+ 五木の里から不知火海へ 川辺川 - 地域と住民は今 - 



連載11◆ 気負いなく等身大で 広がる動き

 宮田真幸君(21)は京都立命館大学4年。2001年秋に和歌山の会議で、八代の川漁師と出会ったのがきっかけで川辺川ダムに関わるようになった。
 出発点はODA(政府開発援助)や自由化の問題について取り組むNGO活動。学生というフットワークの軽さを生かして、あちこちを動き回っていた。海外の大規模ダム問題から国内ダムにも関心が広がり、出身地である千葉や京都で、身近な水とダムが深く関わっていることを知った。川辺川ダムでは、生活のすべてをかけて活動する漁民一人一人の思いや、ダムによって翻弄され続けた五木村のことが特に心を打った。地元にいない、だけど人ごとではない。学生仲間に呼びかけて、Youth Kawabe(川辺川流域を考えるユースの会)を発足させた。
 福澤尚子さん(21)もYouth Kawabeメンバーである。川辺川ダムのことを知ったのは、2002年3月に東北タイのパクムンダムを訪れた時のこと。世界銀行の融資で95年に完成したこのダムは、ずさんな環境影響調査のために、多くの漁民・農民を貧困化させていた。開発援助を考えるスタディツアーに、たまたま川辺川ダムに関わっている参加者がいた。帰国して後、五木村から見たダム問題に興味を持った。
 水没地でありダムを促進する五木村と、下流で広がるダム反対運動。二つの間には、長く深い「時差」が横たわっていた。五木村住民が反対運動をしていた当時、下流では関心が低くほとんど何の支援もなかった。村内のダム反対の声がつぶされ、村上げてのダム促進へと変わった頃になって、下流からダム計画への疑問の声が出始めた。時差を埋めるために、誰も知らない過去を紐とき、住民に寄り添ってダムを見つめたいと、卒論のテーマに川辺川を選んだ。
 今年2月20日。川辺川の源流水を背に、京都までの自転車きゃらばんがスタートした。
 21日間かけて850kmを走り抜くのは、長崎大学環境科学部1年の吉満健二君(19)。3月に京都と周辺で開かれる水の国際会議へ向け、環境と水を考えるキャンペーンの一環としての計画したものだった。京都を中心に東西から水と水問題を運ぶ。西日本ルートの出発点は、「外すわけにはいかない」と迷わず川辺川に決めた。出発の日、地元住民が半日かけて川辺川の源流水を汲んで来てくれていた。ただの水だけではなく、この水をめぐる流域の声を伝えたいと思う。
 川辺川に関わる若い人たちに、大きな気負いはない。水は全国につながり、川辺川ダム問題も全国につながっている。それぞれ等身大で受け止め、一緒に解決策を探してまず動き出す。
 川辺川ダム反対運動は地域を超え、世代を越え、新しい広がりを見せている。今年、計画から37年を経て、ついに川辺川ダム計画は終結を迎える。(了)



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