江戸の田舎 根岸を歩く

上野の山と谷中の台地の山陰には、王子の渓谷から音無川分流の清流が流れていました。この流れに沿った土地が根岸の里。江戸近郊で風光明美をもって知られた、江戸の田舎には、江戸時代中ごろから、江戸の文人や枠人など風流を愛する人たちが遊ぴにやってきて、歌や句をつくったり、別荘や隠居所をかまえたりしていました。明治時代には、華族や実業家などのお金持ちの別荘がいとなまれていたといいますから、いまではちよっと想像もつかない風景です。
駅前の陸橋をくぐり、ラブホテルの間を縫うように細い路地を抜けて子規庵の前に出ます。正岡子規はここに明治二十七年から住み、同三十五年に亡くなりました。建物は、子親庵保存会によって、再建されたものですが、ごくありきたりの明治期の住宅で、俳句を趣味にしている人たちが喜ぴそうな、風流な庵室というほどの構えではありません。しかし、庭の草木には、彼が愛したものが植えられているそうです。子規は、ここを本拠として根岸短歌会を興し、根岸の地の風物を題句として、いくつもの句をつくっています。
子規の住んだ家のほぽ向かいに、洋画家の中村不折が住んでいました。その住居跡は、書道博物館となっており、彼が蒐集した書画の名品を見ることができ、庭には彼の胸像があります。このあたりの裏通りは、線路沿いとは思えぬほど閑静な街で、庭に真新しい柴垣をめぐらした住宅があるところをみると、いまでも根岸らしい風流を愛する人が住んでいるのでしょう。
表通りに出て尾竹橋通りをもどり、元禄年間創業という豆腐料理店「笹乃雪」の角で、尾竹橋通りを渡って根岸三丁目へ入ります。余談になりますが、根岸に住んだ風流人たちは、風物を肴に一献頃け、このような店が「笹乃雪」のほか、江戸以来の居酒屋の「鍵屋」、嘉永の創業というふぐ料理の「にびき」などであり、いまに江戸の気質を守っています。
さて根岸小学校前を過ぎると、このあたりは細い路地が迷路のように入り組み、あちこちで袋小路にぶつかります。古い町屋風の民家や赤練瓦の塀などが点々と見られ、江戸は無理としても明治・大正の下町のムードはあります。この辺はまたちょっとした寺町で、江戸時代いらいの寺院が六、七カ寺も点在し、『江戸名所図会』にのっている名所の寺もあります。
根岸三丁目の寺々のうちで、とくに千手院は、鉄筋コンクリートづくりの寺が目立つ下町にはめずらしく、伝統的な木造寺院。古風な庫裡の屋根は煙出が目をひきます。五智堂の正面の左右の壁に措かれた、松竹梅の漆喰絵も珍しい。あとは、鳩のお寺の異名をもつ永称寺、大門の寺ともよばれる世尊寺とつづきます。世尊寺の北にある西念寺は、江戸東方十八ヶ所地蔵尊参りの寺なのですが、本尊の地蔵尊は、浄瑠璃を創始したと伝えられる小野のお通や弘法大師作の伝説をもっています。こんなところで小野のお通の名に出くわすとは思いませんでした。
寺町をぬけて、通りを北に向かうと、東日暮里との境界にあるのが、根岸の里のハイライトともいうべき”お行の松”です。『江戸名所図会』の挿し絵を見ますと、岸辺に小高く盛り上がった土地を ”時雨の岡” といい、小さな不動堂のかたわらに幹の直径がニメートル近くもあろう老松が枝葉をひろげています。中世いらいの伝承や古歌がお行の松について伝わっていますが、その名の由来については、当時でもよくわかっていなかったようです。この松は、浅草や吉原あたりからも望見されたといいますから、松の多かった根岸でも特に目立った名木だったにちがいなでしょう。時雨の岡といっても、現在では、まったくの平坦地で、道路に沿って石の玉垣がめぐっています。いまの松は三代目だそうですが、まだ三十年足らずの若い松です。松の右手に不動堂もあります。ここにも子規の句碑があり、「薄縁お行の松は霞みけり」と刻まれています。
お行の松からもどって裏通りを行くとこれも江戸名所の安楽寺。本尊の地蔵は、木曽義仲の愛妾巴御前の守本尊という由緒をもっています。
金曽木小学校のとなりに下根岸稲荷が鎮座しています。赤ん坊の夜泣きに霊験があり、石稲荷の名で通っています。
根岸もこのあたりまでいきますと、もはや日光街道筋に近く、根岸というより三ノ輪といったほうが早く、地下鉄日比谷線の三ノ輪駅も問近です。 
 
ワンポイントアドバイス
子規も好んだ「笹乃雪」の豆腐
尾久橋通りと尾竹橋通りの交差点、根岸二丁目の角に、元禄年間創業という豆腐料理店「笹乃雪」があります。江戸時代には、二軒茶屋とよぱれた音無川のほとりの素朴な茶店だったそうですが、豊富な水を利用した豆腐が名物で、寛永寺の宮から、「笹の上に積もリ
し雪のごとし」とほめられたのが屋号の起こりだということです。江戸から明治ののころにかけては、夜の白々明けに入谷の朝顔を見たあと、笹乃雪でひと休みし、豆腐を肴に酒を酌むという楽しみ方が、風流人の定番コースだったそうです。近くに住んでいた正岡子規も、ときには笹乃雪の豆腐を味わって楽しんだのでしょうか。屋号を諦み込んだ句を残しています。「世乃雪」の店先の植え込みに、「みなづきやねぎしすずしきささのゆき」「あさがおにあさあきなひすささのゆき」の二句を刻んだ句碑があり、文字は子規の自筆だといいます。