1999年7月14日
とろすけはHIV感染の告知を受けました。
告知を受けるまでに体が発していたSOSに気づけなかった。。。
そんな苦い体験記をまとめてみました。

                                                              
1998年 5月 9日
それは、突然起こった。。。
手、足の指の爪の全てに亀裂が入る。
何か内蔵の疾患かも知れないと思い、近くの皮膚科で観てもらった。
しかし、、、「この症状は結核や肺炎などの重病患者に観られるんだけど
体内に重度の負担がかかって細胞が死んだ痕跡だよ。」

とだけ診断し、精密検査をしなかった。今思うと何故だったのか?。
これが後に最初の汚点となる。
一ヶ月ほどで爪は全部、抜け落ちた。

1998年 6月23日 爪も全て生え変わり、下痢や発熱もなく平和な毎日を送っていた
ジムでバーベルを持ち上げていた時、手のひらに赤い斑点が無数出ているのに気づく
少し痒かった。またしても同じ皮膚科に観てもらう。これが第2の汚点となる。
「ストレスによる軽い自律神経失調でしょう」と診断され、内服薬で治療。
二週間で斑点は消えた
1998年 7月19日
昨日は彼氏とふたりして秋葉原にお買い物。今日、その品が届いた。
モメにモメてパソコンを購入したのだ。接続は彼氏におまかせ(汗)。
彼氏は夢中でエロサイトを探索。。。
僕がはじめに探索したのは、何故かAIDSだった。

1998年 10月22日
またしても、突然に
39℃の高熱が出る。
翌週の29日から彼氏とロサンゼルスに旅行に行く予定だった。
ただの風邪だと思い、市販のバファリンを飲むが一向に熱が下がらない。
翌日から「こりゃ、ヤバイかも、、、」と思うようになり、近所の総合病院で観てもらう。
液検査をしてみたら、赤血球数が異常に高く、脱水症になっていた。
何としてでも29日までに熱を下げて欲しいと頼み込む。出勤前の朝一と帰宅前の夕刻に
怒涛の点滴漬けにし、1日で5Lの水を飲んだ。しかし、熱は38.5℃をキープしたまま。。。
院長は困惑していた。原因不明である。ただの脱水症でこんな高熱が出るのか?
不思議だった。仕方なくLAでブッ倒れるの覚悟の上で、英文の診断書をしたためてもらい、
旅行に行く。我ながらすごい根性。
ただ、彼氏には申し訳ないことをした。もう飛行機の中では死人のようだった。
旅行4日目でやっと熱が下がった。37.5℃〜39℃の熱が11日間続いたことになる。



1999年 5月19日


寝る前から何となく胃が張っていた。
目覚める頃、右下腹部が異常に痛み出す。
「食あたりかな?」動くとキリキリ痛み、出勤できそうになかった。
発熱はしていない。またヤバイのか?。
近所の総合病院に跳んで行った。院長とはすっかり顔見知りになっていた。
エコーとレントゲンにはハッキリとした患部は写らなかった。
しかし、血液検査の結果から症状を総合して「腹膜炎」だと診断される。
白血球数が通常の3倍
に膨れ上がってたのだ。
腹膜炎って、いわゆる「盲腸」らしい。手術すべきかどうか、しばらく入院して
様子をみましょうと薦められるが、入院だけは断固として断った。
点滴を受けて取合えず様子を見ることにした。
不思議なことに翌日の朝も点滴を受け、夕刻には痛みがすっかり引いてしまった。
何だったのか?。入院騒ぎになり、会社も休みがちだったから面食らってしまった。。。

1999年 6月 6日


盲腸騒ぎも忘れてしまう程、平和な生活を送っていた。
僕は、週末になると必ず行きつけのカレーショップで激辛カレーを食べる習慣がある。
この日も体育館で泳いだ後、少し遅いランチをとりにカレーを食べに行った。
お腹は空いていた。食欲もあった。なのに、、、何でなんだ?。
注文したいつものカレーを半分も食べない内に、強烈な吐き気が襲ってきた。
風邪でも引いたのだろうか?。悪寒はしなかった。
お店の人に悪いと思い、何度かスプーンを口に運んだのだが、、、
でも、それ以上は食べられなかった。。。お腹は空いてるのに、妙な感じである。
仕方なく店を出たが、次の日から、この現象が不規則に起こるようになった。
夕食、昼食、関係無く不規則に起こった。食べ物を目の前にすると
それまでは食べたかったのに、急に吐き気が襲うのである。食べてる途中でも起こった。
彼氏の前では我慢していた。吐き気はするけど、実際に吐くことはなかった。
軽い虚食症みたいなもので、食事の量を減らせば問題ないと思っていたんだ。
吐き気の頻度も少なくなり、数日後には起こらなくなった。。。

1999年 6月19日


久しぶりに彼氏の友達と遊びに出かけた。
僕のことを、とても可愛がってくれる人。妙な関係が新鮮だったりする。。。
別に目的も無く、新宿でお茶をし、丸井の夏服を物色しながらブラブラしていた。
しかし、異常に疲れるのである。息が切れる感覚と、体が浮くように軽い。
夏風邪でも引いたかな〜と思い、友達に心配かけるのも悪いので
ちょっと我慢してやり過していた。。。でも、かなりヤバイ。
絶対に、ヤバイ。胸騒ぎがする。。。友達には悪いけど、体調悪いからと謝り倒して
帰ることにした。会ってたった1時間ぐらいしか経っていないのに。
家から出かけるまでは平気だった。帰り際、ちょっぴり不満そうな友達が
「あれ?耳の裏どうしたの???。」と訊ねた。言われるまで全然、気がつかなかった。
耳の裏の軟骨が左右とも異常に腫れていたのだ。小さ目の玉子が入ってるぐらい。
「ええ〜、何だろこれ?。リンパ腺が腫れたのかな。。。ヤバイ病気とちゃう〜?」
その場は笑って何とか誤魔化し、急いで帰って解熱剤を飲んで寝こんだ。
彼氏は仕事で留守だったから、その症状は他の誰にも見せることなく
翌日の夜には腫れも引いていた。

1999年 6月26日


まさか、自分までもそうなるなんて思っていなかった。
先週、大好きな歌手の槙原が肝炎で入院したばかり、
ゲイの間でA型肝炎が蔓延していると耳にしていたから、
気をつけなきゃな〜と思ってた矢先だった。ま、自業自得なんだけどね(汗)。
この日、朝目覚めると、、、異常に腕が痒いのに気付いた。
見ると大小の水疱が出ていた。痒い、とにかく痒い。
彼氏を起こし、どうしようか相談。どうするって、病院に行くしかない。
熱はない。視聴覚の異常もなし。土曜日だしな〜と考えている間に
どんどん痒みが増して、やがて両腕に出現し、くっつき合って帯状に広がった
水疱の周りは赤身がかり、水疱部分は白い。水疱は痒いと思った部分に集中して出現した。
こ、これは、、、もしや?。嫌〜な予感。「ねぇ、目が黄色くなってる?」
鏡を覗き込んでも自分では判定ができず、彼氏に見てもらう。
でも、言われてみればそんな気もする程度だった。
黄疸が出る、帯状疱疹が出る、、、これは肝炎しか考えられない。
ただ、疲れは差ほどなく、走るのも歩くのも平気だった。
素人判断は良くない。とにかく、急いで救急病院に行くことにした。
今日は土曜日。いつもの院長先生はいない。
担当医は女性だった。水疱を見せ、「肝炎だと思うんですけど、どうですか?」と訊ねた。
「そうね。でも、黄疸は出てないわね。とりあえず、血液検査。それと点滴します」
やっぱり、それだけ。休日の救急処置は手ぬるいことが多い。
恐らく抗生物質の入ったタイプの点滴を2時間ほど射ち、一端、家へ帰った。
彼氏は終電近くまで仕事だった。軽く食事をしてベットで横になっていた。
21時頃になって目が覚めた。あれ?。痒い、痒くて、痒くて気が狂うほど、痒い。
シャツをめくってみた。胸、腹、腰、股、、、全身の皮膚の柔らかい部位に
帯状の水疱が出ていた。恐ろしくなって、見るのを止めた。
点滴が悪かったのか?。すぐに着替えて救急病院に行く。
また別の担当医が出て来た。昼間のことを話し、患部をくまなく見てもらう。
「疲れはないのかな?。息切れしない?。」
そう言われれば、仮眠する前から、体が重くて鈍い感じがしていた。
「このまま入院して下さい。ベット用意するから」
言われるままに、即入院。彼氏に電話を入れ、「すぐに退院するから」と
見栄を張った。。。少し、泣きたい気分だった。

1999年 6月28日


3日間、入院している間に血液検査の結果が出た。
やっぱりA型肝炎だった。ただし、γ-GPTが300程度に下がって来てたし、
水疱も治まっていたので、出勤前と出勤後に
点滴を射ちに通院する方法に切替えてもらうことにした。
半ば強引にお願いした。点滴だけで7時間近くかかる毎日に
うんざりしていたからだ。肝炎の治療薬は開発されていない。
ただひたすら安静にして寝ているだけである。感染予防薬(ワクチン)が
あることさへ知らなかった。。。
しかし、この選択は間違っていた。先生もそれを見越していたのかな?。

1999年 7月 3日


4日間、点滴を射ちに病院に通って出勤してみた。
夏に向けて鍛えてたジム通いも中止した。
仕事はデスクワークに切替えてもらい、殆どイスに座ったままだった。
でも、ダメだった。手始めに三半規管が悲鳴を上げた。
PCもTVも見てられなくなった。動くものを見ると異常に疲れるようになった。
難聴気味になり、音を聴くと脳に染みる感覚が残って気分が悪くなった。
何もかもが変になり、倒れこんだ。。。
千鳥足で病院へ行き、即入院。良くぞ歩けたもんだ。
この日のγ-GPTが2100だったことを後で知った。2ケタ違うぞ〜おい!。
急性肝炎へ悪化してしまったようだ。
彼氏はまた早朝から仕事に出かけて留守だった。
すぐに採血し、点滴責めが始まった。
医療用プラスチックの針を初めて入れた。針を入れたまま眠るのになかなか
慣れなかった。硬く冷たいベット。。。静かだった。
夜、消灯近くになって彼氏が身支度をして病院に来てくれた。
ありがたかった。同時に恥ずかしかった。。。本当は怒ってるのに
我慢してるのが良く判った。ごめんね。もう何も考えたくない。疲れたんだ。
ただ、ただ疲れた。体が地獄に落ちて行くような感じがした。

1999年 7月 4日


朝、6時に目が覚めた。と、言うより起こされた。
僕が入った部屋は4人部屋だった。お隣りが75歳のおじいちゃん。
必然的に病院は朝が早いらしい。
右隅に17歳の高校生。左隅に40歳ぐらいの中年男性が入っていた。
病院の中の小さな社会。久しぶりの共同生活だった。
顔を洗いに起き上がる。。。針の入った腕が緊張して眠ったせいか
少し痛んだ。洗面所まで歩くのもフラフラした。
目は黄疸で真っ黄色に変わっていた。水疱ではなく、少し湿疹が出ていた。
ベットに戻ってまた寝た。とにかく横になってないと疲れた。
自分で尿を足しに行けないおじいちゃんが、いつもように漏らしたらしく
うんざり気味の看護婦さんがオムツを交換しに来た。
その時、17歳の高校生くんが看護婦さんにこう言った。
「昨日の夜、誰か悲鳴上げてましたよ〜。聞こえました?」
そ、そ、それは。多分、僕です(汗)。
知ってるくせに、直接聞かない所が嫌いよ!。
1999年 7月 5日


2日間、何も食べていない。
明けても暮れても点滴。本当にこれで良いのか?。
不思議なくらい食欲がない。
あまりに退屈なので、ベットに設置された小型TVをつけた。
音声が耳に痛い。動画を見ると目が疲れ、不規則に揺れた。
ダメだ。ただ寝るしかなかった。
数時間置きにナースコールが鳴る。
その度に、おじいちゃんのオムツが交換される。
真夜中に看護婦が少しキレて愚痴ってるのに驚いた。。。
みんな生ける塊。みんな疲れている。

1999年 7月 6日


目覚めて心配なのは、悲鳴を上げなかったかどうか(汗)。
今日から食事が出るらしい。
朝食は水粥と牛乳、キャベツのおひたし。
な、なんともヘルシー。肝臓がイカれているのだから当然だな。
しかし、水粥。味がない。食欲がないので半分も食べられなかった。
牛乳。。。大嫌い。子供の頃から飲めない。家族全員、牛乳が飲めなかった。
またすぐに点滴攻撃がやって来る。うんざりだった。
「朝食、残したわね〜!。全部食べないと点滴の数、減らないわよ。」
点滴袋をスタンドに設置しながら看護婦さんが囁いた。。。
そ、そ、それは脅しかしら?。
今日は大好きな槇原敬之のアルバムの発売日。彼氏にお願いしてとって来てもらった。
まさか病室で聴くことになるとは。。。今頃、彼は退院している頃だろう。
耳が痛いのを我慢して聴き込んだ。どうしたんだろう。このアルバム。最低の出来だった。
こんな中途半端な作品を作る人じゃないのに、、、残念だった。
まさか、あの噂は本当だったんだろうか。。。
横になり、、、目覚めると昼食。病院では朝食と昼食の間隔が短く感じられた。
また水粥だった。このままではいかんなと思い、
彼氏に頼んで「おとなのふりかけ」セットを買って来てもらう。
夕食からは粥にふりかけを混ぜて何とか味付けをして流し込んだ。
「絶対、点滴を減らしてもらうんだ!。」
妙な闘争心が沸いていた。

1999年 7月 7日


「今日は七夕ですね〜」
お隣りのおじいちゃんのTVから小さく流れて来た言葉。
何の音もない。動くモノもない。真っ白な空間に行きたい。
点滴の管を流れ落ちる滴をカウントする。気分が悪くなる。。。
寝る、食べる、寝る、食べる。。。ただその繰返し。
一日がこんなに長いなんて知らなかった。
あの人、ちゃんと食べてるかな?。ゴミ出しどうしよう。。。

1999年 7月 8日


毎日、彼氏はお見舞いに来てくれた。出勤前、帰宅前も。。。
入院前に咲きはじめたベランダの”ひまわり”に水をあげてねって
お願いをした。枯らしたくなかった。ふたりの幸せと同じで。
この日から水粥が少し水気の少ない粥に変り、食欲も出て来た。
牛乳はどうしてもダメなのでヨーグルトに変えてもらった。
昼食を済ませた後、採血をされた。。。今朝も採血したのに、何故に2回も?。
不思議に思ったが、看護婦さんに理由を聞くほど気分は良くなかった。
婦長さんに呼出され肝炎の感染経路について心当たりがないか詰問された。
「決まってんじゃん、SEXよ。SEX!。」そんなぁこたぁ言えない(汗)。
数ヶ月前にプーケットに行ったから、食べ物からですかねぇ〜
とか何とか言って、やんわり誤魔化した。肝炎に対する所注意を説明された。
何故か、消毒用ウエットティッシュを購入される。
保険効かないのに1600円もするティッシュを買わされるなんて、、、。
「同室の患者さんには、君が肝炎だってことは伝えられないから、
困惑する人もいますからね。肝炎は便から感染することが多いから
トイレに行った後やドアのノブを触ったら、必ずこのティッシュで拭き取って下さい。」
何だかな〜である。一応、納得し実行してみたが、、、点滴スタンド押しながら
狭いトイレに入るのにも一苦労なのに疲れちゃうよ。ドアのノブを拭き取る奴なんて
どう見ても僕しか居なかった。。。自分が特別なウイルスを撒き散らしているかのようで
かなり嫌な気持ちにさせた。

1999年 7月 9日


真夜中に鳴るナースコール。
おじいちゃんの”お漏らし”は相変わらずで、まともに寝ていられない。
おじいちゃんの娘さんが毎日のように消灯まで世話をしに来ていた。
どうやら愛妻家のようである。
この日、はじめて奥さんがやって来た。照れ臭そうにしていたが、嬉しそうだった。
不思議だったのは高校生くん。お母さんが見舞いに来るのだが、、、
糞ババア呼ばわりである。うざいから早く帰れと罵る始末。
軽い腹膜炎だと看護婦さんとの会話から聞いていたが、その割には
ベットの上で腹筋したり腕立てしたり、、、ついには大声で歌をうたったり
口笛を吹く奇行に及んでいた。あんた友達はいないわけ?。
怖いから口も訊かなかった。。。
左隅の中年男性は熱も下がり、タバコを吸いたくて堪らない様子。
糖尿病のようである。甘いものは厳禁なのに煎餅を食べて叱られていた。
その人の目のつく所でチョコレート食べてた僕はちょっと反省してしまった。
ここは人生の墓場か?。そんなことを考えていた時、、、
院長先生から呼び出された。何だろう?。嫌な予感がした。。。
「君、肝炎以外に性病にかかったことはあるの?。
実はね。血液検査で他の病気も引っかかってるのがあるんだ。
自覚ない?。そう、、、。活動性はないけど一応、薬を出しますから飲んで下さい。
それから、、、念のために”HIV検査”に血液を出しました。了解してくれるよね?。
もう出しちゃったから。念のためだよ。何もなかったら安心できるでしょ。
でも、覚悟だけはして置くように。。。」
何てことだろう。昨日の採血はそのためだったんだ。
いつか検査しなくちゃと思っていたけど、勇気が持てなかった。
こんな機会でもないと自分から進んで検査に行くこともなかったかも知れない。
そう思うと納得できた。ただ、怖かった。感染していたらどうなるんだ???。
真っ暗な部屋でじっと目を凝らし怯えるしかなかった。。。

1999年 7月10日


今日から粥でなく、普通のごはんが食べられるようになった。
ますます「おとなのふりかけ」が大活躍である(汗)。
この日、生まれて初めて”オクラ”を食べた。細切れのチキンとソテーされていた。
あんかけみたいな感じである。実にヘルシーで美味い。
退院したら家でも作ろうと思った。意外と病院食は工夫が凝らされていて
美味しく感じられた。僕は関西出身なので薄味でOK。盗むべき点も多かった。
体調は大分、良くなっていた。そうだ!。家へ帰ろう。。。
ずっと気になっていた。家の中がちらかっているに違いない。
僕の彼氏はカラッきし片付けをしない人である。決めた。家へ帰ろう。。。
約束通り残さず食事を摂るようになったので、点滴の数を減らしてもらい
看護婦さんの見回りがない15時に病室を抜け出した。
久しぶりの商店街。いろんな匂いがした。肝臓に良くないからゆっくりと歩いて帰った。
案の定、部屋は乱れていた(汗)。すぐさま掃除をした。息が切れて仕方なかったけど
かまわなかった。ベランダのひまわり元気かな?。
哀しかった。あんなに念を押したのに、、、ひまわりはカラカラに枯れていた
水をもらえなったんだね。見舞いに来たら叱ってやらなきゃ。。。
病院ではまだシャワーも浴びさせてもらえないから、ついでに入っちゃえ!
で、ついでにオナっちゃえ、、、って思ったけど、さすがに倒れそうだったので
止めて置いた(汗)。嵐のように事を済ませて病院へと帰った。
看護婦さんに叱られたのは言うまでもない。。。そんなことは覚悟の上。
ただ体調が悪化してしまった。疲れてフラフラだった。

1999年 7月11日


高校生くんの奇行は相変わらず続いていた。
あんまり酷いから、看護婦さんにご相談。少し精神的な疲労を伴っているらしかった。
そんな子供を同室させるなんてどんなもんかしら?。
誰も見舞いに来ないと思っていた矢先、ゾロゾロと同級生らしき若者が見舞いに来た。
10人近く来てたかな。どうやら野球部員らしくチームメイトのようだ。
だからってベット軋ませて筋トレして良いってもんじゃない。迷惑だわ。
僕だって早くジムで筋トレしたいんだから(汗)。
中間テストの追試があるらしく、参考書でお勉強してる姿はそれなりなのにな〜。
若手の看護婦さんと仲良くしてた彼だったが、、、この日の夜、
こともあろうに高校生くんは、その看護婦にセクハラされたと婦長に訴えたのだ。
「あの看護婦に腹筋を触られて、ヤロウよって誘われた」だって。。。
バカじゃないのかコイツ。これも病気だからで片付けられるんだろうな。きっと。
それ以来、その看護婦さんは僕等の病室には周って来なくなった。いい人だったのにな〜。

1999年 7月12日


入院してから10日間が過ぎた。
順調に回復していたが、まだ三半規管が治らなかった。
この日、会社の上司が見舞いに来てくれた。
何とも申し訳ないのと私生活を覗かれるようで恥ずかしかった。
そう言えば、入院してまだ一度もを剃っていない。
自称、髭フェチの僕。。。自分でも伸ばしたいくらいなんだけど、悔しいが似合わない。
このまま伸ばしてみようかと思ったが、彼氏が許してくれそうになかった。
着替えと一緒にシェ−バーを持って来た。うるさい人だな、もう〜。

1999年 7月13日


院長先生から、明日の朝の診察が終わったら話がると言われた。
検査結果が来るので知らせたいと言うのだ。
僕は彼氏が同伴することをお願いした。まだ保護者というカタチをとっていた。
僕達の関係を全て話す覚悟だった。そうしないとイケないような気がした。
どうなるんだろ。。。怖くて、怖くて、、、眠れなかった。