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Austria


ザルツブルク

スイスのチューリヒを出発した電車はのどかな田園地帯をひた走り、2時間ほどでオーストリアとの国境へ。電車にはオーストリアの入国管理局の人らしき人がぞろぞろ乗り込んできて、一斉にパスポートチェックが始まりました。ヨーロッパは比較的小さな国が狭い地域に集まっているので、ちょっと移動するだけでパスポートにどんどんスタンプがたまっていきます。いざ国境を越えてもたいして景色も変わらず、乗ってから約5時間でザルツブルクに到着。
日本人観光客が多いせいか、駅のホームでは日本語をちらほら発見。でも気の利くような案内ではなく、「21世紀、ザルツブルク駅は生まれ変わります」みたいなどちらかというとどうでもいい情報でした。駅のインフォメーションセンターでその日の宿をとって、荷物を置くためにさっそく向かいました。インフォのおじさんは駅から徒歩3分と便の良さを強調していたけど、駅はもともと街の外れにあるし、繁華街と反対の方向に3分だったので、なんだか治安の悪そうな飲み屋街を歩く羽目になってしまいました。
荷物を宿に置いた後、さっそく旧市街へ。中央駅から旧市街方面へはバスが出ていたけど、もちろん徒歩。約2キロの距離でしたが、歩いても歩いても人も車もほとんど通らない田舎道だったので、さすがに不安になりました。15分くらい歩いてザルツァッハ川にかかるシュターツ橋を渡るとやっと賑やかな旧市街エリアに突入。ここまでくると人も増えてきて安心できました。ザルツブルクは人口約15万人と小さい街なので、旧市街も細い道沿いに500メートルくらい店が並ぶ程度で、すぐ見て周れます。この日はもう夜も遅くなってしまったので、夕飯だけ食べて宿へ。

次の日。朝から市内観光。ザルツブルクは山に囲まれた地域にあるので、9月というのに朝晩はかなり寒かったです。凍えそうになりながら、またもや徒歩で旧市街へ。宿のある駅前地区は、ずいぶん後から開発されたみたいで、中世の雰囲気が残る伝統的な街というイメージからはかなりかけ離れていました。同じ形の四角いビルが並んで立っていて、どちらかというと共産圏の影響を受けたのかな、という感じです。オーストリアは地図で見ても分かるように、ずいぶん東欧地域に突き出ているので、もしかして東側の影響もあったのかもしれません。
ザルツブルクといえば、モーツァルトが生まれたことで有名です。旧市街にモーツァルトの生家があり、博物館として整備されて中が見られるようになっています。自筆の楽譜や楽器など、音楽をやる者としては大変興味深いものがたくさん展示されていました。モーツァルトはいい家に生まれたお坊ちゃまだったようで、陽気であまり感情の起伏がない曲ばかり残したのも分かるような気がします。
ザルツブルクに住む人は、自分のことを「Salzburger」と呼んで地元に誇りを持っているようです。飲み屋で話したおじさんは、「国内やドイツのいろんなところに住んだけど、やっぱザルツブルクと思って戻ってきたよ」と言っていました。ベルリンに住んだこともあると自慢もしていましたが・・・。国が小さなオーストリアの人から見ると、東京のような街がどんなところか想像もつかないらしく、「人口1200万の街ってどんな感じ?」と不思議そうでした。この街で出会った人はみんな気さくでいい人たちばかりでした。

一通りの観光を終えた後、いよいよオーストリアの首都で音楽の都、ウィーンへ。

ウィーン

ザルツブルクから電車で約3時間半。電車はウィーン西駅に到着。ウィーンはかなりの都会というイメージがあったので、ちょっとさびれた地域にあるウィーン西駅に着いてもここがウィーンだという実感がなく、「終点だよ!」の一声でやっと降りられました。駅舎もスイスの駅に比べて質素な感じがして、ウィーンの第一印象はそんなにいいものではありませんでした。その上、インフォメーションセンターでは「あんたが望む場所と値段を満たすホテルなんてあるわけないでしょ」と怒られ、少々へこんでしまいました。
しかし地下鉄に乗って宿の最寄駅に着くと、イメージ通りの古き良き時代の面影が残る景色が広がり、すぐに立ち直れました。この日はもう夜も遅かったので、観光はせずに宿へ。

次の日。ウィーン市内観光へ。ウィーンはオーストリア最大の都市ですが、中心部の規模はそれほど大きくなくて、頑張れば歩いて見て周れます。まずはウィーンのシンボルであるシュテファン寺院へ。ここの塔は、寺院の塔としては世界で3番目に高いらしく、下から見上げるとかなり迫力があります。また、完成から既に600年以上経っている年代物で、保存のための努力も並々ならぬものがあったと思います。

写真(ウィーン1)
シュテファン寺院

ウィーンの歴史はハプスブルク家の歴史でもあり、最も華やかに栄えていた時代は16世紀から18世紀にかけてのようで、20世紀に入ると人口は激減したそうです。たしかにそう言われてみるとウィーンは街の規模の割に歩いている人が少ない気がしました。それが中世のウィーンらしい雰囲気をいたずらな近代化の波から守ることができた原因かもしれません。戦後多くの街がまるで姿を変えてしまった日本に住む一人としては羨ましいことです。
ウィーンと言えば音楽の都。著名な多くの作曲家が活動していた地であり、今でも毎日多くのコンサートが催されています。オーストリアの人にとってはクラシック音楽は生活の一部と言えるほど密着していて、町中でも多くの人が様々な音楽を奏でています。ウィーンの街全体が大きなホールみたいで、何日いても本当に飽きない街です。

写真(ウィーン2)
路上でのコンサート

ウィーンには日本人だけでなく色々な国から多くの観光客が訪れていて、その多くの人達がこの街で音楽を聴いて帰りたいと思っているようです。そのため多くのアマチュア合奏団が町中に繰り出して、チケットを観光客に売りさばこうとモーツァルトみたいな格好をして営業活動をしています。自分もシュテファン寺院の前である合奏団のコンサートのチケットを買って、その日の夜に聴きに行きました。 このコンサートを聴いて、営利のためだけに音楽をするとこんなにもひどくなってしまうのかということに気付き相当ショックを受けました。曲目が誰でも知っているようなモーツァルトやヨハン・シュトラウスの曲ばかりというのはまあ分かります。しかし古代風の格好をしてパフォーマンスばかりに気を取られ、肝心の音楽の質が低くなってしまっていることには納得がいきませんでした。この程度の音楽なら東京で十分聴けるし、自分でも出来るかもしれない。その程度の音楽で、ある意味何も分からない観光客からお金をとっていることに憤りを感じました。

写真(ウィーン3)
観光客向けコンサート

次の日。一通りのウィーン市内観光は終えていたので、この日は自分の趣味である音楽に関係のあるところを中心に回りました。まずはウィーン大学のそばにあるベートーベンの家。ここにはベートーベンの自筆の楽譜や楽器が展示してあり、彼が残した有名な曲はCDで聴けるようになっています。交響曲や序曲、室内楽の曲などたくさん聴いているうちにあっという間に閉館時間になってしまい、追い出されてしまいました。帰りがけに「ウィーンでベートーベンの音楽を聴きたいのですが」と聞いたら、「そんなの知ったこっちゃない」と言われ、どこの国も公務員は無愛想だなと納得してしまいました。
続いてウィーン郊外のハイリンゲンシュタットにあるベートーベンの家へ。もう夕方だったので家の中へ入ることはできませんでしたが周囲の環境の良さは素晴らしいものがありました。中心部から地下鉄で20分くらいで自然がたくさん残る地域へ行けるというのもウィーンならではです。付近にベートーベンの散歩道があり、交響曲第六番「田園」のイメージ通りの雰囲気がそのまま残っていました。

その次の日。いよいよウィーン最後の日になってしまったので、悔いを残さないためにもハプスブルク家の繁栄の象徴とも言えるシェーンブルン宮殿へ。この宮殿はとにかくでかくて豪華。これでも財政難や戦争のため規模を縮小して建てられたそうですが・・・。1000以上の豪華な部屋を有し、じっくり見たらまる一日かかるほどの凄さです。圧倒されるのは規模より豪華さ。当時の繁栄ぶりを窺い知ることができます。
ハンガリーへ向かう電車の時間までしばらくあったので、シューベルトの生家へ。街の中心部から地下鉄で15分くらい北東に行ったところにあり、道が工事中ということもあってなんとなく汚い感じがするエリア。しかし中に入ってみると非常に落ち着いた家で、彼が愛用していたピアノや楽譜などがありました。ここもCDが聴けるようになっていて、またしてもずっと聴いていたら職員の人に怪しまれてしまいました。
午後。国際列車に乗ってハンガリーのブダペストへ、日帰りの旅へ。


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