+ 五木の里から不知火海へ 川辺川 - 地域と住民は今 -
濃い飴色の柱に、天井にはシックな灯り。店内には控えめにジャズが流れる。初めて来たはずなのにどこか懐かしい気持ちになるのは、店の隅々にまで行き届いたご主人の心遣いのせいだろうか。
JR八代駅を下りて右手に入ると、喫茶店「ミック」の看板が見えてくる。チリンとベルを鳴らせドアを開けると、カウンター向こうからマスターである出水晃さん(58)が笑顔で出迎える。
幼い頃から、川は遊び場であり学校だった。遊びながら子どもはいろんなことを学んだ。のぞいていると怖くなるほど、透き通って水量も多かったが、その川を大きく変えたのが荒瀬ダム、瀬戸石ダムの建設だった。ダム水門のすぐ下には、堰を越えられないうなぎが集まり、格好の釣り場だった。友達と一緒に行っては、小遣い稼ぎをしていた。水門の上から竹筒を下ろし、しばらくして水から引き上げると必ずうなぎが取れる。遡上する鮎も流れに逆らい、何十匹と飛び跳ねていた。初めてダムに潜った時のこと。以前の清流の名残はなく、ダムの水はにごりがひどくて数十センチ先も見えなかった。鮎やうなぎがダムのすぐ下で取れるのは、ダムが遡上を妨げていたから。子ども心にも、漠然とながらダムへの疑問が湧いていた。
九州で三番目の流域面積を誇る球磨川。その河口に発達したのがここ八代市。三角州に工場が並び、干拓による農地も広がる、県南の拠点都市として栄えてきた。川辺川ダム建設予定地は、ここから50キロほど上流になる。地理的な距離はあっても、川には同じ水が流れ、他人事ではなかった。出水さんは京都の大学を卒業するとすぐ、八代へ戻った。川辺川ダム問題が発表された直後で、球磨川はどうなってしまうのかといてもたってもいられなかった。呉服屋だった自宅を改装し喫茶店ミックを開業。ギャラリーも併設し、地域に根ざした文化と交流の場として多くの人に愛されてきた。
「『五木ん人たちが反対しよった頃は、下流では誰も応援せんだった。』というけど、そんなことはない。“運動”として生まれたのは後でも、たくさんの人が川辺川ダムのことを気にかけてきた。」
八代市に「美しい球磨川を守る市民の会」ができたのは平成8年のこと。それ以前からの活動を引き継ぎ、出水さんが代表を務めることとなった。八代に住む漁民やダム反対市民団体と一緒に、度々の陳情や申し入れにも参加してきた。
川辺川ダムはずっと「人吉の生命財産を守るため」と説明されてきた。しかし昨年、市民側の情報公開請求によって、一番の受益地はここ八代市だと分かった。ところが、国が決壊の危険があるとされた萩原塘は、堤防の改修と拡幅によって250年も切れていない。国は非現実的なシミュレーションをくり返し続ける。
近年、出水さんたちは八代の漁民たちと一緒に五木の山に植林している。森は海の恋人であり、水の流れは地域を結び、人の交流を生む。川辺川ダム問題によって、逆説的にだが流域連携のモデルが作り出されている。(了)
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