千葉周作

千葉周作成政  
水戸藩師範  幕末の剣客。
 先祖伝来の「北辰無想流」を発展させた「北辰一刀流」を創始し、「三剣士」とよばれた。のち水戸藩馬廻ならびに兵
法師範。弟・定吉政道の門弟に坂本竜馬がいた。 
 
千葉定吉政道  
鳥取藩師範  幕末の剣客。千葉周作の弟にあたる。周作の玄武館創設に協力し、その後、京橋桶町に道場を建てて
「桶町千葉」と言われた。嘉永6(1853)年、鳥取藩江戸屋敷の剣術師範に召し出された。
坂本龍馬は千葉定吉政道の弟子である。
 周作の庶子、東一郎を養子とし、娘・佐那は美人で名が高かったが、北辰一刀流小太刀の免許皆伝であり、「千葉の
鬼小町」と呼ばれていた。彼女は坂本龍馬の許婚として有名である。

千葉栄次郎成之  
水戸藩士・剣豪  幕末の剣客。天保4(1833)年、千葉周作成政の次男として生まれた。若くして北辰一刀流の奥義を
極め「千葉の小天狗」とよばれ、かの斎藤弥九郎・海保帆平もまったく歯がたたなかった稀代の名剣士。嘉永6(1853)
年、水戸藩に召し出され、馬廻組⇒大番組に昇進するも、惜しむべく文久2(1862)年1月12日、30歳の若さで没した。 
 
千葉重太郎一胤
北海道開拓史  幕末の剣客。千葉定吉の長男。父、定吉が鳥取藩江戸藩邸に詰めるようになると、30歳にして道場
を任された。万延元(1860)年、重太郎は鳥取藩に召し抱えられ、文久2(1862)年、周旋方に就任。同年、勝海舟の開国
論に反発して、坂本龍馬とともに勝邸を訪ね、機を見て斬ろうとしたが、龍馬が海舟に感激して師と仰いだ為に計画を
断念している。
 戊辰戦争では鳥取藩歩兵頭として出陣、、明治4(1871)年に家督を継いで、鳥取県官吏として出仕、開拓使権大主典
として北海道開拓に活躍した。その後は京都府の官僚となり、明治18(1885)年に没した。62歳。 
 
千葉佐那 
 学習院女子部舎監  北辰一刀流師範。桶屋千葉・千葉定吉の三女。小太刀の免許皆伝で「千葉の鬼小町」と呼ば
れていた。 
 嘉永6(1853)年入門の坂本龍馬の許婚となった。結婚をしていたともいわれている。しかし、慶応3(1867)年、龍馬が
京都において暗殺されると、その後は一生独身を通し、明治15(1882)年、学習院女子部の舎監を奉職。のち職を辞し
て、千住に灸治院を開業した。山梨県甲府市朝日の清運寺に眠っている。 
 

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