなことが報道されていましたが、「
介護の専門家をばかにしてるのかっ!
」というひねくれた気持ちになったのは
私だけでしょうか?
話は変わりますが、最近つくづく感じることがあります。
せっかく介護職がいいものを作ろうとしているのに、ぶち壊しているのは主に看護師 !・・・
特に疾病看護にひどく責任感のある看護師が「業務の優先度」などと言われるときにゃあ最悪の雰囲気。
病院では「患者さん」は治療のために様々な制約や拘束をうけます。
しかし、
「生活の場」である施設で老人を「管理」しちゃあいかんよ !
生活の場なんだから !
患者さんじゃなくて
「生活者」なんだから。
とかく、病院を長年経験してきた医療職はこれまた最悪。
私達もPTの学生時代は患者さんとセラピストの間には一線引いておくべきものがなければ「治療者」としては
勤まりませんなどと言われたのを憶えています。
でもね・・・・このホームページではそんな医療の現場と介護の現場で何を勘違いしているのか「医療を見本にしなさい。」
なんて間違ったことを平気で言ってもまかり通る介護現場の矛盾を仲間たちと意見交換していきたいと思っています。
在宅 ?
あるお偉い大学の教授が「オムツはぜったいにはずすべきです。排泄とは生理学的に・・・・(略)」まずオムツ否定論を
述べます。
私たちもトイレへの排泄介助やオムツに替わる排泄方法を色々と考えてきましたが、施設にいるときはそれでいいです。
しかし、家に帰ればどうでしょうか?
住宅改修などといってポータブルトイレや手すりを設置してヘルパーさんが来てくれればいいですが、介護度によって
ヘルパーさんが来てくれる回数も限られてきます。
夜間、ちっちゃなおとうちゃんが70`ちかくあるおかあちゃんをどうやって2時間ごと訴える排尿誘導をすればいいので
しょう?
時としてオムツも排泄の手段と考えないと、施設じゃあなく「長年住み慣れた家で」と考えておられる家族には在宅を
あきらめる要因になってしまうのでは?
それでも先生 !「オムツは悪」と言い切りますか?
専門職の役割分担 ?
今、人として・・・・
確か
に施設では職能集団ですから役割分担は必要でしょう。しかし、生活するお年寄りにとってはみんな「にいちゃん」
「ねぇちゃん」なのです。 (中にはそうとは言いがたい人もいますが・・・・)
医師や看護士やOT.PTといった
職業人として関わるのでなく、まず「人として」接したい。それが私の原点です。
家で両親や配偶者が、または自分の大事な人が介護が必要な状態になった時にあなたはどうしますか ?
自分のもつ知識や技術を最大限に活用し、何とかしたいと思うのが愛情じゃあないですか ?
「
一緒に生活している
」という視点で関わっていきたいものです。特養や老健で白衣を着て「治療」をしているPT.OTの先生 !
白衣を脱いで「にいちゃん、ねぇちゃん」になってみてください。「目からうろこ・・・」でっせ !
PTになって20年以上たちますが、毎日が新鮮で新しい発見です。
やっと何となく「リハビリテーション」てぇのが見えてきた気がします。
雰囲気を作るということ
介護の現場では特にチームが関わる施設では「雰囲気」こそがすべてです。
管理者が眉間にしわを寄せ、
毎日若いケア
ワーカー達を叱りつける、そんな職場からは
お年寄りの笑顔も消えていきます。私はみんなに「テキパキと動くなよ!」と
いつも言います。
どこの職場でも忙しいでしょうが、スタッフの動きをお年寄りの体感時間に合わせ、忙しさをお年寄りに感じさせないのが
プロなんじゃあないですか ?
前述したように施設で「バタバタ」しているのはナースさんじゃあないですか ?
どうですみなさん ? リハスタッフもそうやね・・・ f ^_^;)
高齢者は拉致被害者 ?
あまりにも高齢者の人格よりも
介護者の合理性を重視した介護
に片寄っていませんか ? 仕事としての介護者の立場や
責任などと言えば聞こえはいいですが、所詮は逃げ口上 !
高齢者の主体性や尊厳
などはどうなるのでしょう・・・
先日ある特養のケアワーカーさんからメールをいただきました。思うところあって6年間勤めた施設をやめたけど、私の
ホームページを見て、こんな思いの上司がいれば、たぶん仕事をやめなかっただろうというふうな内容でした。
でもね・・・業務の忙しさや人員の少なさのために自分たちの思いを利用者に反映できないっていうのは、やっぱり逃げ
口上以外の何者でもなく、「人の手が足りないから安全のためにお年寄りをベッドに縛る」というのと同じなんですよ !
悲しいですよね・・・私たちが高齢になり同様の立場に立たされた時、「施設だからしようがないか・・」と諦めてしまわなけ
ればならない施設は作るべきではないのです。
まだ病院だったら諦めがつくかもね・・・・・(治療のためとか言われたら納得してしまうもの・・) (ーー;)
私はお願いしたい !立派な医師や看護師によって施設のお年寄りの全てが合理的に管理され、
生活者であるはずの
高齢者が主体性のない患者さんに変わっていくことのないことを
「じゃあ、どうしろっていうのよ!あんたがここに来てやってみなさいよ!」そういう声が今にも聞こえてきそうです。(>_<)
前述したように「専門家として」とか「プロとして」とか「責任者として」とかでなく、人として人生の大先輩であられる方々に
何ができるか、また対象者を「家族」に置き換えて考えてみようよ !
大きな目標じゃなく、今自分ができることをとにかくやってみようよ (~o~)!!
入所者は拉致被害者?Part.2
退所前訪問に行ったときのお話し・・・
Aさんがもう少しで3ヶ月の入所が終わるという前に奥さんとケアワーカーさんと私で自宅を訪問して自宅でのADLを確認
した。
まず、Aさんはいつも自分が座っているというリビングのソファーにドカッと腰掛け、気切をしていて喋れないので奥さんに
冷蔵庫を指差した。
「水?」と奥さんが聞くと首を振ってビンを栓抜きで抜く格好をして見せた。
奥さん「いいですか?」私「がまんしてたんですねぇ・・・内緒ですよ」コップがなぜか二つ運ばれてきて冷たいビールが
注がれた。
Aさんはうまそうに一気に飲み干した。「私は車を運転して来てますから・・・^_^; 」
そのあとAさんはうまそうにタバコを一服吸い、ベッドへ横たわり、鼻に酸素チューブを装着し居眠りを始めた。(-_-)zzz
退所前の訪問では殆どの方があと少しで帰れるというのに、そのままいったん施設に戻るのをいやがる。
「施設だから我慢を・・・・」私ならそんなところは御免だ!
それならとイベント(鍋パーティー)と名を変えて忘年会、新年会でビールやお酒を出す機会を作った。
胃ろう(チューブから直接胃に栄養を注入している)の方の奥さんが同伴し、普段は少しだけミキサー食を口から介助で
食べているBさんはなんと奥さんから米飯をたべさせてもらい、鍋の食材も普通に食べている(@_@;)
今まで何を見てきたのだろう・・・びっくりした!
その後、訪問評価の時に自宅風呂場を見ると油圧で昇降するハンモック式のリフトが置いてある・・・
四肢麻痺で言語障害もあり、体重も50`以上あるBさんを奥さんが入浴させているのだという。
家では普通食を口から食べ普通の風呂に入っているのに何で施設ではミキサーと機械浴?
すぐに奥さんに了解をいただいて、米飯に代え、風呂もシャワーチェアーを使い家庭風呂に近い形状の入浴スタイルに
変更した。
奥さんはスタッフが大変だろうからと思っていたとのこと・・・
「そうしていただけるんでしたら本人も喜ぶでしょう」 今まで何か悪いことでもしていたかのような気になってしまった。
その後、施設では機械浴は使わなくなった。
私たちが家族には絶対になりきれないけど、施設が家庭とは絶対に同じにできないけど、その人が望むその人らしい生活
の手助けをするのが我々の仕事では?
本人の希望 ? 家族の希望 ?
家族の介護負担による疲労、それを気遣い自分の本意とは別に施設に来るお年寄り・・・施設に入所し「職員さんも優しいし、
友達もいてここが一番」と私たちに話す一方では「それが家族のためだから・・」と漏らしてくれたりする。
私たちは本人の意志と家族の希望を両天秤にかけたときどちらを選択したらいいのか時として迷う場合がある。
特に痴呆の方の場合は家族の希望ばかりが先行しがちであるが、本当にそれでいいのか、疑問に思う。
このかたは何を望んでいるのだろう ?
かつて関わってきた家族の中には「糖尿ですけど、おばあちゃん欲しがったらお饅頭食べさせてやってください。」
食べていただきました。病院運ばれましたが・・・・
高度の呼吸器障害を持つT氏は酸素を引っ張りながら、入所中に隣のコンビニまでタバコを買いに行きます。
「せめて、喫煙時は危ないですから酸素はずしてくださいよ !」
Sさんは103才の誕生日に昔育った地車(だんぢり)の町、岸和田城に行きたがっていたのでスタッフと相談して
お連れしようとご家族に申し出ると体力的に無理かなと断られました。そのかわりと近くの「デニーズ」でメニューをご自分で
選んでいただきフルーツパフェ、ホットケーキを食べていただきました。スタッフのミックスジュースまで飲み干してしまい、
そのあと下痢をしたと聞きました。(^_^;)
家族に喜んでいただくよりも、まず先にご本人の納得のいく生活をしていただく努力をしたい。そのためにも、私たちは
ご家族様との日頃からのいい関係作りを心がけたい。
私をこの世界に長年とどめさせてくれているKさんへ
「天国のKさんへ捧ぐ」
私か゛病院で勤務していた頃、脳卒中片麻痺の急性期から関わったかたです。
毎日のように娘さん、お嫁さん孫さんが 交代でリハビリにもついて来られていました。最初,座位も取れなかったのが
半年ほどで何とか一本杖で介助歩行できるまでになりました。
本人や家族と立てるようになったからと感動し、歩けるようになったからと一緒に喜んで涙が出ました。
ほんと、こんな感動ができる仕事ができて理学療法士になってよかったと思いました。
Kさんが退院し、3ヶ月ほどたった日のこと、病院に訪問看護ステーションができ、Kさんの所に訪問リハビリに行ってほしい
との依頼でした。
行ってみると、あんなに長い間、信頼してくれていたはずのKさんは私のことも忘れているようで、言葉も少なく寝たきりで
起き上がることすらできません。手足の関節も拘縮がおこってしまっているありさま・・・
この時のショックと衝撃が私にとってどれだけ大きかったか言うまでもありません。
病院でのあのリハビリの月日はいったい何だったんだろう ?
Kさんは団地の二階で退院してからはほとんど外出することがなかったのです。
最初はありきたりの座位訓練や関節を動かす訓練をしていましたが、まったくKさん反応がありません。
それで、毎回、外の公園に連れ出すことにしました。団地の二階だったので抱っこで一階の車椅子まで降ろしました。
数週間して、やっと表情が出てきました。少しだけ話もできるようになり、なんとなく、立位訓練の真似事みたいなことも
できるようになりました。
それからしばらくたってからですよねぇ、Kさんが亡くなったのは・・・
病院のリハビリ室だけでいると「急性期から回復、改善に至った一症例」であったのだろうけど
在宅を見て、立位歩行訓練ばかりを主に行っていた理学療法士が(自分が)むなしく思えた一瞬でした。
「在宅」・・・こんな大切なことが病院の中では見えなかった。ごめんなさいKさん
Kさんの人慣つっこい笑顔は今でも忘れていません。
施設で個別な対応をすれば不公平 ?
よく独居のかたとデパートにでかけたり、外食にでかけたりする。
「なんで、あの人だけ ?」と言われることがある。
施設のような集団の中では一人の人との関わりを濃くすれば、他の人の不満が出る。
「何年も一人で出かけたこともない方だから、そうなればあなたとも、いつでもご一緒させてもらいますよ。」
そういうふうな説明をしている。
均等なサービスを全ての人にすることが、公平なサービスでしょうか ?
集団の場では、とかく画一的なプログラムを提供しがちですが、それぞれの生活ニーズは
個々に存在し、それに対応することが必要です。
老健の機能訓練は一人のものに対し週2回以上実施しなければなりませんが、これもまた同様です。
パターン化されたプログラムを実施しても、望まれるような生活レベルでの変化を生むことができません。
しかし、目的を持った生活行為に関わることこそが、それに答えることができると信じています。
ですからこういう取り組みをするためにはその人の生活行為(食事、入浴、排泄など)の中でご本人の能力を最大限に
発揮できる「PT介護」をすることも能力の維持、改善につながり、それを介護職に伝えることが大事だと考えています。
先日あるヘルパーさんから「家庭ではそのかたが生活の中心」というという意見をいただきました。
「個別な対応」それはあたりまえのことなんですね !
受容と共感 ? (痴呆のかたと向き合って)
病院で勤務している時、よく痴呆や精神疾患のある患者さんがリハビリにオーダーがまわってきていた。
そのうちに暴言や暴力行為、混乱症状が出てきて「機能訓練の適応なし」ということで、ドクターからストップがかかる。
また、痴呆のかたは「モチベーションなく訓練困難なため終了」となる。
じゃあそういう人を介護する家族はどうすればいいのでしょう (^^;
私が老健に来て最初の年、その当時のN婦長さん(長年精神科病棟婦長を経験された方)が痴呆専門棟のMさんが
トイレの便器の中の水で顔を洗おうとするのを止めずに見守っているのを見て、「何と不衛生なことを承知で、あんな
ことをさせられるなぁ・・・」 と思っていました。
でも不思議とその婦長が対応するとMさん興奮しません、私はそのかたがデイケアにきた日はどうしたらいいか非常に
悩みました。
五年以上たった今、その時のN婦長の対応を見たことが現在の私の考え方に大きな影響をもたらせています。
自分自身が痴呆のかたを無意識のうちに受け入れられなかったのではないかと・・・・・
運動機能が低下してるかたの日常動作能力を改善して家庭復帰させるのも大きな任務であり、達成したときの感動も
ありますが、
重度の痴呆のかたが
毎日の私たちの対応で
今までなかった表情が生き生きと変わり、笑顔が見られるように
なり自発的な動きや働きかけが出てきた時の感動はそれ以上のものがあります。^^
とかく病院では威圧され、いい聞かされご本人の主体性などあったものではありません。(所詮痴呆患者の言動と・・・)
しかし、介護職がそういった共通の目標や価値観をもっていなければ、いくら利用者さんのためにやっても暴言・暴行
ばかりで「しんどい仕事」としか感じないでしょう。
介護職の適正というのは、この受容と共感ができる能力がひとつのキーワードだと思います。
これができないと介護するものがたとえ家族であっても生活が継続できなくなります。
今、介護の専門性を高め職制を確立するためにみなさん日々努力されています。
考えたんですが、本当に介護は「サイエンス」であるべきでしょうか ? 他に何かある気もするのですが、
まだうまく言えない・・・
私には分かりません・・・サイエンスであるほうが将来性も開けるとは思いますが・・・・
どちらにせよ、お年寄りがその人らしい生活をできるよう自分の知識・技術をどう使えるかってことなんでしょう・・・・
(全ての病院で痴呆のかたがひどい対応を受けているような表現ですみません^^;
そんな病院ばかりではありません。苦情が来る前に・・・)
家族の介護
、
施設の介護
(痴呆を受容するということ・・)
Tさんというかたとは痴呆が進行する前のお元気な頃からデイケアでお付き合いをしていた。
ご主人がなくなり、自宅別棟で住む息子さん夫婦がお世話をしていたが、4〜5年前までは十分にお一人でも過ごすことが
できるお洒落でお上品な方だった。
よくデイケアのお迎えに行くと楽しみにしていたので、勝手口から顔を覗かせて待っていてくれた。
転倒をきっかけに物忘れや動作の緩慢が目立つようになり、検査をすると「硬膜下血腫」ということで入院、手術になった。
自宅に退院してから排泄の失敗がめだつようになり、短期の記憶も分からないような状態に・・・・
でも、むすこさんは「ボケてるふりをして私らを困らせようとしているだけですよ、孫たちとは普通の会話ができますから。」
痴呆という母親のおかれている状態を認めようとはしない。
そればかりか、私たちの前でまで母親を強く叱り付けたり、叩いたり・・・・
何度か訪問させていただいて、身体的な状況や痴呆についての説明と介助方法を指導させていただいたが、自分たちの
やりかたで十分やっていますから(けっこうです)・・・のような反応だった(^^;
ところがある日「相談があります。」と息子さんから電話があり、大便をあちこちに塗りたくるようになってびっくりしている。と
息子さん夫婦がパニックになっているようすでした。
いきなり、精神科に入院させたいというふうな趣旨の相談でしたが、もちろん入院はできませんでした。
それでも、夫婦で別棟での生活を継続し、同じ家で住んでくれない。「私たちの生活がメチャクチャになりますから・・・」
今では奇声、大声をあげ突然興奮しだす状態が続いており、毎日顔や手足に青あざを作って痛々しい状態で来られます。
もちろん特養を申し込まれていて、毎日デイケアとショートステイを続けています。
こういうかたが、こちらの対応で落ち着き、笑顔を見せ、色々とお話をしてくれるときはホントに涙がでるくらいにうれしい。。
けど、ホントに一対一の個別の対応ができないと状態は悪くなります。
「ちょっと、にいちゃん〜!!」
「何ですか?」
「なんも用事ないけど、ここへきて座っといて〜」
ここでどうするかが、非常に簡単だけど難しいのが施設の現状じゃあ
ないでしょうか?
Tさんの場合もそうですが、ご家族様のおかれている背景も様々であり、他人の私たちがご本人様にとって望ましいと思う
ことをご家族に押し付けることもできません。
しかし、様々なご家族を「介護を職業としているもの」から見ると(イヤな言い方ですが・・・・)
家族だから見えるものもあれば、家族だから見えないものもまた、あるようです。
将来のわがまま老人(タケ)のひとりごと
最近もし将来自分が施設を使うなら、どんなところが・・・?なんてことを考える。
環境が整っていて、きれいで立派な建物?・・・いやいや違う!そこにどんなスタッフがいて(自分好みの)いかに気ままに
過ごせるかということが私にとっては重要に思う。(´∀`*)
お行儀よく
整頓されたテーブルと椅子に静かに整然と並んでいる施設のお年寄りを見ると、むしょうにこれでいいのだろうか
という疑問が生じる・・・それぞれの家庭にはそれぞれ独自の生活環境と生活パターンがあるはずなのに、施設に来ると
なぜか床はフローリングで椅子とテーブル、ベッドに洋式トイレ・・・
(先日の学会発表では利用者さんと一緒に食事をする私のスライド・・・
椅子にあぐらをかいて座ってた(-_-;) (オギョギワルイゾオイ
研修会などではお偉い先生方が、すぐに欧米では〜とか建物や居室のスライドを見せてくれる。|_・)。oO (ココハニッポンヤ
「テーブルの高さは70pに椅子は40pにしていますか?そんな最低限のこともできないで、いい介護をしようなんて無理な話
ですよ」なんてことを平気で言ってる講師の先生・・・|_・)。oO(ダレヲキジュンニイッテルンダ
明治、大正、昭和の歴史を生き抜いてきたお年寄りに、そういった最新の欧米のスタイルを押し付けることには私には抵抗が
ある。
「自分らしく暮らす」ってどういうことだろ?
他人の価値観で決められたりする生活じゃないはずだろ?
画一的な介護をされるのは絶対にやだーーーーーー。・゜(ノД`)゜・。
「問題行動ありとレッテルを貼られるであろう将来の超わがまま老人のひとりごと」