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■ 徒然の庵」 ///ゆうゆの気ままに
2002年 2月 3月 4月 8月



■ 一期一会


お互いを生き、永らえる事だけが 人生の価値ではない。
今、死んでも 悔いが無いか 何に命をかけるのか、

その問いに 答えることが その人の 人生であり、
その問いに答えることが、 その人の 生きがいであろう。

一期一会とは、 死と言う のっぴきならない人生の終わりを
前提に しながら、
生きることの 深さを 教えた 人生の 心得であろう・・・

どの様な出逢いにも、 出会う人は生涯に 一度の縁と思って
最善を尽くし 真心を尽くしたい と 想うのです。

2002_02_27




■ 一座建立

一座建立というのは、誰が優れていて、誰が劣っているという
見方ではなく・・・

一座の中に入ったら、互いに 足らざるを補い合い、
それぞれが、謙虚になって、

その座を ”高め合って” いくことを 心がける事なのではないだろうか
残念であるが、 人は自然体にながされいくと、

人をよく見ることよりも、人の欠点が気になり
人の悪口を 口にするようになるものである。  これが集団化されると

”平和のために争い合う” という おろかさに落ちてゆく・・だから・
自己中心の愚かさを捨てて、他と素直に関わりあう事が

必要に なってくるのである。
「一座建立」 を まなぼう〜親子も・・・夫婦も・・・企業も・・・社会も・・・

みんなが 人間として 認め合い 助けあったなら・・・・
障害者は、 障害者として、そのままで、立派な存在であろうから。

慈悲 や 愛というものは 刻々の学びであり また 
永遠の課題であろう・・・・          合掌


2002_02_27




■ 教え


ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に
残された一人の患者の詩・・。

大きなことを成しとげるために力を与えてほしいと、
  神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。

より偉大なことができるように健康を求めたのに、
  より良きことができるようにと病弱をあたえられた。

幸せになろうとして、富を求めたのに、
  賢明であるようにと貧困をさずかった。

世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
  得意にならないようにと失敗を授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
  あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、
  願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
  心の中の言い表せないものは、すべて叶えられた。

私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。

2002_02_14





■ 出会い


人生には様々な「出会い」があります。人との出会い
異文化との出会い等々。そしてこれらの「出会い」
すべてが自分の人生の「肥やし」になるのでは
ないでしょうか。

「出会い」の中で得た「現実」を自分の中に取り込んで
自身を「成長」させるというということが「出会い」という
ものの意図するところなのかも知れないと思って

私は「出会い」というものを大事にしながら生きています。
自分の心に発するインスピレーション等も「出会い」と
いう風に私自身は捉えて、ふっと思ったことでもなおざりに
しないでいるようにしています。

日々の生活の中で「何となく」思うことってありますよね。
普通はそれを取り止めのないこととして自分の中で
処理してしまっていますが、そういう「何となく」
感じることの中に、意外と真実があったりするんですよね。
だからそういう「何となく」というものを大事に
しながら生きて生きたいと思います。

「出会い」というのは、一日の生活の中でも頻繁に起こります。
一つ一つの出会いというものをなおざりにしないで、自分と
出会ったことに何かしらの意味があるのかもしれないと想像力を
逞しくして生きられれば、日々の生活が意外と楽しいものに
なるかも知れません。

2002_02_02





■ めぐり逢い


遅からず・・早からず・・会うべき人に・会うべき時に
必ずめぐり合えると言われている。
心のむなしさを癒すように様々な出会いがある・・・
人間ーーーこの欠けたるもの・・・
自然が崩壊し、人間の命が軽視され、真の心の自由が枯渇をし
生きる力が失われている今日・・”無から出来る” ・・・
愛と力の、源泉を回復したいものです。。

2002_02_02




■。。欲


もし「欲」というものが人間になければ
文化も文明も生まれないでしょうね。
人間は勉強したり向上したりと言う事も無いでしょう。

欲は人生のスパイスのようなもので、これがあるからこそ
人生や人間社会が華やいで見えるということもあるでしょう。

だから「欲」というものを完全否定したりはしませんが、
さりとて欲をかき過ぎれば人間は必ず失敗をするようです。

欲は、かき過ぎれば「執着」ということになります。
執着とは心が何かに奪われて見境がつかなくなっている状態
と言えると思います。

欲が強過ぎると公平無私な判断ができなくなります。
それで、自己の中心を失って失敗するということなのでしょう。

ギャンブルをやっているとよく分かりますが、
欲が強くなるほどツキが逃げていきます。
ツキが逃げると益々心が焦りだし、取り乱し状態
になってしまいます。
こうなってしまっては益々見境がつかなくなります。

欲は程々にしないといけないと言う事は多くの人々
が気づいているにもかかわらず、これがついつい度を
越してしまうのは、人間の愚かさでもあり
また可愛らしさでもあります。

2002_01_31





■ 陽転の発想                                 

失ったものを 数えるより
残された恵みに 感謝しよう
と自分を励ましている。
明るさとは”陽転の発想”と
受け止めている。
「理解されるより・・・理解すること」
「慰められることより・・・慰めること」
「受けることより・・・与えること」
の出来る人になることである。

太陽も空気も大地も
すべて自然の恵みは与えて
やまないものである。

人生は”自分を磨く”
心の豊かさと”他のお役に立つ”
感動の実践にその喜びが
あるので、あろう・・・

ひとりの人間の救いも、集団の理想も
歴史の転換も決して
別のものではないと
想うのである。
ともに活路が 開かれるならば
と思いしたためました

2002_01_30