下町深川と門前町富岡八幡宮界隈

門前仲町というと、先ずは深川不動と富岡八幡宮を思い浮かべることと思います。かつて、永代島がありまして、その周りが埋め立てられました。深川一帯が陸地となり、そこに永代橋が架けられ、富岡八幡宮の別当寺として建てられた永代寺は、子院十一を数える大寺院でした。現在の門前仲町は永代寺の門前町であり、永代寺は明治維新後に廃寺となりましたが、当時の子院の一つであった吉祥院が名跡を継いでいます。
営団地下鉄東西線で、日本橋方面からですと一番前の改札口を左に出ますと、深川不動の赤い鳥居の前に出ます。前の通りが永代通りです。鳥居から見た参道奥の正面に深川不動がありますが、これは千葉県成田市にある成田山の出張所です。永代寺はお不動さまに向かう途中の右手にあります。お不動さまの左手にある深川公園が、もとは永代寺があった場所です。
永代通りに戻り、左に進みますと富岡八幡宮の大鳥居があります。富岡八幡宮は江戸最大の八幡さまで、そのお祭りは江戸三大祭りの一つとして、また水かけ祭りとして有名です。境内にはいろいろな石碑がありますが、特に相撲関係の横綱力士碑などが有名です。また、深川芸者は、辰巳芸者とも呼ばれ、黒の羽織を着てお座敷に出るとされ、江戸の遊里の中でもひときわ人気を呼んでいました。
深川七福神めぐりは、富岡八幡宮の本殿左奥にあります恵比寿さまから歩き始める人が多いようです。恵比寿さまの左にある道路を右(北)に進みます。高速道路の高架をくぐりまっすぐ進みます。やがて仙台堀川に架かる木更木橋を渡り、二つ目の四つ角を渡った右側の一角が浄心寺です。浄心寺は将軍家綱の乳母、三沢局の開基です。家綱は創建の時、寺地三万三千平方メートルと寺量百石を与えています。滝沢馬琴は、この浄心寺の門前の松平信成(旗本、千石)の廷内で生まれました。
浄心寺を出て右(西)に進みますと、大通りに突き当たります。この通りが清澄通りで、通りの向こう側に清澄庭園があります。清澄通りを右に進み、バス停の先を左折しますと清澄庭園の入り口がとなります。清澄庭園は約四万六千平方メートルあり、岩崎弥太郎が明治十三年に回遊式庭園を造りました。この庭園の特徴は、各地の名石や奇岩を集めたことです。庭園を出て、清澄通りに戻る途中の左側に本誓寺があり、国学者で歌人でもあった村田春海の墓があります。
清澄通りを反対側に渡り少し門前仲町方面に戻りますと、左に入る道があります。元区役所通りともいい、この通りの左に霊巌寺と深川江戸資料館が並んでいます。
霊巌寺はもとは霊巌島(中央区)にあったものを、万治元年にここへ移したものです。陸奥白河藩主、松平定信の墓があることで知られます。また、地蔵坊正元の造立した江戸六地蔵の一つがここにあります。江戸深川資料館は移転した江東区役所の跡に建てられたもので霊巌寺の隣にあります。
元区役所通りをさらに進み、二つ目の大きな交差点を右に折れますと、右側に雲光院があります。雲光院は、徳川家康の側室阿茶局の法名です。墓地に入ると大きな墓碑がすぐに目に入ります。
寺の前の道をさらに真っ直ぐ進みますと、永代通りにでます。右に進みますと、門前仲町の駅です。

ワンポイントアドバイス
深川めし: 江戸時代の漁師達が、ご飯にアサリのみそ汁をかけて食べたもので、ぶっかけ飯ともいいます。
今は、アサリのむき身の他にもいろいろな具を入れ、工夫を凝らしているようです。
永代通りには、居酒屋「魚三」があります。安く新鮮な魚が人気で、いつも満員の盛況です。

     
      横綱力士碑                  お不動さま参道               永代寺