Last Update:2002/11/26

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ホテルのベッドに備え付けられた目覚ましが思いの外やさしく鳴る。寝ぼけた身体を少し熱めのシャワーで覚まし、簡単に身支度を整えると、僕は朝の京都駅へ向かった。行く先は神戸である。




− 神戸 其の一 −
 


たとえば遺跡や名所巡りなどというものは、その地に立ちその建物等に触れることで、かつて居た人々やかつてあった出来事に思いをはせることがその楽しみの一つであろう。たとえば映画のワンシーンに出てくる地を訪ねることは、その街を歩くことで、映画の登場人物に自分を重ねることがその楽しみの一つであろう。
「神戸在住」という漫画がある。スクリーントーンを排除した今時めずらしい絵であり、そのせいかどこか親しみやすく暖かい作品である。ほんの少し前、僕はこの作品に出会い、強く感覚を刺激された。知らず知らずに、見も知らぬ神戸という街に思いを巡らせた。今回の旅行が決まった時に真っ先に頭に浮かんだことは「神戸に行ってみよう」ということだった。漫画という二次元の世界に息づく「神戸」に僕の現実の足で立ってみよう。そう思ったのだ。

京都から神戸まで1100円の道のり。京都駅構内で軽いモーニングをとった後、数十分の間電車に揺られる。「芦屋」「六甲道」「三宮」といった、異文化を感じさせる駅名のアナウンスに胸高鳴らせながら、僕は「元町」で下車した。
元町は神戸のひとつ手前の駅になる。三宮界隈が遊ぶにはよろしいようだが、僕には一つだけ目的があったのだ。「三宮」と「元町」と「神戸」。この3駅にわたる高架線の下に「高架下」と通称される商店街が連なっている。そのうち「元町」と「神戸」を結ぶ高架下である「モトコータウン」を僕はどうしても歩いてみたかった。

元町駅を下車するまで、僕にはこの街についての知識が一切なかった。しかし、ちょっとした”作戦”が僕にはあった。先の「神戸在住」で主人公がモトコータウンを初めて訪れる時、その案内役をしてくれた女友達と待ち合わせる際に元町駅前の書店に立ち寄るのだ。「そのシーンにならって僕もその本屋に入り、簡単な神戸ガイドブックでも購入して、半日神戸ぶらり旅を実行しよう作戦」である。元町駅を出て右を向くと、はたしてその書店は存在した。これだけでもう感動である。書店に入り、数ある神戸を紹介している雑誌からできるだけシンプルなものを選び買う。袋に入れたままの雑誌を小脇に抱えて、僕の小さな冒険が始まった。



書店から程なくして、モトコータウンの第一ゲート「元町一番街」があった。入口からほんのわずか、まさに首だけを突っ込んだあたりで、僕は少し足がすくんだ。この日の神戸はことの他快晴で、夏がぶり返したような強い日射しが降り注いでいる。メインストリートがそんな状態のせいか、モトコーの薄暗さがなんとも不気味に思えたのだ。路地の間隔は狭く、向かい合わせた店先から店先までは2メートルもないであろう。白色蛍光灯にぼんやりと照らされた細い通路がただ延々と真っ直ぐ伸びている。なんだか一歩足を踏み入れたら最後、もう戻ってこれないのではないか?そんな気さえ起こさせたのだ。



すぅ と息を吸い込み、あらためてモトコータウンへ潜入する。日の光は遮られ、薄暗いその空間に身体が同化していく。入口間近の店はどうやら中古レコード屋のようだ。店内はまだ準備中のようだったので、店先に積まれてあるレコードを穿り返してみる。オフコース、松本伊代、サザンオールスターズ等の下にフーターズ、シカゴ、カーズ等が飛び出てくる訳の分からぬ配列。僕はこの冒険が楽しいものになるとこの時予感した。それはモトコー深くに身をおく頃に確信となるのだが、それはもう少々先の話。

ゆっくり歩を進めながら居並ぶ店々を眺める。貴金属、特にシルバーアクセを売っている店が多い。佇まいは怪しげだが、アメ横やかつての原宿とあまり変わらない −そんなふうに思いながらたらたらと歩く。ド派手なシャツやPUNKアイテム、ボトルキャップやフィギュアなど、レトロポップな味わいの店が続く。店員も所謂それ系の若者だ。まだ昼前のせいか、それほどの賑わいはないが、地元の若者らしき男女が行き交っている。ようやく開店準備を始める店もあり、眠そうにダンボールを開ける男の子や店先を掃いている女の子がちらりほらり。そんな光景を眺めているうちに、薄暗い印象は少し薄れ、モトコー3番街あたりまで続くこの心地よいチープなPOPSを僕は楽しんでいた。

高架下の切れ目がそれぞれのタウンの始まりと終わり。1番街から2番街、2番街から3番街へと歩を進める時に、瞬間外に出る。表通りは相変わらず眩しい光にあふれている。そんなギャップもモトコータウンを歩く楽しみの一つだ。僕はそろそろ中間点に差し掛かっていた。



3番街を経、4番街、5番街と進んでいくうちに、僕の気楽な観光気分は影をひそめた。店に並ぶ品々の様相が変わっていく。どういうわけかラジカセ、ビデオデッキ、テレビといった中古家電が多く目につくようになった。しかしそれらは、どう考えても普通に購入しようとは思えない代物ばかり。つまり古すぎるのだ。すべからく大きく、銀色と黒色ばかりのがさつなボディ。今時何故こんなものが、しかもこんなにたくさん売られているのだろう?しかも、だからといって中古家電店というわけではない。それらに並んで、ぬいぐるみやフィギュア、風邪薬や漢方薬、スラックスにベルトなどがぶらさがっている。店員もほとんどが老婆だ。僕はこのあたりから軽い恐怖感を覚えはじめた。ここに居並ぶ店はいったいどこからモノを仕入れてくるのだろう?いやそれ以前に、「いったい誰に売るつもりでいるのだ!?」



ふと気づくと、壁には怪しいアートが描かれていたり、椅子のない、つまりは地べたに座ってちゃぶ台でお茶を飲む喫茶店(当然のごとくドアなどない。良く言えばアジアンテイストの薄い布きれが下がっているだけ)や、大麻からつくったアクセサリーや怪しげな草の種を売っている店など、あまりにこの通りに溶け込みすぎている店が続く。かと思うと突然クリーニング屋が現れたりするのだ。そしてそれら全てが薄笑いを浮かべた白色蛍光灯にぼぅと照らされている。



歩きながらぼんやりと思いを巡らす。店、商店街、ひいては街というものが何かの目的を持って形成されていくものなのだとしたら、このモトコータウンはその概念からは明らかに外れている。きっとそれは造られたものではなく、産まれてきたものだからだ。成長するもとどまるも、それはモトコー自身が決めることであり、人はただその要素のひとつでしかないのだ。モトコーは今は成長を拒み、変わらぬ姿でそこにいる。きっとそれだけのことなのだ。変わる時は変わる、朽ちる時は朽ちる。人間の意志に振り回されることなく存在する路地。神戸が洗練されたお洒落な街だというのは否定しないが、ここにもまぎれもない神戸がある。そう、港町「神戸」が。

こんなことを考えていると、昨日見た法隆寺が頭をよぎる。
− ではモトコーが自由で法隆寺が不自由か?
いやいやきっとそうじゃない。意志をも凌駕する歴史という怪物がそこにはいる。

7番街も終わりに近づくと、比較的親しみやすい店舗が続く。店員も気のよさそうな人物に見える。太陽の光が路地に差込みはじめると、もうそこはモトコータウンの出口。JR神戸駅は目前である。
僕の小さな大冒険が終わった。




久しぶりに日の光を全身に浴びた僕は、さて空腹を感じた。道端の植え込みに腰掛け、小脇に抱えていた雑誌をめくる。程ない所にランチで神戸牛を食べさせてくれる店があるようだ。
− こいつはいい、神戸といえば神戸牛だ。
と独りごち、地図を頼りに道を進んだ。
「神戸肉料理 大井」は、モトコー7番街出口から5分のところにあった。1Fは精肉店であり、どうやらその直営店らしい。エレベーターで3Fへ。扉が開くと既に店員が待ちかまえていた。着物姿の上品そうな中年の女性だ。
「いらっしゃいませ。」
ちょっと腰がひけているのを感じつつも、軽く会釈をして店内に入る。誰もいない。昼時を少し過ぎたせいなのだろうか、客が一人もいなかった。しかしそれ以上に僕を縮こまらせたのは、その店内の豪華な様。6人くらいは座れるであろうテーブルは全て、籐の衝立で仕切られている。
「只今の御時間ですと、9000円からのコースか5000円のランチになりますが?」
− ランチで。
「では少々こちらで御待ちくださいませ。」
僕はふっかりとしたソファーに身を沈ませた。女店員はチラとこちらを一瞥して店内に消えていった。明らかに訝しがる視線だった。確かに僕のいでたちはそう思わせるに充分のそれだった。浪人生でももう少ししゃんとしているのではないかというくらいのヨレた格好。そんな男が飯時を過ぎてフラリと一人で店内に入って来たのだから、そう思われても仕方はない。しかししかし、それ以上に僕は別のことで内心動揺していた。だって雑誌で見た情報ではランチが2000円だったのだから。

「御待たせいたしました。どうぞこちらへ。」
案内されてついたテーブルは、一人では身の置き所に困るような大きなものであった。目の前に威厳を持った鉄板が光っている。
前菜をつまんでいると、コックがやって来た。
「いらっしゃいませ。失礼いたします。」
そう言って、やおら鉄板で調理を始めた。肉が焼かれる。コックは巧みな手つきで肉を切り分け、実に旨そうにそれを焼く。
「どうぞ。」
目の前の皿に肉がのせられる。外側はきれいに焼け、中はまだ赤味が残っている。
− どうも。
場違いさに恐縮しながら肉を口に運ぶ。旨い、と言いたいところだが、正直よくわからない。いたたまれない気分にさいなまれ食い急いでしまうのだ。なにしろ女店員二人に遠目から見張られ、目の前では調理後の鉄板を拭いているコックがまだ立っている。客は僕一人。どうにも落ち着かないのだ。
そうこうしているうちに、新たに二人連れの客が入ってきた。店員達はそちらの対応に行き、コックも一礼して去っていった。ふぅと一息、ようやく肉の旨さを味わうことが出来た頃には半分以上食い終わってしまっていた。まあそれでも神戸で「きちんと」神戸牛を食したという思い出の値段も含めて、いい昼食だったのだろう。



会計をしようと席を立つ。案内してくれた女店員が再びこちらにやって来る。
「いかがでしたでしょうか?」
− ええ、美味しかったですよ。
先程感じた、(それはおそらく所在なさから来た僕の思い過ごしがほとんどであろう)訝しげな視線はもうなかった。
「こちらへは御旅行で?」
やはりイントネーションからなのだろうか、僕がこの街の人間ではないことに気づかれてしまった。
− ええ、まあ。
「天気も良くてよかったですね。これからまた何処か行かれるんですか?」
− いや、まあ、あちらこちらと・・・
実際何も決めていなかったし、答えるべき適当な場所も思い浮かばず、語尾を濁した。
「異人館とか?」
異人館。ああ、その観光地名は聞いたことがある。「神戸在住」にも紹介されていたはずだ。異人館。なにやら良い響きだ。この街を何も知らずに彷徨っている僕のような旅行者が訪ねるにはぴったりのような気がした。成程、異人館か。
そして僕は笑顔で答えた。
− ええ、実はこれから異人館へ行くところなんですよ。



                                                                   続く

 

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