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野口 正安
水戸藩の記録に依れば、十一月十八日に朝廷から大赦の令が出て、水戸藩が内部調査をする、そして「引き回しの上 断罪に処すところを大赦に付き牢屋敷内にて断罪梟首のこと」という達しがある。しかしそれではまだキツイというので 慶喜の家来、吉成勇太郎と武田耕雲斎の働きによって保留となり、十二月十五日に幕府から「水戸藩は烈公の意思を 継ぐように」という達しがあり、水戸藩では斉昭公の意思を継ぐアピールとして、浪士達を釈放した。 このとき下村継次と一緒に釈放された人物に野口正安がいた。下村継次はこの野口派の幹部だったらしい。 下村継次は野口とともに長岡で活動していて、彼の故郷である玉造や潮来で資金調達活動をしていて、文久元年二月二 十四日に指名手配され、二十八日に捕まった。 下村家は磯原の神官をしていて、野口正安の家は近くにあったようである。 義父の下村義次のころは位の高い神官で裕斎という名前を持っていた。二代目は行方不明(下村継次)と言い伝えられてい る、三代目常親といって継次の実子、やはり位の高い神官だったが、若くして死んでしまったので、現在の当主の方が 常親の妻であるむめさんのところに養子に来た。亡くなった常親さんのお墓には誰だかわからないが銀盤に写したとて も綺麗な女性の写真が飾ってあった。 |