相馬主計(ソウマカズエ)

 (新選組最後の隊長)

 天保十四年、常州笠間藩船橋平八郎の子として生まれる。
慶応三年十月、土方が江戸へ下り隊士を募ったときの新入隊士と推測される。
同時期入隊者に池田七三郎や井上泰助がいる。新選組の京都時代、最期の新入隊士である。

 慶応四年、近藤が流山で投降した際、相馬は近藤救出を懇願するため、土方と共に勝海舟を訪ねた。
そして、幕臣松波権之丞差出しの封書を持って板橋の近藤に届けて捕らえられた。近藤の処刑後釈放され、戊辰戦争
を戦う。

箱館渡航後、陸軍奉行添役として土方の下に属した。
また、箱館市中の警備役として箱館奉行永井玄蕃(尚志)の下に配属され、弁天台場に入った。
奮戦むなしく陥落した。相馬主計・森常吉(新撰組改役)・島田魁(新撰組頭役)率いる新撰組士は降伏した
土方亡き後の最後の新選組隊長

五稜郭陥落後、弁天台場、薬王院と送られた新選組の同志達とは別扱いで相馬は、榎本、大鳥、松平、永井らとすぐ
さま東京に送還され、坂本竜馬の殺害事件の取り調べを受け、終身流罪が下され新島に流された。
しかし明治五年十月十三日赦免された。

相馬は、この二年間の流刑生活の中で、島の女と結ばれたと云われている。
その後の消息は不明である。一説には切腹したとも言われている。


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