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TBSドラマの「水戸黄門」は、義公が名君であったために作られた物語ですが、その中に出てくる「風車の弥七」は、
実在の人物「松之草村小八兵衛」がモデルとなっているんです。(うっかり八兵衛ではありません)
常陸国松之草村(現茨城県那珂郡緒川村大字松之草)に、松之草村小八兵衛という者がいました。小八兵衛は盗賊の
頭領で、一昼夜に三十里(約120km)を往来し、忍びの術に於いても卓越した優れた忍者であったといわれてます。 後に捕らえられたのであるが、義公の尊徳をもって助命となったばかりか、一生涯二人月俸を給せられたので、 その恩恵に非常に感激して、「自分の存命中は、決して御領内に盗賊は立ち入らせない」と誓ったと言うが、その言のとおり、彼の 存在中は、水戸領内には夜盗の心配はなかったと伝えられている。
又、小八兵衛は、領内や隣国の動静変事を探り、義公に報告する間者(隠密)として活躍したので、義公は居ながらに
して、領内の変事はもとより、隣国の動静も知り得たという。このことは、今から約150年前に「石川久徴先生」著書の 「桃蹊雑話」に書かれています。
現在、小八兵衛の墓が、緒川村松之草公民館の近くの山の麓にあります。−帰真禅山崇心墓・元禄十一年戌寅五月二日歿−と
書かれている。近年、その傍らから、小八兵衛の女房の「お新」の墓碑ではないかと思われるものが発掘された。(お新もドラ マに出てきている)−皈眞梅梢池春禅定尼霊位−元禄四年正月十一日歿−と書かれている。
お新は旧那珂郡戸田村(現那珂町)から来たと言い伝えられている。
と言う事は「うっかり八兵衛」は実在していないみたいですね!!
「義公が水戸城内の奥女中たちに紙すきを見せた」
資料によれば、寛政二年に水戸藩が藩外に売出した農産物の総額は、9万9千両余りで、その中で和紙は.3万1千両に
のぼり、農産物総額の32%を占め、藩の財政を支える重要な産業であった。そのため光國は、常に紙を大切にしてい たが、城中の侍女たちは乱費に馴れ、改めようとしなかった。
そこで義公は、ある年の寒中に、侍女達を松之草(現緒川村松之草)につかわし、紙すきの苦労を見せたのである。寒
中でもこの日は特に寒い日であった。しかし、紙すきの人達は、冷たい北風に身をさらし、氷づくような寒水にはいっ て、手も足も真っ赤にして懸命に働いていた。このようすを侍女たちは熱心に見て帰った。そして以後、自分たちが日 常使用している紙がいかに尊いものであるかを知り、たとえ一枚でも大切に使用したという。
この紙すき場跡は、松之草公民館の西100mのところにある。
このことは、水戸藩の学者、立原翠軒先生編「西山遺聞」や仙台藩の安積民斉先生著「民斉閑話」に書かれ、それら
がよりどころとなり、明治33年(1900年)発行の尋常小学校用坪内雄蔵著「国語読本巻六」大正8年(1919年)発行の国 定教科書「尋常小学校終身書巻三」に採用されている。
なお、奥女中たちの松之草来訪は、小八兵衛が光國公に進言して行われ、女中たちの案内・世話などは、小八兵衛た
ちがやったといわれている。
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