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| ■ 徒然の庵」 ///ゆうゆの気ままに |
| 2002年 | 2月 | 3月 | 4月 | 8月 |
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■ 目 標 一里の道を歩む人 五里の道を歩む人 十里の道を歩む人 百里の道を歩む人 人には 人それぞれの目標がある 人には 人それぞれの能力がある。 しかし 大切な事は それぞれの目標によって 第一歩の踏み出しがちがうのだ・・・ それぞれの決意によって 第一歩の燃えが違うのだ。 今年 おまえは・・・ どんな 第一歩をふみだしたいのだ・・・ その第一歩の決意に 光ある 人生が展開するのだ。 かつて、松下幸之助さんは「どうしたら、横綱になれるのですか?」ニ子山親方に 聞かれ、その問いに「横綱になろうと想ったものだけが、横綱になれる」 そう、いわれたそうです。 けだし説得力のある名言では、ありませんか・・・・出来ると信じることが大事です。 2002_03_27 |
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■ 正 直 「正直」が美徳だというのはある意味情けないことです。 「正直」は生きる前提でなくてはなりません。 「正直さ」を教えないといけないというのは、本当に情けないことだと思います。 なぜ「正直さ」を教えないといけないかと言えば、大人の世界が不正直だからだと思います。 そのような世界に身を染めて自分の心を汚してはならないので、 子供らには「正直さ」を教えないといけないということなのでしょう。 これは本当に情けないことです。 不正直な大人の下で育った子供は不正直な大人になります。 これは仕方がないことです。 そのように親たちが見本を示してしまったのですから。 彼らは大人になって苦しむことになるでしょう。 自業自得と知るべきです。。。 2002_03_26 |
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■ 春の詩 月よめばすでにやよいとなりにけり 野べのわか菜も つまずありにし 心あらば 尋ねて来ませ鶯の 木伝ひちらす 梅の花見に 形見とて何かのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉 さけ さけと 花にあるじをまかせられ けふも 酒さけ あすも さけさけ 2002_03_21 |
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■ 結婚観 「結婚」というものに対する概念が明確でなくなりつつる現在ですが、 「結婚観」は、年代により人生経験により変貌を遂げていくものだと思います。 それで少し書いてみます。 (幼い頃の判断) とにかくこの人が好きだ。 どうしても今すぐ一緒になりたい。 後のことは後のこと。後から考えれば良い。 (理性が働く頃の判断) この人は私の好きなタイプだ。 一緒になりたいとは思うが、相手の意志も尊重して上げねばならない。 また、事を焦っては失敗するので、色々総合的に判断し婚姻の是非に ついて検討してみないといけない。 (知恵ある頃の判断) 結婚もまた人生の一つの墓場であることを理解し、墓場の中にも微か な一条の天国を求めようという腹積もりなら結婚をするのも意味のないことではない。 (悟った頃の判断) 結婚はするもよし、せぬもよし。それぞれに天国と墓場がある。 合計すればプラマイゼロになるだろう。 ーー こうしてみると、知識や知恵の習得をするほどに人間の魅力は減じてい くものではないだろうかとも思います。 世の中は知恵なき者が多いから、ドラマは生まれるのだと思うのです。 万民に感謝を・・・・・・・ 2002_03_19 |
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■ 川の水 川の水を 飲み干すことができずとも、 ノドの渇きは癒せるように、 一切は自分の 蒔いたもの、蒔かぬタネは 生えぬと反省し、 一つ一つ 誠心誠意、できることから 着実に対応してゆけば、 思わぬ道が開けてくるかもしれない。。。 明日も 健やかな こばれるような笑顔を届けたい〜〜♪ みなさま・・・おやすみなさい。 2002_03_15 |
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■ 。。。出会い 人生には様々な「出会い」があります。 人との出会い、異文化との出会い、・・・等々。そしてこれらの「出会い」すべてが自分の人生の 「肥やし」になるのではないでしょうか。 「出会い」の中で得た「現実」を自分の中に取り込んで、自身を「成長」させるというということが 「出会い」というものの意図するところなのかも知れないと思って、 私は「出会い」というものを大事にしながら生きています。 自分の心に発するインスピレーション等も「出会い」と いう風に私自身は捉えて、ふっと思ったことでもなおざりにしないでいるようにしています。 日々の生活の中で「何となく」思うことってありますよね。 普通はそれを取り止めのないこととして自分の中で処理してしまっていますが、 そういう「何となく」感じることの中に、意外と真実があったりするんですよね。 だからそういう「何となく」というものを大事にしながら生きて生きたいと思います。 「出会い」というのは、一日の生活の中でも頻繁に起こります。 一つ一つの出会いというものをなおざりにしないで、 自分と出会ったことに何かしらの意味があるのかもしれないと想像力を逞しくして生きられれば 、日々の生活が意外と楽しいものになるかも知れません。 2002_03_13 |
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■ ゆとり 人生がままならないものだと考えて悩むのは「生きる」ことにまだ 余裕があるためだと思います。 今日を生きるのに必死な状態では、人は人生そのものを悩んだり、 頭の中を哲学用語で一杯にして苦しむこともないだろうと思います。 今日何とかしてメシの種を確保しようーー それだけが彼の考えですから、「生きる」こと以外に考える ゆとりがないのです。 文化や芸術なるものはすべて「ゆとり」から生まれるものだと思いま す。論評なるものにしてもそうです。 余裕(ゆとり)が人生に必要であるかないかなどと考えること自体が、 大変恵まれた状態に自分がいるのだと考えることが必要なのでは ないでしょうか。 そういう意味では政治的発言もまたそういうものだと理解されます。 自分にまだゆとりがあるので、目が外へ向き、政治家の悪口など 言ってられるのでしょう(私もその一人です、ゆとりがあるわけではないが)。 もし今、目の前に強盗が押し入ってきて刃物を突き付けられていたら、 今の政治はけしからんなどと考える心のゆとりはないと思います。 他者批判はすべてそれをする側の心のゆとりから生まれるものだと 思って間違いないと思います。 本当に助けなければいけないのは、そのような「ゆとり」のない人々 です。 2002_03_02 |
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■ 尊厳 私は、張り合おうなどとしなくても男性に対して圧倒的に優位に立てる分野で、 女性の活躍を期待します。 男性も女性も、どちらも尊厳のために働いているのです。 尊厳といっても、それ自体別に高尚なものでも何でもなくて、その人の生き 方に対する何らかのこだわりがあれば、その人には尊厳があることになるのです。 尊厳の内容は千差万別です。 贅沢な暮らしをしたい、というのだって、尊厳の発露です。 世の中の役に立ちたい、というのもやはり尊厳の発露です。 ですから、男性が何のために働いているのかといえば、尊厳のためにです。 女性が「カッコいい」ことを目指して働いている場合もあるでしょう。 私はそういう女性に対しても否定的ではありません。 しかし、すべての女性の尊厳の発露の形が同じであるなんてことはないのです。 2002_03_02 |
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■北国の人 国の人々は長い冬が早く終わらないかと春を待ちわびながら冬の生活をします。 そこで培われた忍耐力が北の人々の特徴です。 自然はどうしようもない圧倒的な力で私たちの生活にかかわってきます。 その大自然に対してどのように対処をするのか、そこに 人間の心の持ち方が問われると思います。 「運命」というものを素直に受け入れる姿勢もそのような「自然の厳しさ」から学ぶ部分が多いようです。 私は昔から冬が好きで、あの雪をザクザクと踏みしめる音が、懐かしいものです。 大人になるに従って季節感が自分の中になくなってきて寂しい思いをしています。 木でも年輪が硬くなっているところは北側です。 人生も必死で苦労をした時期ほど懐かしく思い起こすものです。 現代の子供らにはもっと「厳しさ」を教えるべきだというのが持論です。 2002_03_02 |
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■ 良心の声に 人生を決定付けるような一瞬の出来事というものが幾度かは 誰の人生の中にもあると思います。 そしてそれは通常その時点では分からず 時が経ってみてはじめて、その出来事の重要性に 気付く場合が多いようです。 そしてそれを人は天の恵みと呼んだり神の悪戯と 呼んだりします。 しかしよくよく思い返してみれば すべてがなるべくしてなっていると いうことに気付くでしょう。 「予感」といったものは誰の心の中にも起こります。 しかし通常はそれを根拠のないものだとして 自分の抱いた感覚を大事にすることなく それを自分の頭のゴミ箱に追いやって 皆生きているように思います。 自分が気付いていることにさえ 気付かない場合も多いようです。 今現時点で自分の身に降りかかっている 出来事や、またその状況が 過去から引き継がれた必然であると理解する人は 少ないようです。 我々は日々の生活の中で幾度も「判断」を迫られますが その度ごとに自分が「試されている」と考えることが 大事なのではないかと思います。 大体が人が何事かを判断する場合、自分にとっての 利益不利益という尺度を優先してしまいがちですが そのような損得感情(勘定)から行った判断は、 大方願わざる結果を必ずどこかでもたらす場合が 多いように思います。 迷ったときは、自分の心の奥深いところから 聞こえる良心の声に従った生き方を志す努力をすることが 大事なのではないかと・・・おもいます 2002_03_02 |