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Dear... もし あなたが今感じている日常が 本当は あなたの感じる日常ではなくて 實は誰かが造った 「日常」 の仲を 恰も自分が創造した日常のように 若しくは 自分の裁量では この現状が日常だと思ってはいないでしょうか。 奔騰する毎日とは言わないまでも 波風のたつ日常を思い描いてはいても 日常に憂い 観じ 自由奔放に活きている様に「見える」誰かを 嫉ましく感じてしまうのが 人の恒ですね。 日本には昔から 遠慮深い事を美徳とする風習が根強く残っているように思われます。 そんな中 日常を生きる私達は 古人の理念を 奇しくも 守り続けています。 それは 羞恥心として はたまた 好くも悪くも理性として 私達の深層心理に息衝いている訳です。 では実際に この日常は のっぴきならないモノなのでしょうか。 前述の様に 多少なりとも他者を嫉ましく思うのは 自己が存在する世界が 理想と言う名の想像の世界と相違しているからです。 現実として 人間社会を円滑に進めていくために 最低限の規律があるのは それこそ 人間社会たる所以ですが それはやはり 最低限の規律であり 私達は あともう少し 「自己」主張していいと思います。 想像の世界の入り口をほんの少し開いて 社会の人達と共有する事が出来れば 全く新しい日常が そこに在り 全く新しい自分が そこに要るでしょう。 「自分」とは 「自らを分かる(理解する)」という意味です。 私はこのページにおいて 想像と現実の狭間を行き来しながら はずかしい日常を表現しつつ 新しい日常への懸け橋となる事を 切望して止みません。 |