泉岳寺と三田の寺町を歩く
赤穂四十七士が主君の浅野内匠頭夫妻と共に眠るのが高輪の泉岳寺です。この泉岳寺から三田に集まる古い寺々に江戸の歴史を訪ねます。都営地下鉄泉岳寺駅の品川寄りA2出口を出て、右へ百メートルほど行ったところに萬松山泉岳寺はあります。
泉岳寺は慶長十七年(1612)徳川家康の創立で曹洞宗の禅寺です。現在地に移ったのは寛永十八年(1641)のことです。その墓地へは本堂から義士館の前を通って行きます。義士館には鎖襦袢や籠手、鉢金、山鹿流陣太鼓などの遺品や肖像が展示されています。
墓地には内匠頭夫妻の墓の横手に、義士四十七人の墓がずらりと並んでいます。
泉岳寺と隣の高輪学園との間に、人ひとりが通れる細い道があります。この道を右、左と曲がりながら民家の間をぬけて正源寺横の駐車場に出ます。坂を上って右折するとバス通りとなり、右に行くと左手に鬱蒼と樹木の茂る高松宮邸があります。ここはもと熊本藩主細川家の下屋敷跡で、大石内藏助ら十六人の義士がここで切腹しました。高松宮邸門前を直進すると信号交差点で、右へ下れば伊皿子坂、左は魚藍坂となります。魚藍坂を下ると、中程に赤い門の魚藍寺があります。江戸三十三観音の第二十五霊場で、魚藍観音として知られています。下りきる少し手前に江戸の三味線制作の始祖石村近江の石碑があり、後ろの大信寺境内に顕彰碑があります。
魚藍坂下は国道一号線、桜田通りで、右に曲がるとすぐ長松寺があります。ここには荻生徂徠の墓があります。(国史跡)
さらに国道を進むと赤煉瓦のマンションの角に「幽霊坂」の表示があります。両側寺ばかりの淋しいところから付いた名前のようです。この辺りは寺だらけで、まさに寺町の名にふさわしいようです。幽霊坂の細道を上り、仙翁寺を見て左折するとすぐ常林寺の石段があり、山門の奥に「都史跡、安島直円墓」の石碑が見えます。安島直円は江戸中期の数学者で、寺の境内はすがすがしい庭園です。
幽霊坂をさらに上りバス通りに突き当たると左折。間もなく右に亀塚公園があります。公園内の小山は古墳の可能性が高いとして、都史跡になっています。この辺りは江戸時代の沼田藩下屋敷で、明治維新後は元皇族華頂宮邸のあったところです。
公園の隣の済海寺の門の内側に「都旧跡、最初のフランス公使館宿舎跡」の碑があります。門前の道は聖坂となって下りにかかり、坂下信号で左にはいると潮見坂の上りになります。三田の寺町はまた坂の多い坂町でもあります。
坂上を左へ行き、さらに右、右と折れると、安全寺坂の下りになり国道に出ます。すぐ左にあるのが大松寺で、延宝年間(1673〜81)、佐渡奉行を勤めた曽根吉正の墓があります。国道の向こう側に白とグレイのなまこ壁の建物が見えますが、これは慶應義塾大学の三田演説館です。明治初期洋風建築の珍しい遺構として、国重文に指定されています。
大学構内を裏手に抜けますと綱坂です。平安時代の武将、源頼光の四天王といわれ、鬼の腕を切り落としたという伝説で知られる渡辺綱の出生地にちなむ名前です。この坂を上ると、左は三井倶楽部の塀が続き、右はイタリア大使館です。大使館の敷地は伊予松山藩の中屋敷跡で、大石主税など十人が切腹したところ。
ここからは坂を東に下って国道に戻り、田町駅へ向かいます。第一京浜国道の田町駅前、三菱自動車のビルの植え込みに「江戸開城
西郷南洲 勝海舟 会見の地 西郷吉之助書」と大きく刻まれた石碑があります。
おすすめコース
都営地下鉄泉岳寺駅−泉岳寺−魚藍寺−大信寺−長松寺−常林寺−亀塚公園−済海寺−大松寺−慶応大学−三井倶楽部−イタリア大使館−慶応大学−田町駅
ワンポイントアドバイス
赤穂義士は討ち入りの夜、両国橋近くのそば屋「楠屋」に勢ぞろいしたといわれます。泉岳寺門前には古めかしい建物の「泉岳寺藪そば」があります。明治四十一年創業、神田の藪系統の正統派。オリジナル五目せいろは、椎茸や細切り蒲鉾などいろいろ入った熱い汁で冷たい蕎麦を食べ、当店の人気商品です。午前十一時から午後五時まで。日曜祝日休み。

義士墓 蕎麦屋 資料館