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西蓮寺
尸羅度山曼殊院西蓮寺は延暦元年(782)に桓武天皇の勅命により伝教大師最澄の弟子、最仙上人の開山と
伝えられている古刹です。最仙上人は常陸国関城の生まれで、中国で修行した後、常陸の講師(国中の僧尼 を掌り、講説する僧)として故郷に帰り、天台の教えを普及させたとされていて、県内には最仙上人ゆかりの寺 が多く存しています。 仁王門をくぐった境内には薬師堂、常行堂、法華堂、中堂が、中央には鐘楼があり、またひときわ目をひく相輪 トウがあります。 常行三昧会が行なわれる常行堂や法華堂は延暦寺の堂舎を摸した跡が窺われ、天台伽藍としてのすがたを 伝えています。明応8年(1499)兵火で焼失、明治16年(1883)にも火災に遭い、多くの寺宝や堂宇が失われま した。 樹齢千年を超える大銀杏や杉、欅の大木が鬱蒼と茂り、春には数十本の桜の古木、秋には黄金色の大銀杏 が人々の目を楽しませてくれます
国指定文化財 建造物
西蓮寺仁王門 指定年月日 大正6年4月5日 所在地 行方郡玉造町西蓮寺504 管理者 西蓮寺 制作時期 室町時代後期 この仁王門は、1543年(天文12)に建立されたもので当初は楼門として造られたが、寛政年間に山門に造り 替え更に仁王門に改めた。 建築様式は、三間一戸楼門の一階だけが残されたものであるから、組物は楼門腰組型の三手先で、中備は蛙 股と簑束である。 国指定文化財 建造物 西蓮寺相輪塔(附棟札1枚) 指定年月日 大正6年8月13日 所在地 行方郡玉造町西蓮寺504 管理者 西蓮寺 制作時期 室町時代後期 この相輪は弘安の役(元寇)の戦勝を記念して1287年(弘安10)に建立したものと伝えられている。 その後、1604年(慶長9)、1841年(天保12)及び明治36年などに修理されている。 最近では昭和52年に大修理が行われた。 高さは9.16メートルで、木の心柱に銅板鍛造りの筒10個をかぶせつないでいる。 また、繋目には7.6センチメートルの帯輪を巻いており全体では錫杖形をしている。 とうは西に面し基壇、とう身、頭部の3つに分かれている。 基壇は石造りで三段に積まれている。 頭部は五輪塔形式で、宝珠に火焔をつけ、それを取り巻く太い大輪及び大輪に懸かる12個の
小輪からなる。
また、大輪には卍字が飾られている。
県指定文化財 彫刻
木造 薬師如来坐像 指定年月日 昭和33年3月12日 所在地 行方郡玉造町西蓮寺504 管理者 西蓮寺 制作時期 室町時代末期 この薬師如来は、天台宗尸羅度山(しらとさん)曼珠院西蓮寺の本尊で、寺伝によれば、開山した最仙上人自 らが彫ったものとされ、一木背刳造である。 この仏像は、高さが150センチメートルあり、特徴としては小鼻が張り、目と眉毛の切り方は大きく、唇は厚く なっている。 また、当時平伏して礼拝したためか顔が大きく作られ、両腕も非常に太くなっている。 彫りは翻波式の名残をとどめ、彫りの深いところには当時の胡粉が残っている。 県指定文化財 天然記念物 西蓮寺大イチョウ 指定年月日 昭和39年7月31日 所在地 行方郡玉造町西蓮寺504
管理者 西蓮寺 西蓮寺境内には、この寺を開祖した最仙上人お手植えのといわれている老木が2本並んで
いる。 このイチョウは共に樹勢が旺盛な雄木である。 相輪とう近くの1号樹は幹回り約6メートル、高さ約25メートルあり、2号樹は、幹回り約8メートル、高さ約20 メートルある。 樹齢は 1000年ともいわれ、気根(乳)がよく発達し大きく下がっている。 常行三昧[仏立て] 延暦元(782)年に天台宗の祖最澄の高弟であった最仙が、桓武天皇の勅願によって創建した西蓮寺に伝わ る伝統行事。この常行三昧は、寺伝によれば寛治年中(1087〜94)に地元の長者が比叡山より移したものとさ れる。この長者伝説は、各地に残る源義家伝説に酷似し、蝦夷出陣にあたり鹿島神宮参拝のおり豪勢に振舞 ってくれた長者の力を恐れた義家が長者を滅ぼし、遣わされた娘が一族の供養にこの法要を始めたのが起こ りとされている。 この常行三昧は、西蓮寺の末寺、門徒寺の僧侶が常行堂に集まり9月24日〜30日の7日7夜にわたって堂内を 廻りながら読経する法事である。初日、中日、末日には、境内で学頭寺の名残を彷彿、雅な籠行列が見られ る。また、「常陸高野」と呼ばれるように、この法要は、「仏立て」と言われ、宗旨の別なく近郷近在はもとより遠 隔地から新仏の供養に参詣人が訪れる。そして、この期間には現在も市が開かれ賑わいを見せている。
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