江戸の面影残す本所を歩く
JR両国駅を出て、江戸東京博物館の前を通り日大一高を左に曲がると、左側が横網町公園です。この公園の中には東京都慰霊堂と復興記念館があります。明治時代はこの場所は、陸軍被服廠でした。大正十一年、これがほかに移転したので、東京市が買収して公園の造成を進めていました。そこに関東大震災が起きたのです。ここへ避難した三万三千人が焼死しました。
この人たちを供養するためと、関東大震災の死者五万八千人の遺骨を納めるため、昭和五年に慰霊堂が建てられました。その後、東京大空襲で亡くなった人の遺骨も安置され、併せて十六万三千体の遺骨が納められています。
復興記念館は、関東大震災の惨事を後世に伝えるために、昭和六年に建てられたものです。記念館にはいると忘れかけていた惨状や恐怖が否応なく蘇ってきます。
復興記念館の東側は清澄通り、北側は蔵前橋通りで、その二つが交差する石原一丁目の交差点を対角方面に進み、清澄通りを北へ進み、二本目の通りを右折すると、左側に徳山稲荷があります。初代本所開拓奉行、徳山五兵衛重政の屋敷神として祀られていました。鳥居をくぐった右手隅に、日本左衛門首洗い井戸と供養碑があります。盗賊日本左衛門は、徳山五兵衛重政の孫で火付盗賊改役の五兵衛秀栄に捕縛処刑されました。日本左衛門の本名は浜島庄兵衛で、河竹黙阿弥の『島鵆月白浪(白浪五人男)』の日本駄右衛門のモデルとされています。
石原一丁目交差点までもどり、蔵前橋通りを東に進みます。石原二丁目に入り、右側にガソリンスタンドがあります。そこから南へ一本大通りを越えて、さらにまっすぐ進みますと、北斎通りと交わる四ツ角に出ます。葛飾北斎は本所割下水に生まれたといわれ、かつてこのあたりは下総国葛飾郡であったので「葛飾」を名乗ったのです。
北斎通りの四つ角に、能見宿禰神社があります。相撲の起源と結びつけて語られる伝説的人物能見宿禰を祀った神社で、明治十八年に創建されました。境内に日本相撲協会が昭和二十七年十一月に歴代横綱の碑を二基建てました。一基では全部の名が収まらなかったのです。
この通りの西に緑町公園があり、西側の角から南に二軒目のところに、幕末に活躍した伊豆韮山の代官江戸太郎左衛門英龍の江戸屋敷がありました。
北斎通りを東に進み、亀沢二丁目と三丁目の道を入ったところに河竹黙阿弥住居跡の碑、道路の反対側に三遊亭円朝住居跡の碑が立っています。
北斎通りに出て東へ進み三つ目通りと交差する亀沢四丁目の交差点を左折、蔵前橋通りを越えて、次の大通りと交差するところが、本所四丁目の交差点です。ここを右に進むと、能勢妙見堂です。勝海舟の父、小吉が信心したところで、海舟もたびたび祈願したそうです。能勢妙見堂は摂津国にあり、本所は別院です。狭い境内に海舟の立派な胸像が建てられています。
さらに道を東に進み親水河川公園にかかる紅葉橋を渡ると、寺町になります。その中で一番大きい寺が法恩寺です。大田道灌の孫、太田資高が建てたものです。
おすすめコース
JR両国駅−江戸東京博物館−横網町公園−徳山稲荷−能見宿禰神社−三遊亭円朝住居跡−能勢妙見堂−法恩寺−JR錦糸町駅
ワンポイントアドバイス
江戸東京博物館 江戸と東京の歴史を知る博物館。常設展示室は「江戸ゾーン」「東京ゾーン」「通史ゾーン」の三つで構成されています。「江戸ゾーン」では日本橋や芝居小屋中村座の正面部分が復元され、両国橋西詰の模型が造られているなど、迫力もあるし思わず引き込まれます。「東京ゾーン」では文明開化から関東大震災、東京大空襲、甦る東京など展示物の訴えに圧倒されます。
入場料 大人六百円 小人三百円 午前十時より午後六時 木曜、金曜日は午後八時まで。毎週月曜日休館。

震災資料館 資料館内 熱で曲がった鉄骨
徳山稲荷 首洗い井戸
野見宿禰神社 妙見堂

法恩寺 大田道灌碑