六義園界隈

柳沢吉保が造った六義園へ行く前に、その斜め前の不忍通リの奥下にある富士神社を訪ねてみます。
富士神社は、上富士前の交差点を向丘に向かって本郷通りを300メートルほど行った左側にあります。富士塚と呼ばれる小高い塚の上に、富士山の神体とされる木花咲耶姫命を祭神としたもので、富士講が組織されました。この神社にも「駒込の富士」といわれた富士山の溶岩で造られたミニチュアの富士がありました。鳥居をくぐると境内の奥に小高い丘が目に入ります。丘は古墳かと思われるほど盛り上がったもので、急勾配の石段があります。
この本駒込一帯は、じつは初夢に見ると幸運がやってくるという「一富士、二鷹、三なすび」が集まっていた所でもあります。一富士はもちろん富士神社ですが、二鷹の鷹はこのあたりが鷹狩の鷹の訓練場と鷹匠の屋敷があったからです。また、三なすびのナスは、この地でとれる駒込ナスが美味しいことで、有名であったからです。そのため富士神社に詣でれば、縁起のよい初夢を体験できるとして初詣客で賑わったといいます。
六義園を造った柳沢吉保は、五代将軍綱吉より十二歳年下の戌年生まれです。十八歳で館林藩二十五万石のあるじ綱吉の小姓組番士となり、五百三十石の禄高を受けました。綱吉が将軍になるとトントン拍子の出世をして、元禄元年には側用人に進み、若年寄りの上座をしめ、 一万二千石の大名に昇進します。同三年には三万二千石となり、翌四年には綱吉が柳沢邸を訪れて、以来、じつに五十八回に及ぶ将軍御成りを受けています。同五年には六万二千石、同七年には七万二千石川越藩主として城持ち大名になりました。そして翌八年に賜ったのが、約四万九千坪に及ぶ駒込の地です。
駒込の屋敷と庭園は、七年をかけて元禄十五年、ようやく完成しました。赤穂浪士が吉良邸に討ち入りするニカ月ほどまえです。
吉保は下屋敷の館を「六義館」と名づけ、庭園を「六義園」と命名しました。「六義」はリクギと読むと儒教的な趣きがありますが、それとは関係はなく、歌道の六つの根本をなすという意味です。詩経では、賦、比、興、風、雅、頌の六義をいいます。和歌では諷歌、数え歌、準歌、譬歌、徒言歌、祝歌の六体となります。そのため、庭には日本と中国の名勝や歌枕から八十八境が選ばれて、それぞれ命名されています。
明治時代に入って、一時、三菱の創業者岩崎弥太郎氏の別邸となりましたが、その後、昭和十三年に岩崎久弥氏により東京市(都)に寄付され、昭和二十八年には国の特別名勝にも指定されている大変貴重な文化財です。

開園年月日/昭和十三年十月十六日 面積/8780941u 開園時間/午前9時より午後5時 休園日/12月29日より1月3日
入園料/300円