樋口一葉ら文士が愛した本郷を歩く

地下鉄丸の内線本郷三丁目を出て、本郷通りを東大の赤門の方に向かうと、通りの左にゆるい下り坂となっているのが菊坂です。
この坂と春日通りから下る本妙寺坂が交わる一帯を菊坂町といいました。この菊坂町で有名な火事が発生しています。明暦三年(1657)一月十八日、本妙寺が火元とされる振袖火事(明暦の大火)です。菊坂の途中から右に曲がって、急な坂を上ったところに本妙寺はありました。そこでは三年続けて十七歳の娘の葬式があった。不思議なことに、いずれの棺にも同じように振袖がかけられていました。住職は三人の霊を弔うため大施餓鬼をして振袖を焼きました。ところが火のついた振袖が風にあおられて舞い上がり、本堂にうつって大火となったというものです。

菊坂は本妙寺坂と交わる所から菊坂上通りと菊坂下通りに分かれます。左側の狭い家屋が密集している下通りを歩くと、左手に樋口一葉の菊坂旧居跡があります。入り口に案内板がありますが、それを見なくても、昔の長屋の風情が漂ってきます。その路地に佇むと一葉当時の生活の音が響いてくるようです。

樋口一葉が住んだ菊坂町一帯は、文士といわれた文人たちが住んだ町でもあります。菊坂の途中で交わる炭団坂のすぐ右上に居を構えていたのが坪内逍遙です。逍遙が他所に移った後につくられたのが、旧松山藩主久松氏の育英事業「常磐会」の寄宿舎です。俳人の正岡子規は学生時代の三年間をここで過ごし、河東碧梧桐もここで生活していました。徳田秋声は石川県から上京し、東大正門の真向かいにある本郷郵便局を入ったところに住んでいました。秋声の旧居からさらに奥に入り、新坂といわれる坂の上に太栄館という旅館があります。かつては蓋平館別荘といわれた所で、ここには石川啄木が下宿していました。

東大農学部の横の言問い通りには、弥生式土器が発掘された碑があり、暗闇坂に向かうと、立原道造記念館と竹久夢二美術館があります。さらに進むと、森鴎外の『雁』で描かれた無縁坂です。東大構内には三四郎池もあって、本郷界隈には歴史と文学の散歩道が豊富です。

ワンポイントアドバイス
後楽園
後楽園一帯は、かつて水戸徳川家の上屋敷でした。今日残る小石川後楽園は、上屋敷の内苑の一部で書院庭といわれたものと、その奥に独自な外苑となる庭を合わせたものです。庭園は上屋敷全体の約三分の一ですから、いかに水戸藩邸が広かったかが分かります。
外苑となる庭園は、初代頼房と二代光圀によって造られたものです。

    
       樋口一葉旧居跡                       本妙寺坂                      宮沢賢治下宿跡