浅草寺界隈
浅草寺、または、浅草観音ともいわれます。境内にある碑、祠、奉納額等について掘り起こしていきますとそれだけで一冊の本になってしまうので、ざっと見て回ることとします。出発点は雷門。門に向かって右に風神、左に雷神を祀っています。いつも混雑している仲見世を本堂に向かって進みます。かなり外国人の観光客の姿が目立ちます。途中左に伝法院、さらに荒神堂と不動堂、右手に平内堂の祠が並び、いつも線香の煙が漂っています。宝蔵門をくぐると、左に5重塔があり、正面が本堂です。どれもコンクリート作りの現代建築です。
本堂左手の一画には、薬師堂、影向堂、六角堂など小さな堂や祠、多数の石造物が並んでいます。この一画に淡島堂があります。淡島明神は裁縫や手芸の上達とか安産に御利益があったため、江戸の女性に人気があり、2月8日の針供養には今でもお参りの女性で混雑します。本堂の裏のはずれは、むかし奥山といわれ植え込みになっていて、沢山の石造物があります。
今は浅草神社といっている三社様の裏手にも石碑がいくつかあります。浅草神社の社殿は江戸初期の建築で、文化財に指定されています。境内の石碑には、中村吉右衛門、河竹黙阿弥の碑があります。神社から東への出口に立つのが二天門。境内からちょっとはずれますが、東南に弁天山という小高い丘があり、弁天堂と鐘楼があります。鐘楼にかかる鐘が芭蕉の、「花の雲鐘は上野か浅草か」の鐘で、その句碑も建てられています。浅草寺とその界隈に歌舞伎に関わる物が多いのは、江戸時代末期から明治時代にかけて、歌舞伎の芝居小屋が浅草にあり、役者や関係者がそこに住んでいたからです。その場所は、今の浅草六丁目にあたり、当時このあたりを猿若町といっていました。江戸時代の浅草寺境内には、茶屋、楊弓場などの娯楽場のほか、芝居、講釈、落語などの小屋、大道芸の見せ物など盛り場のような空間でした。明治期に境内が区画整理され、その第六区が劇場街となり、いまも映画館、劇場、寄席が集まっています。

仲見世から本堂を見る 浅草神社
五重塔 4月8日花祭り 甘茶かけ