吉原へ通ずる今戸あたりを歩く
台東区の今戸は、有名な寺社や盛り場がなく、東京に住む人間にとっても印象の薄い土地かもしれません。せいぜい知っているのは待乳山聖天宮と桜橋くらいでしょうか。だだし、待乳山は今戸ではなく、浅草になります。江戸の頃、吉原の遊郭に通じる山谷堀が今戸の町と待乳山の間を流れていたから、江戸の庶民にとっては少し馴染みがある土地だったのでしょう。しかし、いまや堀は埋まり、隅田川の岸辺は高いコンクリートの堤防で遮られています。堤防沿いは墨田公園となっていて、植え込みに囲まれて「花碑」があります。いうまでもなく、滝廉太郎作曲で武島羽衣がつくった「花」の歌詞を刻んだ碑です。当時の春景色はこの歌詞の通りだったのでしょうが、いまは堤防と、コンクリートの町になってしまいました。ただ、桜は対岸の向島と墨田公園で千本以上植えられています。
墨田公園の桜橋手前を左に道路を渡りますと待乳山です。石段を上りますと、コンクリートで斜面を固められた待乳山はすべて本竜院聖天宮の境内です。江戸時代から参詣客で賑わった寺らしく、境内には多くの祠などが並んでいます。聖天宮は、夫婦和合や金運の御利益と共に、浅草七福神の毘沙門天参りに訪れる人が多いようです。境内では、線香などと一緒に、夫婦和合を象徴する大根(本来は二股大根)や金運を表す巾着などを売っています。
待乳山と今戸を隔てるのが山谷堀で、昔吉原に通う遊び客が船で通ったのですが、いまは完全に埋め立てられて、細長い山谷堀公園となっています。堀から隅田川の出口にかかっていたのが今戸橋ですが、いまはコンクリートの欄干だけが残っていて、そこに橋があったことを示しています。
ワンポイントアドバイス。
今戸の名物といえば、五百年の伝統をもつという今戸焼きです。中世の頃から日用雑器をつくっていたようですが、土産物として人気があったのが、極彩色の今戸人形です。今戸人形は、型に土を詰め込んで整形して低温で焼き、彩色した素朴な土人形です。江戸庶民の生活感覚がにじみ出た、素朴な民芸品として東京では貴重です。いまでは業者は一人を残すだけとなり、今戸一丁目のビルの一階に小さな店があり、誰でも買うことができます。

待乳山 墨提